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警告どおり 計画どおり
震災が起きて、福島原発の一向に良いニュースが発表されない中で、ずっと頭の中を巡っている歌がある。佐野元春が1988年に発表した「警告どおり 計画どおり」。当時中学生の私はこれを聴いて、大規模災害を起こした原子力発電所の地名を一生忘れられなくなってしまった。チェルノブイリの事故は86年。この段階で我が国の原子力政策を見直しておけば、今回の大災害にはならなかったのだろうか・・・。いや、私にはそうは思えない。今回の大惨事でアタフタするまで、やはりカネに目の眩んだオトナ達は愚かな決定をし続けたとしか思えない。

ミュージシャンがいくら警告を発したところで、原発利権で私腹を肥やして、たらふく美味いものを食い、綺麗なオネーチャン達を抱きまくってきた、地味なスーツに地味なネクタイを締めて、外面だけはマジメな公僕やマットウな企業人として、何食わぬ顔で日の当たる道を歩いてきた悪党どもが、そうやすやすと聞き入れるわけがないのだ。

バカでかい東京という魔都の電力を賄うために、目立った産業がなく窮乏している土地の人間にそっと小銭を握らせ、人類が発明した中で一番危険な「爆弾」を押し付けた。押し付けられた地元は弱い。一旦雀の涙のような小銭を握ってしまえば、もうそれは「自分達の安全、命」を売り渡したと同じなのだ。それでもそうやって小銭を握らざるをえなかった人々に対して、深い同情を覚える。国のやり方は、いつだって汚い。



『警告どおり 計画どおり』佐野元春

もう不確かじゃいられない
子供達が君に聞く
本当のことを知りたいだけ
ウインズケール
スリーマイルズ・アイランド
チェルノブイリ
すべては警告どおり

たよりなげなジャーナリズム
子供達が君に聞く
いつ?だれが?どこで?
知りたいだけ
ウインズケール
スリーマイルズ・アイランド
チェルノブイリ
すべては警告どおり

終わりは来ないと
つぶやきながら
眉をひそめてる君
クレイジーに傷ついて
どこにも帰れない
やがて滅びるまで何もせず
ただおとなしく見つめてるだけさ

もう不確かじゃいられない
子供達が君に聞く
本当のことを知りたいだけ
ウインズケール
スリーマイルズ・アイランド
チェルノブイリ
すべては計画どおり


今回の大震災を受けて、佐野元春は3/13にひとつの詩を発表した。ファンの間でも賛否両論ある。私も最初読んだ時には「これはちょっとショックが強過ぎるのではないか」と感じた。
しかし時間が過ぎるにしたがって、佐野の伝えたいことの本質が見えてくるようになった。
その詩を引用してみる。

それを「希望」と名づけよう
佐野元春


街が揺れた夜、君はひとり無断で、
市営プールに潜りこみ、身体を水に浸した

そして暗がりの中、瞑想した

人は時に、光に水に、雨に風に、感謝し、
人は時に、光に水に、雨に風に、屈服する

この闇の向こうに震えるのは
誰か、嘆きの声

同胞の不在は確かに不可解だ

それはそうだ
しかしどうだろう

君は偽善の涙など流さないと誓ってくれ
決まりきったお悔やみなど無用だと言ってくれ

夜が明けて、そこにいつもどおりの太陽が照り、
草木は首をもたげ、
鳥たちは空を往く

あぁ、美しくも残酷なクリシェ!

一方で、
君の身体の細胞ひとつひとつに染みいる光はどうだ
傷だらけではあるが依然雄々しいその筋肉はどうだ

そうさ、君は同胞の不在を気にかけているんだろうが、

たとえば、
偶然にも生き残った君の生を讃えてみてはどうだ?
たとえば、
生き残ったことへの幸運を噛みしめてみてはどうだ?

不謹慎だとわめく偽善者を後に残し
君が光を放つことで、友を弔うんだ

それを「希望」と名づけていいんだよ

余震は続く

-----
2011年 誕生日に寄せて


mixiの佐野元春コミュニティにこの詩について感想を述べる場があり、随分時間が経ってから、以下のような私の拙い感想を書いた。

もう何年も、今の時代がその懐に抱える「切実な希望」ということに頭をめぐらしていて、やっとそれについて小説みたいなものを書き始めた矢先に、今回の大惨事が起きた。もう日本社会の前提が変わってしまい、国民の誰もがこの事態に立ち向かわなければならなくなった今、私のちっぽけな妄想はなんの役にも立たなくなった。

元春が、希望について書いてくれた。最初に読んだ時は正直キツかった。
でも友人達の安否を確認して、少し落ち着いて読み直すと、とてもいい詩に思えてきた。
生きていること、そのこと自体を「希望」と呼んでいいのか。
そうか、それ以外に希望なんてないのか、と目の覚める思いがした。

こんなmixiでカキコミができる私達は、この「希望」を、一人でも多くの被災者に伝えなければならないのかな、などと考えた。

今なら言える。この詩が好きだ。


「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と『希望の国のエクソダス』という小説で村上龍は中学生に語らせた。私もこの国はおろか私自身についての希望についてさえ、考えが及ばなかったというか、絶望していた。日々寝起きしながら、酒など飲みながら、希望となりうる何かを見つけられないままに、時が過ぎていった。飽食でモノ余りな社会の中で、ヒリヒリするほどに求める「切実な何か」を見失っていた。

今、こんな事態になって、冷たい床の上で命の危機にさらされながら、切実に救助や救援物資を待っている人が何十万といる。彼らにとって物資の到着は間違いなく「希望」だろう。もう無理かもしれないが、元の暮らしに戻れることが一番の希望だろう。極寒の避難所で生まれた赤ちゃんは、日本中の人間に希望を与えてくれた。

「希望だけがなかった国」が、「希望なしでは存続の危うい国」になってしまった。日本社会の前提条件が完全に変わってしまった。

これから日本は全力で希望を紡いでいかなければならない。希望をたすきリレーしていかなくてはいけない。
まず、命があること。これが「希望」なんだと佐野元春は教えてくれた。生きて、光を放つこと。
そう、ここから始めるしかない。
ひとつひとつの小さな命の灯を集めて、また国中が笑顔であふれるような国にするために、長く険しい闘いを闘い抜こう。

私も私の命をめいっぱい咲かせて、誰かの希望になりたい。困っている人達の力になりたい。

みんなで、もう一度日本を蘇らせよう。私達の力で、それは可能なはずだ。
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# by uts_home | 2011-03-20 16:28 | コラム
この世界を、愛せるか、どうか
二ヶ月ぶりに応募したい求人を見つけて職安へ駆け込んだのだが、すでに内定者を出していたらしく激しく落胆する。
しょうがないので祇園に飲みに出た。

アフターを付き合ってくれた23歳のサキちゃんと、夜明け前の鴨川べりに座って話す。私が若い女の子に話せるようなことなんてないのだが、朝まで飲んでしまったせいか、つまらない説教臭いことを言ってしまう。いわく「人生はこの鴨川の流れのように流れていくものだから、あんまり真面目に構えてもしょうがないよ。いくら背伸びしても、人間自分に出来ることしか出来ないから」と。ほんとヘドが出るようなセリフだが、23歳の乙女を前にして言えることはそれくらいのものだった。情けない36歳だな。

結局真摯な彼女の瞳の力に気圧されそうになりながら思ったのは、「この生まれ落ちた世界を愛せるかどうかだよなぁ」ということ。陳腐なセリフだけど、私はこの世で信頼するに足る価値観は「愛」以外にないと思っているし、ジョン・レノンが『イマジン』で描いた世界観をまだ無邪気に信じている。世界はまだよくなると思っている。

チアキには今夜もまた「愛」を語ってしまったが、後悔はしていないし、チアキには人類史上未だ誰も到達したことがない「愛の地平」を私が見せてやる、そのためにだったら何だってする、と固く心に誓っている。

乙女の、まるで熟れたてのトマトのように傷つきやすい感受性を目の前にすると、自分の無力さとともに「私も年を取ったなぁ」と嫌でも思い知らされる。出来うれば、彼女達の繊細な魂が、何物にも傷つけられない世の中に・・・、と甲斐のない祈りを何処にいるかわからない神様に捧げる。

人は、人を、いつまで殺し続けるのだろう?何故この生まれ落ちた世界を愛せないのだろう?

朝日の中を走るJR嵯峨嵐山線の電車に乗りながら、そんなことを考えた。
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# by uts_home | 2010-10-05 06:39 | 未分類
夏草の詩~ウォーキング・マン~
夏草の揺れる埃っぽい線路脇の小路を
おまえはいつまで歩き続けるんだい?
ひとりうつむいてあてどなく歩き続けるおまえは
まるでシシューポスになったかのような気分で
この真夏の照りつける陽射しを恨めしく思っているのかもしれない

おまえにはいくらだって足を止めるチャンスがあったし
涼しい木陰に身を横たえることもできた
沢に下りて冷たい清水で喉を潤すことも
ひょっとしたら通りすがりの貧しい村の娘と甘い夜を過ごすこともできたかもしれない

おまえはいつまで歩き続けるんだい?
カリカリに焼いたベーコンにマスタードをたっぷり塗った朝食に見向きもせず
鼻先をかすめるキューバ産の上等な葉巻の甘い香りに目を瞑り
新鮮な魚の血の色をした心浮き立たせるワインを拒絶して

いたずらに森の妖精に関する知識だけをつめこんだおまえのあたまは
この世の中じゃなんの役にも立ちゃしない
おまえに必要なのはチェーンソーとノミと腕のいい師匠だと
口うるさく言っていた年老いた母親を捨てて おまえは歩き出してしまった

おまえはいつまで歩き続けるんだい?
もうこの国の森はしらみつぶしに歩いただろう?
幾日も幾日も森の中を彷徨って 月の光の射さない森の中で目をこらして
でもいくら歩いたって いくら祈ったって 妖精なんか見つかりはしなかっただろう?

おまえもいつまでも若くはないし この国の森も次々と砂漠になってゆく
おまえのことは誰も知らないし おまえも誰のことも知らない
おまえはカネの稼ぎ方を知らないし 妖精の存在を証明する仕方さえ知らない
じゃあ一体おまえはなにを知っているというんだ?

わからないから歩いているのか 歩いているからわからないのか
少なくともおまえは女の肌のなめらかさを知るべきだったし
焼きたての香ばしいパンの匂いを嗅ぐべきだったし
妖精ではなく人間に興味を持つべきだった この愚かで愛らしい存在について思索するべきだった

もうおまえも知っているはずだ
この線路脇の小路をいくら歩いたところで おまえの目指すべき森は存在しないと
でもおまえには歩みを止める勇気がない 遮二無二女の元へ駆け寄る勇気がない
言葉をもたないおまえは まるでその地べたを這う蟻のように 黙って歩き続ける以外に術がない

おまえはもう心のどこかで この孤独な救いようのないウォーキングの終わりを待ちわびている
唐突にそれが終わってくれることを 妖精をその目で見ることよりも欲している
空も雲も太陽もおまえに語りかけることはない
ただおまえをじりじりと焦がし 人気のない小路におまえの小さな影を作るだけである

遠くで列車の汽笛が聞こえる
でもおまえはそれに乗り込むことをしないだろう
おまえはまた影を引きずって歩き出す
ただ夏草が風に揺れている


もしこの国の妖精の弔いをすることがあるならば
おまえにはその司祭を務める資格はあると思うが
そんな機会が訪れることはないだろう
この国の人間は誰も妖精になど興味はない



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# by uts_home | 2010-08-04 15:34 | コラム
詮無い呟き(玄耕庵日乗)
日本郵便のゆうパックの惨状
無知で尊大な経営陣による21世紀のインパール作戦
どんな組織も無能な上層部に苛まれるものだが
今回のケースは想定外に酷すぎる
ハッキリ言って物流をナメている
「なんでこんなに不様なの?馬鹿なの?死ぬの?」
期日遅れで腐り果てたお中元のナマモノを届けられる客も災難だが
荷捌き場も確保出来ずデスマーチを踊らされている倉庫の作業員達
クレームの電話を引っ切りなしに受ける臨時雇いのお嬢ちゃん達
全国津々浦々「不慣れな」深夜の住宅街で面罵される配達員達
彼ら彼女らに会社は何をもって報いるのか
この笑い話のような杜撰な事業統合にケリをつけるのか
しかしこんな大失態を演じた経営陣を糾弾することもなく
この会社の組合は選挙活動に血道を上げている
コイズミの断行した郵政民営化には反対だったが
こんな腐った組織は社会から排除してしまえとも思う
バイトや非正規社員の上で胡座をかいて甘い汁を啜っている天下り官僚に
物流の、世の中の何がわかるというのか

この国は変わらない
ますます酷くなるばかりだ
久々の庶民宰相は消費税増税に必死だし
断固として闘う野党も不在
昨年から国民の期待を次々と無惨に踏みにじった民主党政権は
この国の民主主義に大きな禍根を残した
マニュフェストは「生き物」だそうである
ナメてんのか
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# by uts_home | 2010-07-09 16:56 | コラム
異空間から批判
復元住居を壊す、中学生送検=器物損壊容疑―静岡県警

特別史跡「登呂遺跡」のある登呂公園(静岡市駿河区)で復元住居を壊したとして、県警静岡南署は17日、器物損壊容疑で、同市の14歳の男子中学生3人を書類送検、器物損壊の非行事実で、同市の13歳の男子中学生を児童相談所に通告した。
 送検容疑などによると、4人は1月7日午後11時半ごろ、登呂公園で復元住居の屋根に上り、屋根の材料に使っているアシを引き抜くなどして、復元住居を損壊した疑い。
 同署によると、いずれも容疑を認め「(引き抜いた)アシでチャンバラをしようと思った」と供述している。近隣住民から「子供が復元住居を壊している」という110番があり、発覚した。 

5月17日13時26分配信 時事通信

* * *

時事通信のやほ~のこのにうすでさ、コメントついてたんだけど、大爆笑でございました。
「日教組が悪い」とか「ゆとり教育が悪い」とか「子ども手当てをこんなヤツにやるのか!」とかさ。
いや~すげぇ、すげぇ。
どんなにうすからでも、まるで異空間から刀を取り出すかのような、ミンス関連の批判?
ケタはずれのバカさ加減ですな。

そんなアホガキのコトなんざ、しかって終わりレベルだろ。
紀元前から馬に喰わせるほどおったわ、そんなアホ。
第一、復元住居を「貴重な文化財!」なんて、あ~こーゆーコってさ、今まで文化財なんかコレっぽっちも大事に思ったコト、ないんだろうなぁ(職人の技術はともかくとして、ソレだって、当時のモノではない。猿にだってわかるコトである)。
ミンス批判のために、今までの人生で一度として大事に想ったコトもない文化財を引き合いに出すなよ。
ボクはそんな中学生より、そーゆー輩の方がはるかに心配だ。
いやホント、アタマ大丈夫?

この記事書いたしと→『逍遥録―衒学城奇譚―』発掘屋
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# by uts_home | 2010-05-17 23:05 | コラム
異空間から批判
『復元住居を壊す、中学生送検=器物損壊容疑―静岡県警』

特別史跡「登呂遺跡」のある登呂公園(静岡市駿河区)で復元住居を壊したとして、県警静岡南署は17日、器物損壊容疑で、同市の14歳の男子中学生3人を書類送検、器物損壊の非行事実で、同市の13歳の男子中学生を児童相談所に通告した。
 送検容疑などによると、4人は1月7日午後11時半ごろ、登呂公園で復元住居の屋根に上り、屋根の材料に使っているアシを引き抜くなどして、復元住居を損壊した疑い。
 同署によると、いずれも容疑を認め「(引き抜いた)アシでチャンバラをしようと思った」と供述している。近隣住民から「子供が復元住居を壊している」という110番があり、発覚した。 

5月17日13時26分配信 時事通信

* * *

時事通信のやほ~のこのにうすでさ、コメントついてたんだけど、大爆笑でございました。
「日教組が悪い」とか「ゆとり教育が悪い」とか「子ども手当てをこんなヤツにやるのか!」とかさ。
いや~すげぇ、すげぇ。
どんなにうすからでも、まるで異空間から刀を取り出すかのような、ミンス関連の批判?
ケタはずれのバカさ加減ですな。

そんなアホガキのコトなんざ、しかって終わりレベルだろ。
紀元前から馬に喰わせるほどおったわ、そんなアホ。
第一、復元住居を「貴重な文化財!」なんて、あ~こーゆーコってさ、今まで文化財なんかコレっぽっちも大事に思ったコト、ないんだろうなぁ(職人の技術はともかくとして、ソレだって、当時のモノではない。猿にだってわかるコトである)。
ミンス批判のために、今までの人生で一度として大事に想ったコトもない文化財を引き合いに出すなよ。
ボクはそんな中学生より、そーゆー輩の方がはるかに心配だ。
いやホント、アタマ大丈夫?

この記事書いたしと→『逍遥録―衒学城奇譚―』発掘屋
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# by uts_home | 2010-05-17 23:05 | コラム
見識のねじれ現象、コレも政権交代のひとつの結果か?
普天間基地の移設問題である。

先日、徳之島で基地移設反対の集会がおこなわれ、なんと1万5千人ものヒトが集まったそうです。

うむ、結構なコトである。

云うだけではダメ。

ちゃんと行動するコトこそが大事だ……と思ったんですがねぇ……

メディアなどはコレを以って、いかに徳之島のヒトたちが、いかにも「基地NO!」と主張しているように報道していましたが、何かおかしい、何か違和感を感じる。



ちょっと待ってもらいたい。

日本人ってさ、そんなに基地に関心高かったかい?

ウソだろ、オイ。

そもそも本土の人間に、沖縄の基地を自分たちで負担してやる意識などゼロである。

「米軍、危ないね~」とか「沖縄のヒトはガマンさせられてるんだね~」などと云いながら、その実、他人事なのです。

沖縄のヒトたちが大変だから、自分トコの街で受け入れてあげようなんて考える者はいない。

だって何かあったらこまるじゃん。

「日米同盟のために必要」とか「中共が攻めてきたら恐いぢゃないか!」とか云う連中だって、沖縄に米軍の基地が集中するコトには何の疑問も持たない。

「米軍NO!」を叫ぶ左派も、「アイコク、アイコク!」と叫ぶアイコクシャも同様です。

結局、本土の者にとって、沖縄がひとりでワリ喰ってもらっといてもらいたいの。

基地問題なんて、社交儀礼程度に外野で騒ぐぐらいで充分。

だから今まで見てみぬふり。



ところが政権交代して、普天間の移設問題を急にメディアが取りあげはじめた。

前の政権では知らんふりで、事故やら犯罪やらあった時ぐらい、ちょいちょいと申し訳程度に記事書いて「何とかなりませんかねぇ」

それでオワリ。

夏休みの読書感想文かってぇの。

アレ、完全に前政権の負の遺産じゃん。

そのころはろくすっぽ解決するつもりなんぞなくって、ソレをメディアがどこまで追求した?

それなのに、今になってあやしげな大合唱。

「どーする、どーする」とか云ってさ、何か今まで棚上げにしといた問題の埃をはらって、急に騒ぎ出した。

ボクの気が(記憶です、オッサン)が正しければ、確か政府は徳之島なんてひとことも云っていないはず。

それがメディアが徳之島なんて勝手に決めつけて、いつの間にか、まるで政府がソコに決定したかのような報道ぶりだ。



う~ん、コレってどうなのさ?



コレまでメディアは、たとえ口先だけでも「沖縄の負担を減らすべきだ~」なんて云ってたよね?

(ま、少なくとも「沖縄人、ガマンしたまえ」とはたとえホンネであっても云えやせんわな)

今その主張どおり、沖縄の基が県外移設ってハナシになってるよ。

い~じゃん。

自分たちの主張どおりじゃん。

「日本人みんなで考えていこーぜ!」って国民意識を喚起させるのが、メディアのやるべきコトじゃね?

ところがいざ移設ってコトになったら、アレはダメ、コレはダメ、挙句には「いついつまでに解決できなかったら解散だッー!」とか、何勝手なコト云ってんのってカンジだ。



で、もっとオカシイのが、まぁその何だ……なんて説明していいかわかんないアレな連中。

コイツら、今までだったらたとえば「米軍NO!」の集会なんて見たら、脊髄反射で「反日だー、売国奴だー、ニッキョーソだー、ジチローだ!」ってえくすたし~を感じてらしたのに、徳之島の件に関しちゃ「コレが民意だ、ミンス政権にNO!をつきつけたんだ!」って、急に擁護。

ま、確かにあの小さな島で1万5千人はあまりに多すぎるから、おそらく外部からの“参加”はあったと思う。

防衛庁高級官僚だったタモやんも、かつて広島だったかの平和集会で「全部動員されてる。地元の者はいない」とかおっしゃって、またソレを、アレなヒトたちが擁護してたもんね。

コイツら自公与党時代のハナシだったら、絶対「工作員が動員されて、地元の意向を無視して反対運動してやがる、プロ市民だ!」なんて云ってたよ。

自分は安全な場所にいて、基地のコトなんて、沖縄のコトなんて、考えたことすらないくせにね。

コレまでだったら、日米同盟だの東アジアの平和だのを盾に、沖縄県民にガマンしろって押しつけてたくせにね。

何、いまさら地元の住民の立場になってるつもりよ。

別に徳之島の住民のためでなくって、ソレをミンス攻撃にすりかえる。

自分たちがキライな政権を攻撃するためなら、ころりとコレまでの見識を方向転換。

方法と目的とが完全にねじれてしまって、ソレすら気がついていない。

うわ~コイツらの見識のアクロバットに、めまいすらするヨ。

ホント、あざといっつーか、醜いっつーか。



ホントおもしろいと思う。

政権交代によって、今までのミギがヒダリに、ヒダリがミギに。

立ち位置を変えただけのドロの投げ合い。

茶番だね。



ま、こんだけ国内で反対運動がおきれば、基地は国外に移設するしかないんじゃないの?

左派は元々そうだったし、アイコクシャ諸君もコレだけ非難してるんだからさ。

仕方ないよね。

米国だって、地元の諒解を優先するって云ってるし、そもそもグアムへ完全移転するハナシを、ムリヤリひきとめたのは、かつての政権だったからね。

「すんません、コレだけ反対されては国内に移設はムリだわ。やっぱ出てってよ」ってキッパリと云えるんじゃ?

ま、どーしてもって云うんなら、国民投票してさ、日米同盟がすんげぇ大事って意見が一番多かった都道府県にすりゃいーんじゃね?

ある意味、コレほど民主的なやり方はないぜい。

……そんな時に限って、そーゆーコト云うヤツ、沈黙すんだよな、絶対。

書いたしと→『逍遥録―衒学城奇譚―』発掘屋
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# by uts_home | 2010-04-22 00:25 | コラム
理想ということについてマジメに考える
春雨、一雨ごとに暖かくなってゆく。高知の宿毛と愛媛の宇和島では早くも開花宣言。四国の西南部に思いを馳せると、訪れたことなど数回しかないのに、何故だか甘酸っぱいような気分になってくる。運転免許証を取り立てで走り回った四国山脈や、宇和海沿岸のあれやこれや、そしていつもお決まりのように見上げた桂浜の坂本龍馬像。帰省の度に、二十歳前後から大学出る二十六まで、友人達と、時には一人で、無制限に遊びほうけた、青い国・四国、我が母なる島。母なる島はもう菜の花が花盛りだという。そんな春の風景を頭に描きながら、「理想」というものを考えてみたくなった。近頃世間にそれらをまったく見出だせなくなったから。

私がまだ母なる島で漫然と学校生活を送っていた頃、世の中は東西冷戦をベースとした55年体制が強固な政治体制、価値観として健在であり、右は右なりの、左は左なりの主張を飽くことなく繰り返していた。身近には熱血漢の社会科教師が生徒の世界観を日教組のそれと齟齬をきたさぬよう懸命であったし、学校生活を離れれば、ガチガチの自民党支持者の祖父様と、全共闘世代の親父様が、事あるごとに意見を戦わせていた。今の私が考えるに、多分当時の彼らには、「こうあるべき」という社会の理想像が頭にあったと思うのである。たとえそれが『文藝春秋』や『世界』の受け売りであったとしても。

2000年代も早10年が経ち、2010年になった。「ミレニアム」と浮かれていたあの日からもう10年が経ったのである。「理想の在り方」はどうか。子供の頃に夢見ていた21世紀の暮らしはどうか。
テレビをつければまず「エコ、エコ」の大合唱が聞こえる。新しい家電や車を買うことが何故エコで、政府が補助金まで出すのか、私の頭では皆目理解出来ないが、要は資本主義の主な運動である「大量生産・大量消費」を大前提として、21世紀の今も社会は駆動しているということだ。ここにあるのは、「売上を上げたい欲」と「安く手に入れたい欲」だけで、理想はない。確かにハイブリットなど小さな理想の具象化はなされているかもしれないが、社会変革に繋がるような「理想」は、かけらもない。

ともすれば、幼い私の目には「理想」と映っていたものが実は「理想」ではなかったという、残念な夢オチの結末のような砂を噛むような心地を覚える。

日本が世界の表舞台に立ったのは85年のプラザ合意である。日本円は一気に強くなり、貿易赤字に苦しむアメリカは日本製品を締め出し、「内需拡大」と外圧をかけてきた。カネ余りの日本は猫の額ほどの土地をどんどん買った。土地の値段はあっという間にうなぎ登りに上がった。ピカソの絵もゴッホの絵も買った。エンパイアステートビルも買った。ハリウッドの映画会社も買った。買って買って買いまくった。日本の田舎には立派な庁舎を作らせた。空港を作らせた。高速道路を作らせた。簡保の宿もリゾートホテル並のをバンバン作らせた。あまつさえ各自治体に1億円も配った。
ここまで書いてきて、プラザ合意以降の日本に「理想」があったかと問われたら、私は答に窮する。やっぱり昔から日本には「理想」などなかったのか?

そしてそれをより決定づけたのが、ベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の集結である。鉄のカーテンで見えなかった向こう側の暮らしぶりを見るにつけ、「西側でよかった」と安堵する人々。そしてカーテンの向こうに「理想」を見出だしていた人々の落胆・・・。これにてか細いながらも残っていた日本の左側の「理想」は断ち切れた。

その後のバブル崩壊は、必然だった。土地転がしが永遠に続くはずがない。ジュリアナ東京で踊っていたワンレン・ボディコンのお姉さんをこの目で見たことはないが、ジュリアナの次に流行ったのは安価なモツ鍋という報道を聞いて、当時高校生だった私は呆れた。「大人ってホントに馬鹿じゃなかろうか」と思った。

住専の問題からいよいよ日本はズブズブの金融溶解の時代へと入ってゆく。日本全国そこらじゅうに焦げ付いた不良債権が転がっており、処理するごとに血税が投入され、体力のなくなった銀行は合併を繰り返し、その都度血税を投入し、異様なまでのメガバンクとなった。今素知らぬ顔して仕事している銀行マンには生卵くらいではすまないものを投げつけてやりたいが、この当時の銀行救済においても「貸し渋り・貸し剥がし対策」というお題目はあったものの、結局メガバンクが焼け太りしただけで、投入された血税が庶民のためになったとは言えない。ここにも「理想」はなかった。あったのは「銀行の国際競争力の強化」それだけであった。

理想はなくてもカネさえあれば生きていけるかもしれない。そのカネさえその日一日を購うのに潤沢な量を確保することが難しい。年間所得が200万円を切るのがザラな世の中だ。私は思う。これは「理想」を追求することを放棄し続けて、ダラダラとテレビなんぞ見ていたからこそ、ここまでじり貧になり、生活出来なくなるまで追い込まれたのではないかと。

やっぱり「生活」は闘争なのだと。明文化された権利を主張することすら憚られるこの「KY」なんぞというケッタクソ悪い言葉が、空気が支配するこの2010年日本で、高らかに「理想」を謳い上げて、背筋を伸ばして、天に唾して生きていくのが真っ当な生き方だろうと。

理想を語ろう。別に荒唐無稽でも何でもいい。理想を語ろう。どんな国になら住んでやっても良いと思えるか。各個人が、この人生で何を大事にして生きていくか。理想を語ろう。

理想を語ろう。落胆することはもう飽きた。少々のことなら耐性がついてる。人の足を引っ張る奴が必ず出てくることも知っている。その対処も知っている。
そんなことどもはうっちゃっておいて、理想を語ろう。

ジョン・レノンは言った「オイラは夢見るユメコちゃん。でも一人じゃない」

理想を語ろう。理想を語ろう。理想を語ろう。
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# by uts_home | 2010-03-15 21:26 | 未分類
Many Rivers To Cross

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# by uts_home | 2010-01-07 22:05 | コラム
生仏様45体
今年の干支は寅。私は三回目の年男である。

そんな正月明け、今週から一般病院のターミナルケア病棟のケアワーカーとして働き始めた。
三日勤務して、ウンコ・シッコの世話はなんとか慣れてきた。汚いのは汚いし、臭いのも臭いが、そうはいっても出るものはしかたがない。しかし今日の社食がカレーライスであったのはちょっと閉口したが。

病棟には45人の患者さんがいる。皆さんそれぞれ今までの人生があり、現時点ではこの病棟で生活されている方である。この病棟で生を終わられる方が多数なのかもしれないが。脳梗塞を患っている患者さんが多く、認知症患者のように徘徊されたりはしないので、ある意味介護しやすいともいえるかもしれないが、やっぱり一人一人個性も症状も違うので、大変な仕事であるとは思う。

意思の疎通が図れる患者さんは本当に数えるほどで、あとは皆さん寝たきり状態である。そんな皆さんのお顔をおしぼりで拭いて差し上げるのだが、その時は何故か心が休まる。仏様の御本尊を拭いて差し上げている気になる。亡くなった私のじいちゃんやばあちゃんに、せめて一度でもこんなことをしてあげることが出来たらよかったのになぁ、と後悔しながら、縁もゆかりもない患者の顔を拭いてゆくのである。

もちろん、飯を食わせたり、便の始末したり、風呂に入れて体擦ったり、正直汚い仕事ばかりだが、今まで35年間散々悪業を重ねて来たので、この程度は罪滅ぼしとして甘んじて受け入れなくてはいけないのかなあ、と観念もしている。

この仕事を続けていくのかはまだわからない。とりあえず、一日、一日、と思ってがんばるしかない。今の私にはそれしか出来ないから。

文末になりましたが、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
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# by uts_home | 2010-01-06 22:30 | 未分類
ブログ五周年
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http://genkoan2.blog89.fc2.com/

今日でブログを始めて五周年である。勤労感謝の日にブログを始めるという不埒な事をしたのが、もう五年も前なのである。

この間に体重は20kg増減し、大津〜新居浜〜亀岡と二度引越しをし、仕事を二つ辞め、精神科のクリニックを三つ転院し、いまだに双極性障害に悩まされ、無駄に五つ年を取った。

この五年間を一言で言い表すとするならば、『最悪』である。こんな三十代前半を送るとは、夢にも思っていなかった。病気は二年ほどで良くなり、またバリバリ働けるものと思っていた。

しかし環境要因も悪くなる一方で、私個人の力だけではいかんともしがたい社会状況にあり、いまだに浮上することが出来ない。一体全体、何処まで続くぬかるみぞ。

この五年間は、小泉〜安倍〜福田〜麻生〜鳩山と続く政権だが、自公政権時代は本当に悲惨だった。思い出したくもない。現在の鳩山政権も私はあまり評価していない。特に「事業仕分け」なぞというものは受け入れがたい。人民裁判のようであり、ファショの臭いがプンプンする。対米従属路線も従来通り。「政権交代」がなっても、この根腐れた2009年の日本においては、どれほどの意味もなかったということだろう。

テレビは相変わらず質の悪い笑いしか提供出来ず、コマーシャルは「エコ、エコ」の大合唱で、貧困問題は真面目に論じられず、自殺者はいっかな減らない。

何処に希望を見出だせばいいのか。この五年で病んだ精神に貼付くようにして残っていた心もとない希望を、まるで全てこそげ落とすようにして日は過ぎ去り、寒々と残ったのは空疎なオバマの支持率とノーベル平和賞くらいのものである。いや、こんなものは希望とは言えない。オバマの支持率は急降下しているし、ノーベル賞も地に落ちたことを立証しただけだ。

不安の時代である。誰も先が見通せない中、借金の残高だけが刻々と増えてゆく。「希望は戦争」と言い切った同年代の論者がいるが、その誘惑に負けてしまいそうになるほど、今の世界には希望がない。

そんな中で、私はこれから介護ビジネスで飯を喰っていこうとしている。介護に希望なぞはありえない。日々、生きていくことの空しさと難しさに直面しながら、命を長らえさせなくてはならない。己の命を尊重出来ない者が、他者の命を尊重出来るのか疑問だが、それでもやらざるをえない。なんでこんなところにまで追い込まれたのか?天に唾したい気持ちだ。

五年、一口で言うのは簡単だが、一体私はこの駄文を五年も紡ぐのに、どれほどの時間と労力を費やしてきたのだろう。誰からも顧みられず、問わず語りに語ってきた文章は、結構な量になる。趣味の一環と言えば聞こえはいいが、ブログとは私にとって本当は、怨嗟の、呪詛の、腐臭漂う言葉のドブのようなものだ。そんなものを好んで読んでくれる奇特な人などいるわけもなく、私の溜息は時代の風に抗うことも出来ず、人知れず、ゴミ焼却場でメタンの青い炎をちろちろさせるのが関の山なのだ。

そうは言いながら、またこれからも駄文を綴ってしまうだろう。ブログを書くことは、もう私にとっては呼吸すると同じだ。生きているかぎり、ブログを書くだろう。何の役にも立たないが、役に立つばかりがいいことでもないだろうと、開き直って書いてゆく。

今後とも『玄耕庵日乗』、より一層の御愛顧を、よろしくお願い申し上げます。
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# by uts_home | 2009-11-23 08:12 | 未分類
一香女先生への手紙
本日も爽やかな秋晴れです。気持ちが良い午後です。先生宅の真弓の実も膨らんでいますでしょうか?先日、10/28に介護研修でお世話になりました素楽でございます。

近頃は携帯電話のメールばかりで手紙を書くことなど滅多にありませんが、先日のお礼を申し上げたく筆を取った次第です。筆不精が何年ぶりかで書きます故、字も汚くお読み辛いかと思いますが、ご勘弁下さいませ。

先生から頂いた『子規山脈~師弟交友録』を楽しく拝読させて頂いております。私は今年で35歳になりましたが、その年にはもう子規は亡くなっていたのだな、とあらためて子規の成し遂げた仕事の大きさに感服するばかりです。また学生時代に読み耽っていた夏目漱石や司馬遼太郎の作品などに思いを馳せながら読ませて頂いております。明治とはたかだか100年前にしかすぎないのに、今からは想像も出来ぬほどの時代格差を感じております。そして気骨ある明治人の生き様に憧れも致します。

先生に揮毫頂いた「玄耕」の文字ですが、実を申しますと拙宅の庵号でございます。生意気にも庵号など考えて自分なりに気に入って暮らしてはいるのですが、私漢籍にまったくもって疎い故、先生が「こういう字は知らない」とおっしゃられた時には顔から火が出るほど恥ずかしかったのです。でも無理な注文にも関わらず素敵な字を書いて下さり、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。家宝に致します。ちなみに拙庵のことを「玄耕庵」と呼び一人悦に入っておる次第です。

私俳句も少しばかりやるのですが、人様にお見せするようなものが出来ない故何処にも発表などしたことがないのですが、折角子規の本も頂いたので、駄句をいくつか紹介させて頂きます。ちなみに「素楽」というのが私の俳号です。

(今年の中秋の名月に作った三句)

よい月を背中を抱いてくれる人

名月を愛でるそぶりで君の香を

酔い醒めて月かげ踏み締めて歩く

(4年前、紅葉を愛でに行った嵯峨野・常寂光寺での一句)

寂寞と風に流るる紅葉かな

人様にお見せしたことがないので、自分では上手いのか下手なのかもわかりませんが、こんなものをたまに作っております。よく鑑賞するのは種田山頭火の句なので、たまに自由律句のようなものも作ります。伊予松山で没した山頭火の生き様にも憧れるところもあります。少々破天荒過ぎますが。

介護の仕事を志した本当の理由は、自分の理想どおりのグループホームを運営してみたいと思ったからです。自分の運営するグループホームで、仲の良い学生時代の友人達に入居して貰って、終の棲家として共に楽しく暮らすというのが私の夢です。
命の尊厳や憲法25条の理念を具現化するのは福祉・介護の現場においてだと思います。そのことをいつも心に忘れずにいたいと思っております。

ヘルパーのミキ様には、二日間の研修で大変お世話になりました。またお顔を見られる機会がございましたら、よろしくとお伝え下さいませ。

これからどんどん日も短くなり寒くなってまいります。くれぐれもお体にお気をつけあそばれますよう、先生のご健康を心よりお祈り申し上げます。

                                   素楽拝
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# by uts_home | 2009-10-30 12:10 | コラム
まもなく……
みなさん、こんばんは。
『逍遥録―衒学城奇譚―』の発掘屋です。
コチラでの更新はお久しぶり。
のんびりしているうちに、もう衆院選を直後に控えております。

想えば、郵政選挙と銘打たれ、自公与党とメディアにより、本来の政策や国民の生活をまったく置き去りにしたお祭騒ぎが演出された前回の衆院選から、ほぼ4年が経過したことになります。
みなさんもご存知のように、その選挙により自公与党は3分の2以上の議席を獲得しました。

さて、そしてこの夏。
今回の選挙はどうやら民主党に“風”が、それもとてつもない“大風”が吹くであろうというのが大勢の見方のようですね。
おそらく、民主を中心とした政権が、この国に誕生します。
一方で小政党は埋没し、存在意義がなくなる恐れがあります。
いわゆる二大政党制の嚆矢となるのかもしれません。
今ボクらは、ある種の興奮の中にいると云えるでしょう。

ですが、ボクはそれに非常に危ういモノを感じます。
感情は、ひとときの興奮時をぬければ、急に冷めていくものです。
民主政権になった途端、日本の景気が回復するなど夢物語です。
政治には時間がかかります。
特効薬はありません。
ましてや自公与党の手によって、破壊されつくした日本のシステムを、再び正常な軌道に乗せるのには、とんでもない時間と気の遠くなるような根気が必要です。
興奮の中で支持した者たちに、ソレが待てるのか、我慢できるのか?

庶民は決してバカではありません。
今回は解散、解散と云われてから長い時間がありました。
その間、いえ前回の選挙から、検証する時間は充分ありました。
その上での判断が下されるのです。
ですが、そのような冷静な判断とは別に、民主が大勝するという浮ついた雰囲気ができあがってしまっているコトも、また事実です。
この4年間は、この国が今後どのように進むべきかをじっくり考える貴重な時間であったはずです。
しかしその実態は、浮ついたお祭騒ぎ、お祭騒ぎ、お祭騒ぎ……

郵政選挙の結果、どのような国となったか?
庶民にどのような利益を与え、また不利益を与えたか?
自公与党のこれまでの政策は正しかったか、これからの政策は庶民に幸福をもたらすものか?
民主の政策は庶民のためになるのか?
自公がダメだから、自公にお灸をすえなければ、そんな理由で民主を支持してよいのか?
どの政党が一番庶民のためになるのか?
将来のヴィジョンは?

そういった根源的な議論が、なされたでしょうか?
政治家も相手を誹謗するコトにやっきとなって、そのような根気や地力の必要な議論を避けてきました。
もちろん民主党の政策にも、高速道路無料化など、まったく賛成できないものも多い。
一方、今までしてこなかったくせに、選挙前になるとアレもやるコレもやると云う自公与党の欺瞞はそれ以上に信用できない。
メディアは小沢と西松との関係、首相の漢字読み違いや失言などのゴシップを追跡するばかりで、庶民の眼を政治の本質からかけ離そうとしているように感じます。
衆院選を直後に控えた今、自分たちの未来について、どれだけしっかりとした話し合いがなされてきたか?
中途半端な熱狂の中、ボクらは確かな手ごたえを感じているのか?
自分たちの下した判断に、根気と覚悟を以って未来を託すことができるのか?

与党は云います。
「自分たちには実績がある!責任力がある!」
だからこれからの国政も任せてもらいたい――と。
なるほど、与党の政策により、庶民の生活が豊かになったのなら、それもよいでしょう。
でも実際はどうでしょうか?
この4年間に、自分たちの生活が向上したと感じられるヒトが、一体どれぐらいいるでしょうか?

ボクの眼に映るのは、彼らの悪政により、疲弊しつくした善良で平凡な多くの庶民です。

ボクのように、政治や社会について何か発言しようなんてガラでもない人間が、たまにそんなハナシをするのも、前回の選挙により、ボクらが直面したモノ、ボクらに押し付けられたモノが、あまりにボクらの手に余るからです。
ボクに大きな欲はありません。
ただ自分の身丈にあっただけのモノがあって、それがみとめられ侵されない世界があれば、充分なのです。
だから、少しずつですが、こんなハナシをしてきた。
日本を変えようとか、そんな大それた想いはない。
ただ、ほんの少しだけ、こんなコトを考えてるヤツがいるんだなぁって、誰かが知ってくれるだけでよかった。

まもなくひとつの決断がなされます。
そしてこの国は、その決断に身を委ねることとなるのです。
願わくば、その決断が、ボクらの未来をよりよき方向へ導かんことを。
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# by uts_home | 2009-08-28 23:40 | コラム
彼と彼女のブルーズ(3)
もう冷めてしまった不味い缶コーヒーを口一杯に含み、目一杯倒したシートから少し体を起こす。知らないうちに眠っていたようだ。日曜日の朝一番の新幹線は乗客もまばらで、徹夜明けの秋山の神経を逆撫でる者はいない。少し霞んだ目で車窓を見遣る。朝焼けが綺麗だ。久しぶりに見る朝焼け。東の空の雲に映える赤、オレンジ、白、紫、濃紺のグラデーションが、今日もきちんと一日が始まることを知らせる。窓の外は日が昇る前の一番の冷え込みだろう。枯れた田圃と視界を遮る低い山並みがいつまでも続く。秋山の目に映るそれもこれもが誰かの所有地であり財産であり、七面倒な文書や記号が貼りついている。手を入れたり相続する人のいなくなった田畑もあるのだろうらぶれた田舎の景色。だがそれもこれも他人の秋山には関係ない、ただ流れていくだけの景色に過ぎない。ある時は素晴らしく感じ、ある時は鬱陶しく感じる「距離」を埋めている景色だ。年を取るにつれて「旅情」とは程遠い、魅力的でない「移動」が増えていく。
 
 新幹線を降り在来線のホームへ向かう。駅構内では耳慣れた方言の人々が行き交い、特産物をキャラクター化したマスコットのハリボテが秋山を迎える。乗り換えの有人改札の上にある時刻表を眺める。いつの間にか電光掲示に替わっていた時刻表を見ながら、田舎もそれなりに変わっていくものだな、と思う。乗り換えまでまだ時間がある。「小腹が空いたな」と思い、立ち食いそば屋で七味をたっぷりかけたたぬきそばを啜る。美味くも不味くもない、駅の立ち食いそば。一時腹を満たすためだけの食事。味も素っ気もないそれは、なんとなく人生に似ていると秋山は思う。
 すっかり日の昇ったホームで一時間に二本しかない列車の出発を待つ。喫煙スペースがホームの一番端にあり、面倒臭いな、と思いながらそこまで歩いて一服つける。ジャージ姿の女子高生の団体が、長い弓を持って同じホームに立っている。きゃあきゃあと嬌声を上げながら、お互いの脇腹をつつき合ったりしている。彼女達の人生にとって、多分今が一番夢も希望もある時期なのだろう、箸が転んだだけでも可笑しいはずだ。
 入ってきた二両編成の列車に乗り込むのは、秋山と女子高生にあと二人。目的地までの五十分、少し眠りたいので女子高生とは違う車両に乗る。暖房のおかげで自然と瞼が落ちてくる。見知った景色を眠い目擦りながらわざわざ眺める義理はない。列車は冬晴れの穏やかな海沿いの線路をコトコトと走り抜けてゆく。

 終点から一駅前の駅で降りる。何度となく乗り降りした木造の小さな駅舎、飲み明かした体にはただただ面倒臭さが先にくる。駅前に一台しか待っていないタクシーに乗り込み、行き先を告げる。地元の言葉で話す運転手のお喋りには耳を貸さず、ただただ腕を組んで窓の外を見遣る。国道沿いに全国フランチャイズの外食チェーン店やコンビニがポツリポツリと出来ている。来年開通する高速道路のインターに繋がる県道沿いの、だだっ広い駐車場を持つコンビニでタクシーを待たせ、缶コーヒーとワンカップを二本ずつ、線香、それに封筒を買う。その後コンビニの周りをグルリと回りながら煙草を一本吸う。此処は以前秋山の母の実家があった場所だ。秋山自身も小学五年から高校卒業まで此処で過ごした。歩きながら、以前の家の間取りを思い出そうとするが、年々その行為もおざなりになっている。辺りの景色も徐々に変わってきた。ここを離れて十二年、もう郷愁を誘われることもなくなった。再びタクシーに乗り、買ったばかりの封筒に比較的綺麗と思われる一万円札を二枚入れる。タクシーは音もなく出発する。

 両親の離婚が原因で、秋山がこのミカン山に囲まれた土地にやって来た頃、日本の経済はまだ没落の徴候すら見せておらず、父親と別れた寂しさはあったが、よくしてくれる母方の祖父母と母、六つ違いの妹とともに暮らした日々に振り返りたくないような思い出はなかった。小学校ではよくある転校生へのいじめにも遭うには遭ったが、そんなに陰険なものではなく、ガキ大将と一度拳を交えた後は、みな仲間と認めてくれた。それから地元の少年野球チームに入り練習に明け暮れる毎日だった。今思い返しても、少年時代に暗い面影はなく、幸せな少年時代だった。子供の夢を尊重してくれる大人がいて、大人達もそれぞれの暮らしを落ち着いて送っているように見えた。世界は強固なもので、明日という日を迎えるのに不安を掻き立てられることはなかった。家の周りを囲むミカン山はその姿を変えずに、秋山が死ぬまでそこにあり続けるものだという、根拠のない確信があった。
 しかし今日見るミカン山は荒れ放題で、大きくなって自然に落ちたミカンが山の斜面を転がったり、木の根元に落ち放題になっていた。ミカンを作る人も減って、山が捨てられているのだろう。随分使われていない錆びたミカン運搬用のレールが、山の斜面に幾筋も残るだけだ。人の姿はまったく見えない。直接の原因は、オレンジの自由化だろうと秋山は思う。ミカンを作っていた人達は猛反発したが、時の政権の政策方針は彼らを一顧だにせず、アメリカから安いオレンジが大量に入ってきた。それだけのことで、秋山の知っていたこの辺りの景色が徐々に変わっていくことになり、あれだけ明るく自信に満ちていたように見えた大人達も不機嫌になっていった。以来十数年、大人達の心からの笑顔を見ていないような気がする。それは秋山自身も含めて。

 タクシーはミカン山をひとつ越え、山の斜面に並んで張り付くように慎ましやかに佇んでいる墓地へと向かった。
幼い頃は、墓参りに行くのが楽しかった。一家総出で弁当を持って、たまに軽トラックが通るだけのミカン山の山道をポツリポツリ、祖父から昔話を聞いたり、左手に広がる穏やかな海を見たり、流れる雲に心遊ばせたりして、墓地までの道を歩いた。祖父はよく戦争の話をしてくれた。祖父にとっては地元を離れる最初の機会だったらしく、軍隊での共同生活もそれなりに楽しかったと言っていた。それは多分、外地へ赴くことがなかったのが大きな原因だろうと、中学生になった秋山は思ったが、祖父の出征前の写真を見せて貰うと、写真の中の二十歳の祖父はやはり幾分緊張した面差しで、生きて帰ってはこられないことも覚悟していたのかなとも思った。
タクシーを山の麓で待たせておいて、秋山は急な斜面を登って行った。秋山家の墓は、墓地の一番奥の山側にあった。祖父母は家と土地とミカン山を売った金で有料老人施設に入ってまだ健在なのだが、母は四年前に他界していた。くも膜下出血だった。珈琲と酒が好きな人で、いつか自分で喫茶店を持つのが夢だと言っていた。墓に手向けられている花はもうだいぶ萎びていた。そういうと、秋山は墓に花を持ってきたことがない。いつも缶コーヒーとワンカップを一本ずつ墓に供え、線香を焚き、墓の前で自分も缶コーヒーとワンカップを飲み、亡き母との時間を過ごす。墓に参る度に、なかなかいい話が持ってこれないでいる。それでつい、墓参の足も遠のく。「早く嫁さんでも見つけなさい」と墓の下から母が渋い顔をして言っているようだ。「そういろいろうまくはいかないんだよ、かあさん」と秋山はひとりごちる。
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# by uts_home | 2009-08-17 02:30 | コラム
彼と彼女のブルーズ(2)
由紀が教員を辞め実家に帰ってきて、もう四年になる。憧れだった小学校教諭の座につくのも並大抵の努力ではなく、浪人までして全国の教員採用試験を受け続けて何とか勝ち得たものだったが、晴れて赴任した海沿いの工業都市の小学校、実際の現場は想像していた以上に大変で、由紀は日々精神をすり減らしながら児童と向き合っていた。不調はある日突然やってきたというわけではなかったが、自分ではそう認識しにくい。学校に行くのが辛くなるとは思ってもみなかったが、医師の診断は鬱だった。しばらく休職した後、出たり休んだりを繰り返していたが、そんな自分が嫌になり、結局地元に帰った。両親は安堵したようで快く一人娘の帰還を受け入れてくれ、由紀の生まれて初めての一人暮らしも終わりを告げた。都合四年の教師生活だった。
 帰ってきてしばらくは何もせず、専業主婦の母の手伝いをしたりしていたが、近所のおばさんが「もったいない」と言って持ってきてくれた塾講師の話に乗り、三月ばかり小学六年と中学三年のクラスを受け持った。しかし教室で生徒のまっすぐな視線を受けると、由紀はうろたえた。「私はこの子達に何を教えればいいのか」と、学生の時は大層に持論をぶっていた教育論は何処へやら、人としての自信すら失いそうになり、子供と向き合うどころか自身のことも霧の彼方のようで、そんな自分を叱咤しながら教壇に立つには立ったが、そんな日々が長く続くはずもなかった。由紀はまた自室で過ごす時間が増えるようになっていった。

 閉じこもりがちになる由紀を連れ出してくれたのは、学生時代の親友の香織である。香織は由紀が地方に赴任している間に、学生時代から付き合っていた彼と結婚し小島から大野へと姓を変えていたが、しっかりと実家の近所にマンションを借り快適な結婚生活を送っているようだった。正直、人生を順調に歩んでいるように見える香織を見て内心穏やかでない時もあるが、「人は人」と割り切らなければまた不調の種になってしまう。そうは言っても、三十を過ぎてしまった身には言い訳にしかならないかもしれない。不調、不調、といっていても、時は過ぎる。過去は還らない。
 もう一人、由紀に刺激を与えてくれるのが、これまた学生時代の親友の尾崎佐智子だった。佐智子は帰国子女で、学生の時から夜のバイトをしたり何かとハジけた女だったが、本人の第一志望で入った教育出版社をあっけなく二年で辞め、今は大手の経営コンサルタントで通訳をしていると言っていた。いうなれば佐智子も教育に合わないタイプの人間だったということだ。色恋もそれなりに派手に楽しんではいるようだが、妻子ある男との関係が五年も続き、それが頭痛の種になっているようだった。前回お茶した時も「そろそろ潮時かも」といつものように眉間に皺を寄せて葉巻の甘い煙を吐いていた。由紀には何故そんな思いをしてまで不倫を続けるのかわからなかったが、何事にもハッキリしているタイプの佐智子がことこの件にだけグズグズしているというのは、やはり男と女には、二人だけにしかわからない何かがあるのだろうと推察するしかなかった。もちろんお互い三十も超えて、それぞれの色恋に忠告するような野暮なことは出来なかったし、由紀は不倫でも道に外れた恋でも何でもいいから、久しぶりに胸が高鳴る気持ちになりたい、と佐智子の話を聞くといつも思った。

 由紀の朝は遅い。午前十時を過ぎてもまだベッドの中にいることが多い。母親ももう起こしにくることはなくなった。百円均一ショップでのバイトは午後四時から午後十時までの六時間。その他の時間は自由だ。有り余る自由。悲しいパラサイト・シングル三十代の自由だ。この自由を金銭に換算すればいくらだろう。この自由を得るまでに人類が屠った血の量は如何ばかりだろう。毎朝、そんなことを思いながらしばらく自室の天井を眺める。睡眠薬のせいで少しボーッとした頭を持て余しながら、ベッドから起き出し窓の外を見遣る。街路樹はもうとうの昔に裸になっており、冬の優しい陽射しが穏やかな住宅街を包んでいる。音ひとつない。音ひとつない世界に、私ひとり。そんな気持ちに陥ると、きまって大声を出してこの静寂を破りたくなった。しかし部屋のドレッサーに映る由紀は、そんな突拍子もない行動が似合う小娘では、もうなかった。ドレッサーの中の寝起きの自分の顔をしげしげと直視した後、いつもこんな気分に陥った時はそうするように、ニルヴァーナの『Never Mind』をヘッドフォンで大音量で聴いた。
 階下のキッチンで味噌汁の鍋を暖め直していると、勝手口脇のコルクボードが目についた。ピン止めされているメモ帳には「AM10:00~PM3:00 ひまわり。母」とある。母親は最近近所の老人福祉施設で昼食介護のボランティアに出ている。今日も家族の誰とも顔を合わさない日になるだろう。そのほうが、気が楽でいい。
 母親には「介護ヘルパーの資格でも取れば」と勧められたが、子供相手の仕事をした後、何故老人相手の仕事をしなければならないのかと噛み付いた。母親の通っている老人福祉施設も覗きに行ったことはあるが、あのなんとも言えない時間の流れに背筋が寒くなるような思いがした。由紀以上に無駄に息をし、時間を持て余している存在がそこかしこにいた。自分が自分であるかどうかもわからない、ただ生きているだけの命がそこにあった。かつては誰かの可愛い息子であり娘であり孫であった存在が、頼りがいのある父であり母であった存在が、皆一所に集められ強制的に寝起きさせられている。そこに命の尊厳を、由紀は感じることができなかった。己の人間観、人生観の乏しさを歎きもしたが、実際に臭いのする赤の他人の老人達を前にして、手を差し伸べたいとは素直に思えなかった。施設には多くの若者達が働いていたが、彼らには感嘆こそすれ、その心情は理解しかねた。対象は日々死にゆく人々なのだ。そんなことを言ったら「人は生まれた時から死に向かって歩いている」と言われるかもしれないが、実際にただ単に死までの時間を引き伸ばしているだけに見える対象に対して、愛情を持って接するなど出来ることだろうか、人は人に対してそこまでの思いを持てるものだろうか、と由紀は考えた。勿論彼らだって仕事だからそれをやっているのだ。由紀が以前子供達に掛け算を教えていたように、オムツを取り替え、風呂に入れる。そこに個人的な感傷を差し挟む余地はない。早く割り算を覚えさせることが肝要なのであり、上手に体位交換できることが重要なのだ。サービスの受け手の立場に立って物事を考えなければ、しばし労働従事者は己の存在意義を見失うことになる。とはいえ、やはり日々育ち成長していく子供達と、日々老いさらばえていく老人達とでは、あまりにギャップが激しすぎた。こういうことに逡巡しだすと、由紀は決まって「本当のところ、私はそんなに人間が好きではないのだろう」と結論づけた。そうやって、自分自身からも距離を置いていた。何事も深く考えることに臆病になっていた。そんな状態で、万が一出会いなどあっても恋などできるはずもなかった。
 味噌汁にご飯に漬物と簡単な朝食兼昼食を済ませ、見るともなくいつものように昼の連続ドラマを見、続けて始まったワイドショーの中の喧騒に嫌気がさしテレビを切った由紀は、バイトに出かける準備をした。さすがにスッピンではもう表に出られないので薄く化粧はするが、格好はいつもトレーナーにジーンズにパーカーといったラフなものだった。電車で行けば二駅かかるバイト先までの道のりを、由紀は線路沿いの道を四十分かけて歩いて行った。毎日歩いていると、日々景色の中の変化を感じることが出来、それが今の由紀の唯一の楽しみだった。それに歩いていると、体調も整えられて脳の具合もよくなる気がした。この道を真っ直ぐ行けば何処まで行けるのだろうと、小学生の男の子みたいな事を考えながら歩くのは楽しかった。世界の中で由紀だけが、カネにも毒されず、時間にも束縛されず、真っ当に生きている気持ちになれるのも嬉しかった。
 バイト先での仕事は単調そのものだった。入庫品を検品し、品物を棚に揃え、レジを打ち、お辞儀をする。由紀の目から見ても、よくこんなものが百円で売れるなという品物がたくさんあった。大方中国あたりで大量に安く作っているのだろうが、これを作っている中国人達の生活を想像すると、やっぱり日本は豊かなのかもしれないと思ったりもした。そうはいっても、近頃は生活必需品を百円均一ショップで賄う人が増えていて、日本の不景気の根は深そうだった。そんなことを考えながらも、黙って品物を選んで買っていくだけの客の相手は、精神的に楽だった。ナマモノとしての人間を感じずに済んだ。経済的合理性だけで動く計算可能な存在としての人間のほうが、子供や老人の相手をするよりはるかに簡単だと思うが、世間一般では大人相手の仕事のほうに価値があるように思われ報酬も大きい。それに比べて子供や老人相手は苦労と報酬の面で言えば、ほんと好きでないとやっていられないと思う。それもこれも、多分政治が悪いのだろうというくらいは由紀にも分かるが、かといって積極的に政治にコミットしていこうという気にもなれなかった。あれこそカネに縛られた、人間としては最低な生き方だと思う。
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# by uts_home | 2009-08-17 02:18 | コラム
彼と彼女のブルーズ(1)
村瀬は休日出勤の帰宅途中の車の中、いつもつけっ放しにしているFMラジオを聴くともなく聴いていた。山手の住宅地へ向かう片側二車線のレーンはテールランプで埋め尽くされている。その上をモノレールが音もなく滑ってゆく。いつもこんな早い時間に帰宅することがないので、帰宅ラッシュの波に少々イラつきながら煙草に火を点ける。ラジオの番組が華やかなクリスマスソング特集からニュースに切り替わる。派遣労働者に対する急な契約打ち切りの話が全国各地の自動車工場を中心に起こっており、この年末には大量の派遣難民が発生するとニュースは告げた。
「帰る家と仕事があるだけマシなのか・・・。」
と村瀬はひとりごちた。確かに工場の人員も、繁忙期の今は多くの日雇いバイトがギフトセットの生成に励んだり、多くの出荷量に見合うだけの車が混みあったりしているが、これも年が明けると場内がガランとするのは毎年のことだった。一サラリーマンの村瀬には、事業主の年末の資金繰りの辛さなど想像も出来ないし、日々自分の仕事をこなすだけで精も根も尽き果てるばかりだが、世界同時不況と言われる昨今、その影響は村瀬にも遅かれ早かれ及ぶことは明らかだった。自分一人ではなす術もない、なんとも言えない閉塞感、何処にぶつけたらいいのかわからない苛立ちを、ここ数年村瀬は抱え込んでいた。そんな村瀬に嫌気がさしたのか、妻の理恵は何も言わないままひっそりと家を出、今は誰も待つ者もいない2LDKのマンションに帰る日々が続いていた。
 車をマンションの最寄りのコンビニの駐車場へ入れる。シャンプーが切れていたか。シェービングクリームも買わなければと思いながら、「いらっしゃいませ」という無機質な声をすっきりしない頭の中に織り込んで、買い物カゴに手をやる。安い詰め替え用のシャンプーと敏感肌用のシェービングクリームをまずカゴに入れた後、冷蔵庫の前に立つ。いつもの『東洋ゴールデンラガー』五百ミリリットルの六缶パックをひとつ取り出しカゴに入れ、店内を回ってスモークチーズとサラミをその上に入れる。レジ横で大きな容器に一杯のおでんを入れ、マイルドセブンライトのボックスを一箱貰い、清算する。五千円札を出したがそれでは足りなかった。しかたがないのでスモークチーズを諦めることにする。
明りの灯っていない家賃十万円の我が家へ帰る。いつまでここを借りるつもりなのか、自分でも判然としない。考えることを放棄している。惰性でここに帰ってくるだけだった。妻の去った後の家は、男の一人暮らし特有の臭いが立ち込め、日々散らかるだけの空間になっていたが、段々とそういう家のこと全てに鈍感になり、カーテンなどここ何週間も開けた記憶がなかった。コンビニのビニール袋が散乱しているフローリングの床に、コート姿のまま直に座り、新たなコンビニの袋を開ける。ビールの六缶パックのカートンを破り、冷えた『東洋ゴールデンラガー』を一気に喉に流し込む。おでんの容器に無造作に割り箸を突っ込み、しらたきや大根をやっつけながら、立て続けにビールを二本空けたところで、人心地ついた。夏のボーナスでちょっと奮発して買ったオーディオの電源を入れ、最近よく聴く戦前ブルーズに耳を傾けながら「こんな根っから音質の悪いCD聴くんじゃ、このオーディオ勿体なかったかな」と思いつつ、単純なフレーズを口ずさむ。「最後の勝負も勝ち目なし」などと繰り返し口ずさみながらしばらく聴いていたが、このままどっぷりとブルーズの波に浸っていたんじゃ人間が駄目になる、と半分酔った頭で思い直し、とりあえずシャワーを浴びることにする。熱いシャワーで、日々の憂いも何もかも洗い流すことができたらどんなにか楽だろう。

 シャワーから上がってくると、携帯に着信とメールが残っていた。工場で一緒に働いている一年目の大西からだ。同期で忘年会をやっているらしい。「何処か二次会にいい店を知らないか」という内容。「よければ一緒に飲まないか」という誘い文句もあった。シャワーを浴びてさっぱりした村瀬は、普段なら無視しかねない内容のメールに返信してやろうと思った。そして、この部屋で鬱々と一夜を過ごすよりは、煌びやかなターミナル周辺の空気を吸うのも悪くはないだろうと思い、誘いに乗ることにした。若手の相手をするのはそれなりに面倒くさいことではあるが。
「一時間後、高島屋の正面玄関前」
とだけ返信し、セーターにチノパン、コートにマフラーにスニーカー履き、といったラフな格好で身繕いを済ませてから、風呂上りのビールを一本飲み、夜風の冷たい中、最寄りのモノレールの駅まで駆けていく。

 山手の新興住宅地、と言ってももう三十年も前に開発された土地、村瀬が生きてきた年数と変わらないだけの「歴史」を持った街を、村瀬は駆ける。鉄道路線はモノレールがひとつきり。団地の周りには大きな外周道路、あとは毛細血管のように狭い道が団地の隅々を通っている。大型のショッピングセンターもあったが、一昨年破綻。小さなテーマパークもあったが、それも破綻。今は建物だけが寂しげに残っている。都心の地価が大幅に下落し再開発が進む中で、この街にも新住民が入ってくることは少なくなり、住民の高齢化が問題にもなっている。村瀬は初めこの土地に暮らし始めた頃、どれも似たような建物ばかりが並ぶいくつもの通りを見て「これは確実に自分は迷子になる」と思った。東西南北の方向感覚すらおかしくなるのではないかと思っていたが、似たような住宅地育ちの妻の理恵には、これが故郷の景色だった。「なんとなく落ち着く」と理恵は言い、建物に挟まれた陽の射さない狭い公園で四つ葉のクローバーなんぞ見つけてきては、押し花にしてリビングのテーブルに飾ったりしていた。「こんな面白みもなにもない建物ばかりの平坦な風景が故郷の景色になるのか」と、山間の小さな村で育った村瀬にはショックだったし、この土地には神様はいないだろうと思った。神様のいない計画された街で計画された暮らしが計画通り進むという僥倖に恵まれたのは、高度成長の終わりからバブル崩壊までのほんの一時で、村瀬が入ってきた頃はもうその計画の杜撰さばかりが目に付くようになっていた。村瀬はこんなところで子を授かるのは嫌だったし、かと言って田舎に仕事があるわけでなし、理恵を説得する自信もなかった。
 そんな自分にとっては特別な感情を何一つ思い起こさせない土地に寝起きしながら、惰性で職場と家の往復をするだけの日々だった。理恵との仲が冷め始めたのはいつ頃だったろう・・・。そういった相手の些細な変わり方にも鈍感でなければならないほど、仕事というものは村瀬に全神経を使うことを強要した。朝はまだモノレールが動き出す前に車で工場へ向かい、帰りはもうモノレールの営業が終わった後、ヘトヘトの体で車を運転して家に帰る。シャワーを浴びて缶ビールを二本飲むのがやっとで、テレビはおろか新聞を読む気力もない。通勤時に車のラジオを聴かなければ、世の中がどうなっているのか一切知るよしもなかった。興味を引かれるようなニュースはいつだってなかったが、仕事場以外での言葉を聞くと、自分もまだなんとか世の中の淵に引っ掛かっているとは思えた。そんな調子では、妻の理恵と充実した夫婦の会話など交わすことも出来ず、リビングのダイニングテーブルで放心したようにビールを飲みながら、一方的に喋る理恵の言葉を脳を介さずに聞き、ただただ頷きを繰り返した。一体彼女は何をあんなに一生懸命話していたのか、一人になった今思い出そうとしても、紅潮した顔で話すその姿は思い浮かべられるのだが、その内容となると一切思い出せなかった。そのことに思い至った時、理恵との時間とは一体何だったのだろうと村瀬は一人考えた。そんなにまでして傾注している仕事だったが、給料が上がるわけでも、満足に日々こなせているわけでもなく、生活においても仕事においても、自分に自信なぞ何ひとつとしてなかった。しかし、今夜も酒を飲んだら、また大西達に社会人としての生き方なんぞを口角泡飛ばして説教するのだろう。
「不毛だなぁ。」
大きくひとつ溜息ついでに声を出して「不毛」と言ってみる。闇夜を裂くようにホームにモノレールが入ってくる。「いつだって飛び込めるんだぜ」と内心わけのわからない悪態をつき、モノレールに乗り込む。モノレールは音もなく村瀬の体を都心へと滑らせて行った。
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# by uts_home | 2009-08-17 02:17 | コラム
大文字の夜に・・・
メールありがとう。すぐに返信出来なくてごめんなさい。
民孝さんも心配してくれているのですが、まだ連絡を取る気になれないでいます。お察し下さい。

残念ながら不格好なことになってしまって、二週間ほど寝て過ごしています。
主治医に診断書を書いて貰って、一ヶ月間の休職という形になっていますが、多分クビになると思います。郵便局の仕事を失うことに関しては、さして後悔はないのですが、「はな串」やリド飲食街に行けなくなるのが淋しいです。せっかくみんなと仲良くなれたのに。

思えばいつもそうでした。今回の郵便局で長期で働くのは三度目ですが、毎回仕事を失う事に対する後悔はないものの、その土地土地で仲良くなった人達と会えなくなるのが堪らなく淋しいのでした。

mixiに写真をアップしてくれているので、チアキの様子がよく分かり、いつも微笑ましく見ています。頑張っているね。自分の進むべき道にまっすぐ突き進むチアキに、若さと爽やかさを感じさせて貰っています。やっぱり青春とはかけがえのないものだな、と写真の中のチアキを見て思ったりします。

この二週間はほとんど酒を飲んでいないので、その代わりというわけではないですが、集中的に本を読んだりDVDを見たりしています。少し体調が悪いほうが、難しい内容の本は頭に入るようなのですが、読んでいるのが結局、今回の不況の解説だったり、いかに日本の近代化が稚拙だったかの論説だったり、太平洋戦争時の軍部の愚かさだったりするので、一向に気が晴れません。DVDもつい戦争物やシリアスな物を借りて来て見てしまうので、これまた鬱をますますこじらせるようなことになっているのです。自分で「馬鹿だなぁ」と思いますが、なんともしようがありません。

「外に飲みに行きたいなぁ」とも思うのですが、なんとなし思いきりが悪く、コンビニ弁当ばかり食べています。残念な事に薬のせいで食欲は旺盛で、痩せる気配はありません。

あぁ、久しぶりのメールでつい喋り過ぎてしまいました。ごめんなさい。この二週間、メールも電話も一切せず、ブログもほとんど更新していなかったものですから、喋りだすと止まらなくなってしまいました。

しかし今年の夏は夏らしい日がなかったですね。今夜は五山の送り火ですが、この行事が終わると夏も終わりという気がします。祇園祭から送り火までが「夏」という感じですかね。今年は一回も泳ぎに行けなかった、それどころか海も見なかった、残念です。

チアキは実習頑張って、充実した夏にして下さい。


追伸:もう少し元気になったら、ホームヘルパーの資格でも取ってみようかと思っているのですが、またアドバイスなど頂けると有り難いです。よろしくお願いします。

では、また会える日を楽しみにしています。
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# by uts_home | 2009-08-16 18:10 | 未分類
国棄て宣言
仕事終わり、いつまでも梅雨空の晴れない京都は堀川塩小路の焼肉屋で同僚達と飲んだ。私の今の収入では焼肉なぞ食える身分ではないのだが、たまには肉だって食いたい。

我が身の恥を殊更に言い募るようで恐縮しきりだが、今の私は非正規雇用の35歳、今月の給料は72000円である。ワーキングプアなんて生易しい言葉では足りない、『赤貧』の日々である。正直タバコ銭にだって事欠いている。どこに女の子を引っ掛けるための軍資金があるというのか。もちろん今宵も淋しい夜を終電に乗って駆け抜けるのである。この闇夜を突き抜けたら、どんな景色が待っているというのか。

過去にややこしいいきさつはあったが、『世に倦む日日』は欠かすことなく読んでいる。すべてにおいて首肯するわけではもちろんないが、四年前と変わらぬ精力的な筆致には、今も頭が下がる思いでいる。
今日のエントリでは民主党のマニュフェストから『格差』の文字が消えたとあった。これは由々しき問題である。私のようなワーキングプアを突き抜けた赤貧の民にとっては、希望を奥歯からねこそぎ抜かれたようなものである。今の日本社会で『格差』以上に重要な政治課題などあるのか。

日々、非正規雇用の同僚達と働いている。頭を傾げることが多い世の中だが、「なんでこんなに優秀な人材がこんな報酬なのか」と、喉の詰まる思いがする。日本の若くて優秀な人材は、チャンスも与えられず棄てられている。『棄民』である。国が私達を棄てるなら、私達も国を棄てるまでである。今度の選挙結果如何に関わらず、国棄ての心の準備だけはしておこうと思う。

毎日、四条烏丸界隈を郵便物を集めながらテクテク歩いて思うのは、『殺すなかれ』、このことだけである。単調で成果の見えない郵便物集めをしながら、「殺されることあっても殺すことなかれ」この一念だけで歩いている。逆説的かもしれないが、今は「殺さない」ことの矜持だけで生きている。正直、いっぱいいっぱいである。
はっきり言って、「希望」は1ミリも見えない。それでも生きていかねばならない。窮余の策で私は歴史に答を求めた。宗教に、仏教に救いを求めた。「般若心経」を朝夕に唱える毎日だが、それで問題が解決するとは到底思えない。やっぱり政治の力が必要なのである。その政治の、次の政権を担おうかという政党が、『格差』を問題にしない。これこそ欺瞞ではないか。国民を幸せにする気など毛頭ないのではないか。

赤貧の民である素楽は問いたい。どうして経団連との数年ぶりの政策協議に踏み切って、それをそのまま持って帰ってきてしまったのか。労働者を断固守ると何故言えないのか。そんなことをチンタラ表舞台やら裏舞台やらで演ってるうちに、こっちはもう「国棄て」始めるんだかんな。あわてんなよ、バカどもが。

今宵のYouTubeは、懐かしいとこ行きましょう。岡林信康で『私たちの望むものは』。お聴きください。

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# by uts_home | 2009-07-29 01:00 | コラム
チェット・ベイカーという堕天使
腹ペコの体を抱え電車に乗って庵に帰ると、同時進行でしたい物事が多くて困る。まずは「労働」でかいた汗をシャワーで洗い流したいし、風呂上がりにビールは飲みたいし、腹は減っているし飯は食いたいし、疲れを癒すジャズをゆったりと聴きたいし、そうはいうもののニュースも見たい。
というわけでまずはビールを一杯空けてから、おもむろにご飯をかき込み、腹の虫が治まってから本格的に飲むことになる。こんなことをしていたら太るのも当たり前である。そして今夜は久しぶりにモダン・ジャズの資料的DVDをかけながら、イカの刺身なぞつついてビールを飲んでいたのだが、どうにも「報道ステーション」の様子が気にかかり、麗しき音楽の時間も即中断である。ニュースとは無粋なヤツである。
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官製ワーキングプアの問題を特集していたが、ひどいものである。一気に酒がまずくなる。実情はだいたい世間を見ていればわかることだが、この体制で事業を継続していくことのマイナス面というのは、当の担当者レベルでは如何ともし難いことなのであろう。懐かしい『合成の誤謬』の典型である。原理原則をはき違えるからこういう問題が起こる。「だれのために、何のために、どうやって、」戦前の関東軍の愚挙を笑えない事態が日本中の自治体で起こっているということだ。こういうことが積もり積もって、いつか決壊した時には、もう万全の態勢を敷いている戦時経済体制に有無を言わさず組み込まれてゆくのだろう。

あぁ、いやだいやだと思いながら、布団の上に寝そべって、辺見庸がチェット・ベイカーについて書いた短編を読み直す。チェットの堕ちきった、麻薬に取りつかれたその何の反省も悔恨もないプレイが、痛みを癒すわけでなく、痛みを忘れさせてくれる、という箇所が気に入っていて、読み終えると聴きたくなり、またぞろ起きてきてパソコンを起動し、YouTubeで聴くことにする。睡眠薬は随分前に飲んだが、チェット・ベイカー聴くのに烏龍茶はないだろうってんで、安ウイスキーに氷を浮かべて、しばしの邂逅、まったき無為な時間。魂にも緩めてもいい時間帯ってのがあるのさ。みんなが生産性や効率のことばかり言っていたら、やっぱり息が詰まるじゃないか。それでなくてもバンバンな閉塞感に追いまくられて一息つくことも出来やしないというのに。そんな時は、なんのメッセージもない、このとんでもないジャンキー野郎のチェット・ベイカーのプレイに耳を傾けて、魂を軽くするのさ、タンポポの綿毛のように。何も語らないってことは、時として癒しにもなる。無為に過ごす時間は通り過ぎる時間がすべて等質なものだと錯覚させてくれる。この錯覚から目覚めたくはないのだけれど、ジャンキーでない私はそうもいかなくて困ったものだ。しかしこの演奏は素晴らしい。辺見庸は良さが分かるまでに60年かかったと書いていた。私も素晴らしいとは言いながら、なんらその本質はわかっていないのだろうな。

では今宵のYouTubeはチェット・ベイカーで『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』。どうぞごゆっくりお聴きください。

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# by uts_home | 2009-07-28 00:46 | コラム
辺見庸という逃避
衆議院解散があって、皆既日食に沸いて、そういうことどもとは微塵の交わりもなく私の人夫仕事の日は暮れ、その憂さを串かつを生ビールで胃袋に押し込みながら晴らし、終電間際の列車に酔い醒めの悄然とした心地で乗り込む。「あぁ、このままの毎日ではいけない」と思いながら、いつも思いながら、結局は睡眠薬の助けを借りて昏々と眠り込む以外にプライベートらしいプライベートもなく、また日が明けたら何の生産性も遣り甲斐もない賃仕事に向かわざるをえない。実験場の白いマウスになったような心境で、この生というものを振り返ってみたりもするのだけれど、マウスは所詮マウスでしかない。「ドブネズミのように美しくなりたい」とザ・ブルーハーツは歌ったが、私は薬の副作用でブクブクに膨れて、もう美しいなんてもんじゃない奇怪な姿態を世間に晒しているだけのデクノボーである。こんな毎日に火をつけるためには、今のままでは多分あまりにブンガクが不足しているのだろう。昨日寝床についてからそう思いついた。

話題になっている村上春樹の『1Q84』を買おうかと、梅雨の晴れ間の休日、近所のスーパーの3階に入っている本屋へ向かう。見事に平積みされた『1Q84』を手に取ってパラパラと頁を繰ってみるものの、あまり読みたい気が起らない。そういえば私が村上春樹を読んだのは『国境の西、太陽の東』一冊きりで、どんな話だったかもさっぱり忘れているが、それほど肌に合わなかった記憶だけがある。だから何故彼がベストセラー作家なのかということが今もわからないままである。そしてずっと筆が止まったままの私自身の拙い小説風の試みに弾みをつけるべく、評価が高く売れる作家の文章にあやかりたいという思いもあって『1Q84』を読んでみようとも思ったのだが、3600円の支出はやはり今の私には重く、書棚をグルグルと回りながら決心をつけようとするも上手くいかず。3600円くらいパチンコに負けたと思えばどうということもないのかもしれないが、生憎ギャンブルというものに寸分も素養を持ち合わせていない私には、そういう決心の仕方が身に付いていない。
書棚を回っているうちに、辺見庸という文字が目についた。まだ私が持っていない『独航記』と『美と破局』が運良くあったので、『1Q84』はやめにしてこの2冊を買うことにする。これで私は辺見庸の著作を16冊所持することになる。
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辺見庸を読み始めたのは、T.N.君と一緒にこの『Under the Sun』の作業をしていた時で、彼には随分いろいろな書籍や音楽を薦めて貰ったが、当時刊行されたばかりの辺見庸の『自分自身への審問』もその中の一冊だった。恥ずかしながら私はその時まで辺見庸という人を知らなかった。薦められて随分日が経ってから、本屋で気まぐれに『自分自身への審問』を手に取り、読んでみた。これはなかなか誰にでも書けるものではないな、と思い、彼の著作を本屋で見かける度に購入するようになった。
面白い文章もあれば不快になる文章もあるこの人特有の筆の運びは、万人向けのものではないかもしれない。しかし非常に大事なことを言っている。病に倒れた後はより一層切実に、人間存在の闇に焦点を当てた思索が深まり、この時代にあっては他に縋るものもない私は、つい辺見の文章に耽溺してしまう。しかしこれも、辺見の文章を読むことも、ひょっとしたら体の良い逃避でしかないのかもしれないという朧な自覚はある。多分それくらいのことは辺見も承知の事なのだと思う。「だったら、だったら私はどうやって闘えばいいんですか!」と絶叫をあげてしまいそうになる夜ばかり続く。どうにかこうにか薬で興奮を抑え込み、機械的な眠りを眠る。もうどうせなら絶望の作法を教わったほうが話が早いのかもしれない。近頃仏教にかまけている私の本心は実はそのあたりにあるのではないか。「絶望の作法を身に付ける」という意味において。

辺見は安易な希望など語らない。辺見は人生における大事なこと、沈黙すること、を知っている。辺見の命がいつまで続くのかはわからない。もちろん私の命だっていつまで続くのだかわからない。みんなが生きているのはそういう「生」だ。ナマモノなのだ。取り扱いにはやはり慎重を期すべきだ。爆弾を落として破壊していいようなモノではない。

私は辺見の良い読者ではないと思う。だが、彼の著述は歴史的にもおおいに意味があることくらいはわかっているつもりだ。これからも新しい文章を読めることを楽しみにしている。

今日のYouTubeは、京都のクラブで辺見が講演会を行った時に会場に流されたという、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)の『雨を見たかい?』です。日産セレナのCMソングにもなったこの曲ですが、実は痛烈な反戦歌であるということ。そういうものまで取りこんでしまう資本の強欲さというものに辟易してしまいます。芸術も消費の対象でしかなくなったこの後期資本主義経済社会において、「正義」とは一体なんなのでしょうか?

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# by uts_home | 2009-07-23 16:39 | コラム
ネット世論て何だ(2006.03.19)
玄耕庵日乗』の素楽でございます。新着記事が書けず、またもや過去記事でお茶を濁して申し訳ないのですが・・・。3年前に書いた駄文です。ご笑納下さい。


ネットの中で特定アジアとか愛国心とかにセンシティブな人達に一言言いたかったり。

わしには爺さん2人いた。1人は大陸や南方へ行く前に内地で終戦を迎え、1人は病気で兵役を免れた。兵隊に行ってた爺さんは「田舎離れて集団生活楽しかった」とは言っていたが、2人の戦後に対する考えは全く正反対のものだった。
勿論社会的属性が随分違う2人だったから、色んなものに対して割に距離の遠い見解を聞かされてきたが、少しでも肌で感じたことと、書物と空想に依拠した言葉となら、わしは前者の方に少し比重を置いて物事を考えてみたい。

国やわしを守ってくれるなら、こんなありがたいことはない。そう考えてくれているのなら、是非自衛隊に入って組織の底辺を支え、日本の安全保障に貢献して欲しい。歪なピラミッドのままでは任務に支障が出る。

わしも警察学校入校1週間前に大学卒業させて貰えず警官になりそこねた人間だし、元自衛官の友人もいる。これがまたわしには勿体ないくらい義に厚く、最高にいい男だ。今はわしが顔向け出来る状態になく会えないが。911テロの実況速報を共に見たなぁ、懐かしい。
というわけで、心情的に共感出来るところもある。
だから安全保障上の問題が最重要課題だと思うのであれば、それに尽力するべく速やかに入隊されてはどうか。
時の流れは思ったより早いし、ボヤボヤしていると年齢制限に引っかかってしまう。

セネカではないが、人生は短い。自分の主義主張に殉ずるのは男子の本懐じゃないかね。
主義の違う人間の庭で言い散らかすことが安保向上につながるかね。論戦に勝ったと悦に入ることが国益につながるかね。
男なら、そういう意を異にする人間も、グッと黙って守ってやりなさいよ。
人任せではいかんよ。あなたがやりなさい。
さぁ筋トレ開始。

そしてあなたがわしらを守ってくれるように、わしらもあなたを守ろう、守れるように精一杯尽力しよう。一体何が出来るかはまだわからんが、そうあれるよう考え続けよう。
訳の分からん最高指揮官からあなたを守れるように。訳の分からん輩が最高指揮官にならんように。

あなたの公に対する想いが、つまらぬねじまげられた唾棄すべき結果を生まぬように。

あなたは尊重されるべきだし、あなたが尊重されると同じように他者も尊重されるべきだ。もっと言えばわしは尊重されなくても皆は尊重されなければ。
そう思う31の寒い春。


今宵のYouTubeは、ポリスで『見つめていたい』。悩める若者達の一挙手一投足を具に見つめて、その苦悩を掬い取ってあげたい気持ちはあるのですが、私自身の生活もままならず、なかなかそういう活動に手を出せないでいます。彼らには、安直な国粋主義や政治経済観に陥って欲しくないし、『人間』の悲哀や苦悩や愚かしさや愛らしさをもっともっと見つめてもらって、投票行動に映して欲しい。そう思ったりもするのですが、いかんせん35歳非正規社員では、誰も聞く耳なぞもってくれませんかね?

次回の更新は連休明けになると思います。またよろしくお願い致します。
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# by uts_home | 2009-07-18 05:35 | コラム
長距離ドライバーの悲哀(2005.06.11)
玄耕庵日乗』の素楽でございます。昨日「書きまくる」と宣言したにも関わらず、過去記事でお茶を濁して申し訳ないのですが・・・。4年前に書いた駄文です。ご笑納下さい。


NHKスペシャル『トラック・列島3万キロ 時間を追う男たち』を見る。『放送文化基金賞 テレビドキュメンタリー番組賞』受賞記念アンコール放送らしい。ふ~ん。去年、本放送後の再放送の予定が急遽中止になったいわくつきの1本。どこからか圧力があったのか?
「日本経済の“血液”として、物流の9割を担ってきたトラック業界。いま時代の大きな変化の波にさらされている。「時間指定」や「産地直送」など、企業や消費者から“より早く”“より安く”を求められる一方、相次ぐ事故の影響により、大型トラックに対しては時速90kmのスピード制限装置着用が義務づけられた。「スピード」と「安全」のはざまで、大型トラックのドライバーたちは、葛藤を続けている。睡眠時間をぎりぎりまで削り、到着時間を“追う”男たち。故郷を一か月近くも離れ、全国各地を転々とする男たち・・・。
 撮影チームは3月、トラック業界の現場を見つめるため、神奈川県にある長距離ドライバーのための休息施設“トラックの港”で取材を開始した。そして、そこで54歳の一人の長距離ドライバーと出会い、トラックに同乗して取材の旅へと出た。旅からかいま見えてきたのは、スピードや効率を求める一方で、大切なものを失い続ける現代の姿だった。
これは、日本列島3万kmを走りながら見つめた、現代の“トラック野郎”たちの記録である。」

舞台となった長崎の運送会社では「安全輸送」を謳い文句にし顧客獲得を図る。
「延着はできない、スピードは出せない、あとは自分の休憩時間を削るしかない。」
飯を喰いながら、時には小便をしながら、ハンドルを握る。信号待ちの間に僅かに目を瞑る。
ドライバーの仕事は運転だけではない。荷物の手積み、手下ろしもある。
「安全輸送と言われて、時間は制限されて、どぎゃんしたらええかわからんとですよ」
「もう延着してもええと思う時がありますよ。給料なんていい。もうここで寝せてくれ、っていうね。家族を犠牲にしてまで365日車の中ですからね、結局、なんのために走っとるかわからん。」

長崎の事務所、課長がドライバー達にハッパをかける。。「雪でも台風でも延着は許されん。でも制限速度は守って貰わんと、これからはもう仕事ないけんね。」
以前延着のため取引を停止されたメーカーからの、2年ぶりの仕事。高速代もある程度出る。千葉から大阪まで原材料の輸送。所要時間は8時間、持ち時間は9時間、1時間の猶予。しかし都内を抜けるのに渋滞につかまれば・・・。遅れれば工場のラインは止まり大損害が発生する。0時千葉出発。ゴールデンウィークの真っ只中、東名を走るか、中央を走るか、どちらの渋滞が短いか・・・長年の勘を頼りに道を選択する54歳ベテランドライバー。年収は約300万円。時間に追われる毎日で胃を患い2/3を切除した。家に帰ることもままならず30代で離婚、男手ひとつで子供4人を育てた。参観日も卒業式も出てやれない。娘の婚約者に会う時間さえままならない。運転席の、たった一度、家族5人で行った旅行の写真。もう一度5人で旅行に行くのがささやかな夢・・・。
夜も明け始めた5時、中央道の山道を90km/hをキープするためアクセルを踏み続ける右足は痺れて感覚がなくなってくる。しきりに右手で太腿のあたりを揉み込む・・・。
_________________________________________
私の微々たる就業経験はトラックとともにあった。最初はおっかなかったドライバー達も、すぐに好きになった。職場から家までトラックに乗せてもらったことがある。あの目線の高さは気持ちが良かった。馴染みになったドライバーの家に旅行がてら泊めてもらったこともある。色んなドライバーがいるが、皆ニオイは同じだ。いい人が多かった。一緒に煙草を吸いながら話をするのが好きだった。色んな荷の話を聞いた。ちょっとした愚痴を聞いて貰った。同じ職場の人間より、心安かった。毎日飲みきれないほど缶コーヒーを奢って貰った。気に入られて融通してもらおうという算段だったのだろうが・・・。

しかし一刻も早く積み込んで目的地に向かいたいところを、延々待たせた。場合によっちゃ12時間なんてザラ。こっちにはこっちの事情がある。ドライバーはいつ声がかかるか分からず、外に食事に行くことは勿論、トイレも極力控える。アイドリングストップ徹底のおかげで真夏でも冷房は使えない。弁当も腐る。待たせたドライバー達には詫びと冗談のひとつも飛ばした。机の上ではカリカリしていたが、ドライバーには出来るだけ笑顔で接しようと思っていた。嫌な思いをしたまま走られて事故されるのは嫌だった。それにドライバーも消費者のひとり、積んで行って貰う荷を少しでも好きになって欲しかった。

深夜、「延着が確定する」と半分泣きながら訴えられたこともある。「高速代出してくれるんか!」と胸倉摑まれたこともある。早朝、「時間通り来て貰わないと困る!」と遠路はるばるやってきたドライバーを怒鳴りつけたことも数知れず。一度やってきた車を追い返すこともザラ。過労死の現場を目撃したこともある。通路の向こうから歩いてくるドライバーが派手に倒れた。頭から血を流しピクともしない。後で聞くと滅茶苦茶なスケジュールで走っていた、走らされていた。遠方から家族が病院に駆けつけた。思い出しただけで胸が苦しい。

景気が悪くなり、メーカーは物流費用に目をつけた。効率化という名の下に、極端なダンピングを行う。メーカーだけでなく大手小売も外食産業も、不要在庫の抱え込みを減らすべくジャストインタイムを敷く。生鮮品はセリに間に合わなければアウトである。様々な荷が、到着すると同時に仕分けされ右から左へ流れてゆく。停滞は時間とスペース、カネのロスだ。
規制緩和による運送会社の増加、仕事の奪い合い、運賃競争、排ガス規制、原油の高騰etc.・・・運送会社を取り巻く現状はキビシイ。

三菱ふそうの不祥事がある。せめて安心してハンドルを握ってもらいたい。
尼崎の列車事故がある。1分1秒に追われた結果、大きなものを失うこともある。

欲しい時に欲しいものが手に入る。素晴らしいことだ。潜在的な需要を喚起し、無駄を抑え、大きくビジネスも飛躍する。乾いた雑巾を絞って絞って絞りぬく。しかしその陰で、たくさんの人の様々な豊かさが損なわれているように思えてならない。(公金については、ある面は絞りに絞って欲しいが・・・)
過剰な欲望は、めぐりめぐって自分の首を絞める。ここ6年、この国では毎日100人近く実際に自らの首を絞めている・・・。

市場の失敗を是正する気など毛頭なく、経団連のいいように法改正する政治など政治と言えるのか?今の私ではあんまりこういうことは言いたくないのだが、変質者山拓がしゃあしゃあとテレビに出ているのを見てムカついたので言ってしまう。
自殺者数が増加していることについて聞かれ、「どういう事情かわからないが、あまり悲観的に思わないで、がんばっていただきたい。理由はなかなかわからない。これだという特効薬がないので困っている」なぞとホザク馬鹿タレがこんなに長く総理やってしまうのは、やっぱり異常だろ。

深夜の道路、何台ものトラックとすれ違う。気をつけて、と胸の中で呟くのが習慣になっている。


今宵のYouTubeは、サンボマスターで『美しき人間の日々』。ではまた明日。

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# by uts_home | 2009-07-17 08:20 | コラム
書きまくる
玄耕庵日乗』の素楽でございます。今宵は少々酔っております。京の夜は祇園祭で一層艶やかさを増しております。
今夜からしばらくの間、此処『Under the Sun』のコラムに連続投稿したいと思っております。しばしのお付き合い、どうぞ宜しくお願い致します。


ジリジリとした四年間だったが、ついに選挙の時を迎えることが出来た。とりあえず、此処まで生き延びる事が出来た自分に乾杯。
堪えに堪えた四年だった。この間に自ら命を絶つほかないほど過酷な日々を送り、その命の灯をやむなく消されてしまった何万という方々の無念さを胸に刻み込み、来るべき決戦の日に臨みたいと思う。

「自民党がどうだ、民主党がどうだ」なんて事を、T.N.君と創り上げ、細々とながらも、賛同して頂いた数多くのブロガーの皆様と築き上げてきたこの『Under the Sun』の場で言いたいわけではない。
この四年間、皆さん様々な市井の場で、辛酸を舐められてきたはずだ。その思いを、掬われる事なく救われなかった思いを、存分に吐き出して欲しい。

「明治維新以来の官僚支配政治に終止符を打つのだ!」「必ずや人民主導の政権交代をなすのだ!」と息巻くブログもある。私はそこまでの思いは、正直ない。日本映画学校中退、立命館大学政策科学部卒の私の眼から見て、日本の民主主義はまだそこまでの、明治の呪縛を解けるまでの段階には、ない。まだまだ大衆はうつろい易く、「わたくし」を脱した政治意識を持てるような社会経済的状況にないと思う。学生の頃におぼろげに思い描いていた社会と、その実像はまるで違い、泥水を啜るようにして生きている人が大半なのが、この2009年の現実だ。それなのに何故今日のような社会を迎えてしまったのかという疑問と、自分自身に対する忸怩たる思いもあるが、それが現実だ。55年体制を具現化した人物の孫達が、何故この09年の政争の主役なのか。胸につかえるモノを消し去ることは出来ない。

私は名だたるブログの書き手のように、上手く文章を紡ぐ事は出来ない。ただ、今回の総選挙に対しては、今までの私の35年間の人生を振り返ってもかつてないほどの、ほとばしるような気持ちは、ある。それを「希望」と言ってしまっていいのかはわからない。何もなければ選挙なぞというものは四年経てば訪れる。この晩夏に予定されている選挙も、ままあるその一回に過ぎないのかもしれない。
それでも、それでもと言いたい何かが胸をせり上がってくるのを抑えられないのだ。今はその気持ちの奔流のままにキーボードを叩いている。拙いかもしれない、切ないかもしれない、それでも、それでも託したい「何か」。明日を生き抜いていくための「何か」。

そんなものを背負ってくれる政治家など存在しないのかもしれない。「いなければ作ればいいではないか」、そんな問いに対するだけの気力は残念ながら今の私にはない。そんな、堕落して、気合の入っていない、薄汚れた私でも、何とか世界に対して気まずい思いをすることなく、綺麗な朝焼けを合掌して拝めるような、そんな社会にして欲しい。そんな、そんな・・・せめて・・・。

今宵のYouTubeは、U2で『One』。また明日。

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# by uts_home | 2009-07-16 00:41 | コラム
『人間』その不可思議なるもの
大学生の時、あまりに世の中の人達が何を考えているのかがわからなくて、統計的・計量的に人間というものを捉えて、その行動原理を理解しようとしていた一時期があった。今考えれば、なんと馬鹿な事をしようとしていたのかと思う。

一人の人間を、目に見える社会的属性だけで判断するなんて、なんて無意味な事だろう。一人の人間の中には、宇宙の全てが内在しているというのに、ペーパー上の都合でその躍動する宇宙を敢えて除外し無視する。

体裁だけは整ったペーパーが完成して、しかしてそのペーパーは、一体人間の何を語ったことになるのか。それは愚かな行為だというくらいは私の愚かな知性でも分かったので、それ以上その研究からは足を洗ったが、今現在も我々の暮らしは計量化され続けて、ロクでもない政策の策定根拠として霞ヶ関あたりを飛び交っているのだろう。

数値化された人間、加工されるデータとしての人間、それで飯を食ってるヤツラがいて、金儲けの材料にする。そこにはもう『人間』はいない。思惑という手垢がべったりとついたデータが、陰に陽に売買されるだけだ。

年間3万人以上の自殺者が10年連続という統計は、一体何を表しているのか。一日平均100人以上の自殺者を出しているこの国の、何を表しているのか。自ら命を断たざるをえなかった彼らの、何を理解したというのか。パソコンのディスプレイに流れる数字だけでは掬い切れない、『人間』という存在に対して、どう向き合えばいいのか。

この国には『人間』を大切に扱わない伝統がある。これは歴史上でも今現在の社会でも遍く見られる光景である。こんな世の中で、子供達に『いのちを大切に』と教え諭しても、子供達が大人になった時には、教わった事と現実世界とのギャップに少し苦労するのではなかろうか。全ての命が平等に尊重されることなど一切なく、露骨に冷酷に命の軽重を見定める『大人達』のそぶりを見て、この世の非情な成り立ちに失望することもあるだろう。そんな彼らに発するコトバを私は持っているだろうか?

『人間』という存在をナメてはいけないと思う。しかし今の政治家やマスコミや産業界は、この『人間』を全く考慮に入れていない。同じ人間、同じ日本人でありながら、『人間』に対する畏怖の念がない。

湯水のように『人間』を使って、己の私腹を肥やしているのが、能力のかけらも持ち合わせない世襲政治家であり、毒電波を撒き散らしているマスコミであり、政界に恫喝をかけ続ける経団連である。

どうすれば『人間』を復権出来るのだろうか?これを考え抜く事が、毎日毎日断腸の思いで暮らしを繋いでいる人や、苦しみ抜いた末に自ら命を断つ事になってしまった人に対する、応援歌や鎮魂歌になるだろうか?

不景気でもいい。人間を大事にする社会になって欲しい。切にそう願う。
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# by uts_home | 2009-07-03 12:09 | コラム
限界を超えろ!(玄耕庵日乗)
今夜はここを見てくれている若い読者のために、ほんの少しだけ本気で書きます。鬱陶しい日記になると思いますが、少しだけ耳を傾けてみてください。

エラソーなこと今から言います。
人間を35年やってきて思います。人間、スポーツでも勉強でも恋愛でも、自分の限界を超えてやったことしか身につきません。もう諦めそうになってからの頑張りしか身につきませんし、自分の自信になりません。そういうギリギリの中で得た経験だけが、自分を後押ししてくれます。他人はいくら裏切っても、自分の努力だけは自分自身を絶対裏切りません。

オトナになった時に、せめてそんな「自分の限界を超えた」思い出のひとつやふたつは自分に証明できるような、そんな青春時代を送ってください。そうでないとオトナになった時に、若い子に語れるものが何もないオトナになってしまうと思うのです。若い子に自分の人生を語れることが「いいオトナ」だと思っているわけではないですが、自分で自分の半生を振り返った時に、「あの時オレはあれだけ頑張れた。だから今度だって頑張れるはずさ」と自分に誓えるような、そんなオトナになって欲しいと思うからです。そうやって生きていくほうが、多分楽しいと思うから。

男は無理してヤセガマンして、カッコよくなるんです。男の子はカッコいいオトコになってください。そして女の子はそんな「カッコいいオトコ」を見抜ける目を養ってください。男を育てるのは女の役目です。よろしく。

最後に、夏目漱石が29歳の時に、赴任していた松山中学の生徒に向けて贈った言葉を、ここを見てくれている若い読者に贈りたいと思います。あえて現代語訳は掲載しません。じっくりと漱石の言葉に触れてみてください。当時の中学生が読めた言葉です。あなたにも読めないはずはないと思います。辞書片手にこの言葉とゆっくり向き合ってみてください。さすがに日本文学最高の作家が書いた教訓、いいことが書いてあります。人生の真実のいくつかはこの言葉の中にあります。


『愚見数則』

理事来たつて何か論説を書けといふ。余この頃脳中払底、諸氏に示すべき事なし。しかし是非に書けとならば仕方なし、何か書くべし。但しお世辞は嫌ひなり、時々は気に入らぬ事あるべし。また思ひ出す事をそのまま書き連ねる故、箇条書の如くにて少しも面白かるまじ。但し文章は飴細工の如きものなり。延ばせば幾らでも延る、その代りに正味は減るものと知るべし。

昔しの書生は、笈を負ひて四方に遊歴し、この人ならばと思ふ先生の許に落付く。故に先生を敬ふ事、父兄に過ぎたり。先生もまた弟子に対する事、真の子の如し。これでなくては真の教育といふ事は出来ぬなり。今の書生は学校を旅屋の如く思ふ。金を出して暫らく逗留するに過ぎず、厭になればすぐ宿を移す。かかる生徒に対する校長は、宿屋の主人の如く、教師は番頭丁稚なり。主人たる校長すら、時には御客の機嫌を取らねばならず、いはんや番頭丁稚をや。薫陶所か解雇されざるを以て幸福と思ふ位なり。生徒の増長し教員の下落するは当前の事なり。

勉強せねば碌な者にはなれぬと覚悟すべし。余自ら勉強せず、しかも諸子に面ずるごとに、勉強せよ勉強せよといふ。諸子が余の如き愚物となるを恐るればなり。殷鑑遠からず勉旃勉旃。

余は教育者に適せず、教育者の資格を有せざればなり。その不適当なる男が、糊口の口を求めて、一番得やすきものは、教師の位地なり。これ現今の日本に、真の教育家なきを示すと同時に、現今の書生は、似非教育家でも御茶を濁して教授し得るといふ、悲しむべき事実を示すものなり。世の熱心らしき教育家中にも、余と同感のもの沢山あるべし。真正なる教育家を作り出して、これらの偽者を追出すは、国家の責任なり。立派なる生徒となつて、かくの如き先生には到底教師は出来ぬものと悟らしむるは、諸子の責任なり。余の教育場裏より放逐さるるときは、日本の教育が隆盛になりし時と思へ。

月給の高下にて、教師の価値を定むる勿れ。月給は運不運にて、下落する事も騰貴する事もあるものなり。抱関撃柝の輩時にあるいは公卿に優るの器を有す。これらの事は読本を読んでもわかる。ただわかつたばかりで実地に応用せねば、凡ての学問は徒労なり。昼寝をしてゐる方がよし。

教師は必ず生徒よりゑらきものにあらず、偶誤りを教ふる事なきを保せず。故に生徒は、どこまでも教師のいふ事に従ふべしとはいはず。服せざる事は抗弁すべし。但し己れの非を知らば翻然として恐れ入るべし。この間一点の弁疎を容れず。己れの非を謝するの勇気はこれを遂げんとするの勇気に百倍す。

狐疑する勿れ。躊躇する勿れ。驀地に進め。一度び卑怯未練の癖をつくれば容易に去りがたし。墨を磨して一方に偏する時は、なかなか平にならぬものなり。物は最初が肝要と心得よ。

善人ばかりと思ふ勿れ。腹の立つ事多し。悪人のみと定むる勿れ。心安き事なし。

人を崇拝する勿れ。人を軽蔑する勿れ。生れぬ先を思へ。死んだ後を考へよ。

人を観ばその肺肝を見よ。それが出来ずば手を下す事勿れ。水瓜の善悪は叩いて知る。人の高下は胸裏の利刀を揮つて真二に割つて知れ。叩いた位で知れると思ふと、飛んだ怪我をする。

多勢を恃んで一人を馬鹿にする勿れ。己れの無気力なるを天下に吹聴するに異ならず。かくの如き者は人間の糟なり。豆腐の糟は馬が喰ふ、人間の糟は蝦夷松前の果へ行ても売れる事ではなし。

自信重き時は、他人これを破り、自信薄き時は自らこれを破る。むしろ人に破らるるも自ら破る事勿れ。厭味を去れ。知らぬ事を知つたふりをしたり人の上げ足を取つたり、嘲弄したり、冷評したり、するものは厭味が取れぬ故なり。人間自身のみならず、詩歌俳諧とも厭味のあるものに美くしきものはなし。

教師に叱られたとて、己れの直打が下がれりと思ふ事なかれ。また褒められたとて、直打が上つたと、得意になる勿れ。鶴は飛んでも寝ても鶴なり。豚は吠ても呻つても豚なり。人の毀誉にて変化するものは相場なり、直打にあらず。相場の高下を目的として世に処する、これを才子といふ。直打を標準として事を行ふ、これを君子といふ。故に才子には栄達多く、君子は沈淪を意とせず。

平時は処女の如くあれ。変事には脱兎の如くせよ。坐る時は大磐石の如くなるべし。但し処女も時には浮名を流し、脱兎稀には猟師の御土産となり、大磐石も地震の折は転がる事ありと知れ。

小智を用る勿れ。権謀を逞ふする勿れ。二点の間の最捷径は直線と知れ。

権謀を用ひざるべからざる場合には、己より馬鹿なる者に施せ。利慾に迷ふ者に施せ。毀誉に動かさるる者に施せ。情に脆き者に施せ。御祈祷でも呪詛でも山の動いた例しはなし。一人前の人間が狐に胡魔化さるる事も、理学書に見ゑず。

人を観よ。金時計を観る勿れ。洋服を観る勿れ。泥棒は我々より立派に出で立つものなり。

威張る勿れ。諂ふ勿れ。腕に覚えのなき者は、用心のために六尺棒を携へたがり、借金のあるものは酒を勧めて債主を胡魔化す事を勉む。皆己れに弱味があればなり。徳あるものは威張らずとも人これを敬ひ、諂はずとも人これを愛す。太鼓の鳴るは空虚なるがためなり。女の御世辞のよきは腕力なきが故なり。

妄りに人を評する勿れ。かやうな人と心中に思ふてをればそれで済むなり。悪評にて見よ、口より出した事を、再び口へ入れんとした処が、その甲斐なし。まして、又聞き噂などいふ、薄弱なる土台の上に、設けられたる批評をや。学問上の事に付ては、むやみに議論せず、人の攻撃に遇ひ、破綻をあらはすを恐るればなり。人の身の上に付ては、尾に尾をつけて触れあるく、これ他人を傭ひて、間接に人を撲ち敲くに異ならず。頼まれたる事なら是非なし。
頼まれもせぬに、かかる事をなすは、酔興中の酔興なるものなり。

馬鹿は百人寄つても馬鹿なり。味方が大勢なる故、己れの方が智慧ありと思ふは、了見違ひなり。牛は牛伴れ、馬は馬連れと申す。味方の多きは、時としてその馬鹿なるを証明しつつあることあり。これほど片腹痛きことなし。

事を成さんとならば、時と場合と相手と、この三者を見抜かざるべからず。その一を欠けば無論のこと、その百分の一を欠くも、成功は覚束なし。但し事は、必ず成功を目的として、揚ぐべきものと思ふべからず。成功を目的として、事を揚ぐるは、月給を取るために、学問すると同じことなり。

人我を乗せんとせば、差支へなき限りは、乗せられてをるべし。いざといふ時に、痛く抛げ出すべし。敢て復讐といふにあらず、世のため人のためなり。小人は利に喩る、己れに損の行くことと知れば、少しは悪事を働かぬやうになるなり。

言ふ者は知らず、知るものは言はず。余慶な不慥の事を喋々するほど、見苦しき事なし。いはんや毒舌をや。何事も控へ目にせよ。奥床しくせよ。むやみに遠慮せよとにはあらず、一言も時としては千金の価値あり。万巻の書もくだらぬ事ばかりならば糞紙に等し。

損徳と善悪とを混ずる勿れ。軽薄と淡白を混ずる勿れ。真率と浮跳とを混ずる勿れ。温厚と怯懦とを混ずる勿れ。磊落と粗暴とを混ずる勿れ。機に臨み変に応じて、種々の性質を見はせ。一あつて二なき者は、上資にあらず。

世に悪人ある以上は、喧嘩は免るべからず。社会が完全にならぬ間は、不平騒動はなかるべからず。学校も生徒が騒動をすればこそ、漸々改良するなれ。無事平穏は御目出度に相違なきも、時としては、憂ふべきの現象なり。かくいへばとて、決して諸子を教唆するにあらず。むやみに乱暴されては甚だ困る。

命に安んずるものは君子なり。命を覆すものは豪傑なり。命を怨む者は婦女なり。命を免れんとするものは小人なり。

理想を高くせよ。敢て野心を大ならしめよとはいはず。理想なきものの言語動作を見よ、醜陋の極なり。理想低き者の挙止容儀を観よ、美なる所なし。理想は見識より出づ、見識は学問より生ず。学問をして人が上等にならぬ位なら、初から無学でゐる方がよし。

欺かれて悪事をなす勿れ。それ愚を示す。喰はされて不善を行ふ勿れ。それ陋を証す。

黙々たるが故に、訥弁と思ふ勿れ。拱手するが故に、両腕なしと思ふ勿れ。笑ふが故に、癇癪なしと思ふ勿れ。名聞に頓着せざるが故に、聾と思ふ勿れ。食を択ばざるが故に、口なしと思ふ勿れ。怒るが故に、忍耐なしと思ふ勿れ。

人を屈せんと欲せば、先づ自ら屈せよ。人を殺さんと欲せば、先づ自ら死すべし。人を侮るは、自ら侮る所以なり。人を敗らんとするは、自ら敗る所以なり。攻むる時は、韋駄天の如くなるべく、守るときは、不動の如くせよ。

右の条々、ただ思ひ出るままに書きつく。長く書けば際限なき故略す。必ずしも諸君に一読せよとは言はず。いはんや拳々服膺するをや。諸君今少壮、人生中尤も愉快の時期に遭ふ。余の如き物の説に、耳を傾くるの遑なし。しかし数年の後、校舎の生活をやめて、突然俗界に出でたるとき、首を回らして考一考せば、あるいは尤と思ふ事もあるべし。但しそれも保証はせず。

          ~明治28.11.25 愛媛県尋常中学校『保恵会雑誌』~


今宵のYouTubeは、私の最も不得意なこと(笑)、ザ・ブルーハーツで『人にやさしく』。みんなガンバレ!

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# by uts_home | 2009-06-11 00:21 | コラム
ほんとうのこと (玄耕庵日乗)
玄耕庵日乗です。前記事のTBもだいぶたまったので、新記事でも。

睡眠薬を飲んだ後の執筆である。支離滅裂になると思う。

まったくひどい世の中である。

このブログは私の不細工な面も完全に晒しているし、すぐ個人特定できると思う。そういう場合に言いたいことも言えないようなこともあろうかと思うが、若い読者諸氏もついてくれているようなので、少しずつでも『ほんとうのこと』を話していかないといけないのかもしれない。
しかし『ほんとうのこと』を話すのは正直骨が折れる。ブログ上でそういう事を試みたこともあったが、「なんでそんな七面倒な事を無給で私がしなければならないのか」、と自棄になった時期があって、今に至っている。そして今は完全に趣味ブログと化している。それでいいのかと、内心忸怩たる思いもある。

『玄耕庵日乗』を書くことになったきっかけは、4年前の小泉郵政選挙だった。あの時の異常な感じは今も鮮明に覚えている。かつて私の知っていた日本人は、何処へ消えてしまったのか、みな夢遊病者のように小泉自民党に投票し、その後のこの4年間で、より一層この国をメタメタにしてしまった。
そしてまた今日の、テポドン・ミサイル騒ぎ、新型インフルエンザ騒ぎである。日本人は変質したのか?
今日、薬局にマスクを買い求めて「品切れです」とあしらわれている人達を横目に、マスクをして仕事をしながら想起したのは、36年前のオイル・ショックの時のトイレット・ペーパー騒ぎであった。昔から大人は馬鹿で世の中はどうしようもなかったのかもしれない。

それにしても、私が中学生の頃に見ていた大人達は、今の大人達(私含む)より、もうちょっとマシではなかったか?内省というものを知っていた人達ではなかったか?

ブログをやりだしてから特に思うが、反射的に記事を書いてしまって後で後悔するということがある。それはその判断を下すまでにソースが足りなかったなんていう事も関係しているかもしれないが、要は、自分の判断の核となるものを練り上げられていないから、日々垂れ流されるニュースにイライラさせられるだけなのだ、ということに最近気がついた。
自分の核と合わない事柄など捨ておけばよいのだが、それでも皆がその必要もないのに、例えば暑い中マスクつけて不機嫌そうにしていると、「そうしてないとあなた死んじゃいますか?」くらいは尋ねたくなる。「あなたはほんとうにそれが必要と思っていますか?」と。「政府はもう支離滅裂で出鱈目なアナウンスしかしませんよ」と、老婆心ながら一言言ってしまいたくなる。

『ほんとうのこと』はもうテレビや新聞からは聞こえてこないし、政治家も『ほんとうのこと』は喋らない。
『ほんとうのこと』がわかるためには、自分を鍛え上げていかなくちゃいけない。その過程で出る、私の深いため息を、私個人の『ほんとうのこと』として、これから機会があれば書いていきたい。

とりあえず、今の新型インフルエンザ騒動は異常だ。この異常事態で何を試しているのか、何を隠しているのか、事態が収束することがあればわかるのだろうが、また新型の季節性インフルエンザとかいって同じネタを使い回す気でいるのかもしれない。
9月の総選挙前には一体どんな大惨事が起こるのか、不謹慎ながら少々楽しみでもある。多分「自民党、ついにここまでやるか」的な出来事が続発すると睨んでいる。

疲れた。今夜のお話はここまで。また気が向いたら。
おやすみなさい。
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# by uts_home | 2009-05-21 10:45 | コラム
玄耕庵日乗は続く
やっぱり慣れ親しんだ「玄耕庵日乗」のタイトルが捨てがたく、FC2で続きを書くことにした。
このブログでお世話になった皆様にも是非訪れていただきたいと思う。
では、あらためてよろしくお願いいたします。

「玄耕庵日乗」
http://genkoan2.blog89.fc2.com/

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玄耕庵での日々は、私・素楽が死ぬまで続きます。「死ぬまで」宣言です。
今後とも末永いご愛顧よろしくお願いいたします。
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# by uts_home | 2009-02-22 12:05 | お知らせ
生活と芸術と革命
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睡眠薬を飲んでも眠れない夜、また昔語りをしてしまうかもしれない。

映画を創る、ということは世界を再定義することだと思う。劇場から出てくると、いつもの見知った景色がどういうわけか違ったものに見えることがよくある。それは映画によって新たな視点を付与されたことによるものだろう。鑑賞後、世界の成り立ちに違和感を覚えたり、足元がフワフワする感覚に陥ったりするのは、いい映画の証拠のようなものだろう。

心がまだナニモノにもなれるほど柔軟だった頃、そんな新たな世界観を提供してくれる映画とたくさん出会った。
けれどそのうち映画を必要としなくなった。何故だろう。世界なんてどれほどのものでもないさと、タカをくくってしまったからだろうか。そしてつまらない日常がのべつまくなしに続くことになってしまった。日常を見る眼も映画から借りてこなければ、ろくなものが見えやしなかった。

生活。生活と芸術。カネとユメ。
生活の埃にどっぷり頭まで浸かってしまうと、ちょっとやそっとでは芸術を指向するようにはならない。芸術の良さは、生活をあらためて照らし直してくれることなのだけれど、それを必要としない人間もたくさんいる。世界を再定義なぞされると、ルーティンに支障をきたすからだ。既得権益にメスを入れられることになるからだ。

実は芸術には世界を大きく変えることの出来る力がある。世界をよりよくする可能性を秘めている。しかし芸術に面突き合わすには、それなりのパワーが必要だ。ボケーッとしていたのでは、芸術からのメッセージを見逃すことになる。

取るに足らないようなことかもしれないが、こんな小さな事を個人個人がこつこつとやって、一人一人が個人的生活を革命していく以外に、今の閉塞状況や経済的苦境を脱する道はないのかもしれない。

みながアーティストになればいいのだ。そして自分が生きて存在しているだけで芸術足りうると自覚して、その生を力いっぱい謳歌するのだ。それがこの私達を取り巻く世界を、もっと彩りに満ちたものにしてくれるに違いない。

午前四時、とりとめのないことを書くにはいい時間だ。また全く無内容な駄文を綴ってしまった。効かない睡眠薬が悪いのだ。


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# by uts_home | 2009-02-08 11:45 | コラム
リド飲食街の詩
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ある夜の帳のおりた街
男がフラリと迷い込む路地
人はこの狭い通路の両脇に並んだ
一杯飲み屋の一廓を
「リド飲食街」と呼ぶ

京都タワーと同い年の店もあれば
まだ開店して間もない処女のような店もある
どの暖簾をくぐるかはアンタ次第
もといアンタとアンタのカネ次第

男の涙と女の笑い声がよく似合う街
しけた便所でダラダラと
いつまでも止まらないションベンすりゃ
憂さもいつぞや消え失せる

さっぱりしたところで一曲歌いますか
と力み上がってマイクを握り
歌うは十八番の「襟裳岬」
わけのわからないことで
なやんでいるうちに
おいぼれてしまうから

老いぼれオヤジの目ヤニに向かって熱唱すりゃあ
厚化粧のネエサンがやんや拍手をしてくれる

ここには恋なんて気取ったもんはないよ
その昔はどうだったか知らないけどね
今はポチポチのお客さん相手に
気楽にやらせてもらってるのさ

どうだい?
淋しくなったんなら
一杯飲んで行きなよ

外は寒いだろう?
あったまっていきなよ

カネの心配なんかするんじゃないよ
カネは天下のマワリモノ
あるヤツからあるだけ取ってやりゃあいいのさ

アンタの飲む酒ぐらいあるからさ
ちょっとだけ
寄っていきなよ
安くしとくよ

ハッキリしない男だねぇ
そういうのが一番嫌われるんだ
覚えときな

そんなこんなの「リド飲食街」
私は好きです


(この物語はフィクションです)
出演:素楽


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# by uts_home | 2009-02-06 01:17 | コラム
未知との遭遇
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今日の仕事は楽だった♪、と仕事終わりに「リド飲食街」。我がホームグラウンド「じじばばDOS」に顔を出すと、あれまあれま、同僚民孝さんとCちゃん(詳しくは玄耕庵日乗参照)が並んでカウンターにいるではないか。「あらお久しぶり」とCちゃんにご挨拶して、安い赤ワインのボトルを一本抜く。そうこうしてるうちに友人タモツもやってきて、しばし歓談。

「若い人達のお邪魔をしちゃあいけねえ」ってんで、シンゴに節分の挨拶だけして退散。続けて本家本元「じじばば」へ。柚子胡椒ラーメンを汗ダラダラになりながら啜る。汗かいて気持ちいい。マスターのサトシさんに、「柚子胡椒は青唐辛子と柚子を擦り潰したもんやねん。九州では唐辛子の事胡椒って言うねん。」と聞き、この汗も納得。「今年もお世話になります」と心の中で呟いて、小雨降るなか京都駅。止めてくれるなおっかさん。背中の銀杏が泣いている。

ぴりりと越える西大路
誰が言ったか知らないが
フーテンの熊とはアッシのことでござい
今日は祇園か烏丸か
明日は木屋町先斗町
流れ流れて京都の夜を
啜り泣くのは何処の娘だ
アッシが今から行くんだ ネエサン、心配するこたぁない
明日はでっかい太陽が
アンタの上にも昇ろうってもんだ
今夜だけは、アッシに酌をしてやっておくんなさい
アンタの黒子に、アッシぁ惚れたよ
ペケペンペンペン♪
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# by uts_home | 2009-02-03 22:23 | コラム
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