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本日も爽やかな秋晴れです。気持ちが良い午後です。先生宅の真弓の実も膨らんでいますでしょうか?先日、10/28に介護研修でお世話になりました素楽でございます。

近頃は携帯電話のメールばかりで手紙を書くことなど滅多にありませんが、先日のお礼を申し上げたく筆を取った次第です。筆不精が何年ぶりかで書きます故、字も汚くお読み辛いかと思いますが、ご勘弁下さいませ。

先生から頂いた『子規山脈~師弟交友録』を楽しく拝読させて頂いております。私は今年で35歳になりましたが、その年にはもう子規は亡くなっていたのだな、とあらためて子規の成し遂げた仕事の大きさに感服するばかりです。また学生時代に読み耽っていた夏目漱石や司馬遼太郎の作品などに思いを馳せながら読ませて頂いております。明治とはたかだか100年前にしかすぎないのに、今からは想像も出来ぬほどの時代格差を感じております。そして気骨ある明治人の生き様に憧れも致します。

先生に揮毫頂いた「玄耕」の文字ですが、実を申しますと拙宅の庵号でございます。生意気にも庵号など考えて自分なりに気に入って暮らしてはいるのですが、私漢籍にまったくもって疎い故、先生が「こういう字は知らない」とおっしゃられた時には顔から火が出るほど恥ずかしかったのです。でも無理な注文にも関わらず素敵な字を書いて下さり、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。家宝に致します。ちなみに拙庵のことを「玄耕庵」と呼び一人悦に入っておる次第です。

私俳句も少しばかりやるのですが、人様にお見せするようなものが出来ない故何処にも発表などしたことがないのですが、折角子規の本も頂いたので、駄句をいくつか紹介させて頂きます。ちなみに「素楽」というのが私の俳号です。

(今年の中秋の名月に作った三句)

よい月を背中を抱いてくれる人

名月を愛でるそぶりで君の香を

酔い醒めて月かげ踏み締めて歩く

(4年前、紅葉を愛でに行った嵯峨野・常寂光寺での一句)

寂寞と風に流るる紅葉かな

人様にお見せしたことがないので、自分では上手いのか下手なのかもわかりませんが、こんなものをたまに作っております。よく鑑賞するのは種田山頭火の句なので、たまに自由律句のようなものも作ります。伊予松山で没した山頭火の生き様にも憧れるところもあります。少々破天荒過ぎますが。

介護の仕事を志した本当の理由は、自分の理想どおりのグループホームを運営してみたいと思ったからです。自分の運営するグループホームで、仲の良い学生時代の友人達に入居して貰って、終の棲家として共に楽しく暮らすというのが私の夢です。
命の尊厳や憲法25条の理念を具現化するのは福祉・介護の現場においてだと思います。そのことをいつも心に忘れずにいたいと思っております。

ヘルパーのミキ様には、二日間の研修で大変お世話になりました。またお顔を見られる機会がございましたら、よろしくとお伝え下さいませ。

これからどんどん日も短くなり寒くなってまいります。くれぐれもお体にお気をつけあそばれますよう、先生のご健康を心よりお祈り申し上げます。

                                   素楽拝
# by uts_home | 2009-10-30 12:10 | コラム | Trackback(5) | Comments(0)
まもなく……
みなさん、こんばんは。
『逍遥録―衒学城奇譚―』の発掘屋です。
コチラでの更新はお久しぶり。
のんびりしているうちに、もう衆院選を直後に控えております。

想えば、郵政選挙と銘打たれ、自公与党とメディアにより、本来の政策や国民の生活をまったく置き去りにしたお祭騒ぎが演出された前回の衆院選から、ほぼ4年が経過したことになります。
みなさんもご存知のように、その選挙により自公与党は3分の2以上の議席を獲得しました。

さて、そしてこの夏。
今回の選挙はどうやら民主党に“風”が、それもとてつもない“大風”が吹くであろうというのが大勢の見方のようですね。
おそらく、民主を中心とした政権が、この国に誕生します。
一方で小政党は埋没し、存在意義がなくなる恐れがあります。
いわゆる二大政党制の嚆矢となるのかもしれません。
今ボクらは、ある種の興奮の中にいると云えるでしょう。

ですが、ボクはそれに非常に危ういモノを感じます。
感情は、ひとときの興奮時をぬければ、急に冷めていくものです。
民主政権になった途端、日本の景気が回復するなど夢物語です。
政治には時間がかかります。
特効薬はありません。
ましてや自公与党の手によって、破壊されつくした日本のシステムを、再び正常な軌道に乗せるのには、とんでもない時間と気の遠くなるような根気が必要です。
興奮の中で支持した者たちに、ソレが待てるのか、我慢できるのか?

庶民は決してバカではありません。
今回は解散、解散と云われてから長い時間がありました。
その間、いえ前回の選挙から、検証する時間は充分ありました。
その上での判断が下されるのです。
ですが、そのような冷静な判断とは別に、民主が大勝するという浮ついた雰囲気ができあがってしまっているコトも、また事実です。
この4年間は、この国が今後どのように進むべきかをじっくり考える貴重な時間であったはずです。
しかしその実態は、浮ついたお祭騒ぎ、お祭騒ぎ、お祭騒ぎ……

郵政選挙の結果、どのような国となったか?
庶民にどのような利益を与え、また不利益を与えたか?
自公与党のこれまでの政策は正しかったか、これからの政策は庶民に幸福をもたらすものか?
民主の政策は庶民のためになるのか?
自公がダメだから、自公にお灸をすえなければ、そんな理由で民主を支持してよいのか?
どの政党が一番庶民のためになるのか?
将来のヴィジョンは?

そういった根源的な議論が、なされたでしょうか?
政治家も相手を誹謗するコトにやっきとなって、そのような根気や地力の必要な議論を避けてきました。
もちろん民主党の政策にも、高速道路無料化など、まったく賛成できないものも多い。
一方、今までしてこなかったくせに、選挙前になるとアレもやるコレもやると云う自公与党の欺瞞はそれ以上に信用できない。
メディアは小沢と西松との関係、首相の漢字読み違いや失言などのゴシップを追跡するばかりで、庶民の眼を政治の本質からかけ離そうとしているように感じます。
衆院選を直後に控えた今、自分たちの未来について、どれだけしっかりとした話し合いがなされてきたか?
中途半端な熱狂の中、ボクらは確かな手ごたえを感じているのか?
自分たちの下した判断に、根気と覚悟を以って未来を託すことができるのか?

与党は云います。
「自分たちには実績がある!責任力がある!」
だからこれからの国政も任せてもらいたい――と。
なるほど、与党の政策により、庶民の生活が豊かになったのなら、それもよいでしょう。
でも実際はどうでしょうか?
この4年間に、自分たちの生活が向上したと感じられるヒトが、一体どれぐらいいるでしょうか?

ボクの眼に映るのは、彼らの悪政により、疲弊しつくした善良で平凡な多くの庶民です。

ボクのように、政治や社会について何か発言しようなんてガラでもない人間が、たまにそんなハナシをするのも、前回の選挙により、ボクらが直面したモノ、ボクらに押し付けられたモノが、あまりにボクらの手に余るからです。
ボクに大きな欲はありません。
ただ自分の身丈にあっただけのモノがあって、それがみとめられ侵されない世界があれば、充分なのです。
だから、少しずつですが、こんなハナシをしてきた。
日本を変えようとか、そんな大それた想いはない。
ただ、ほんの少しだけ、こんなコトを考えてるヤツがいるんだなぁって、誰かが知ってくれるだけでよかった。

まもなくひとつの決断がなされます。
そしてこの国は、その決断に身を委ねることとなるのです。
願わくば、その決断が、ボクらの未来をよりよき方向へ導かんことを。
# by uts_home | 2009-08-28 23:40 | コラム | Trackback(17) | Comments(0)
彼と彼女のブルーズ(3)
もう冷めてしまった不味い缶コーヒーを口一杯に含み、目一杯倒したシートから少し体を起こす。知らないうちに眠っていたようだ。日曜日の朝一番の新幹線は乗客もまばらで、徹夜明けの秋山の神経を逆撫でる者はいない。少し霞んだ目で車窓を見遣る。朝焼けが綺麗だ。久しぶりに見る朝焼け。東の空の雲に映える赤、オレンジ、白、紫、濃紺のグラデーションが、今日もきちんと一日が始まることを知らせる。窓の外は日が昇る前の一番の冷え込みだろう。枯れた田圃と視界を遮る低い山並みがいつまでも続く。秋山の目に映るそれもこれもが誰かの所有地であり財産であり、七面倒な文書や記号が貼りついている。手を入れたり相続する人のいなくなった田畑もあるのだろうらぶれた田舎の景色。だがそれもこれも他人の秋山には関係ない、ただ流れていくだけの景色に過ぎない。ある時は素晴らしく感じ、ある時は鬱陶しく感じる「距離」を埋めている景色だ。年を取るにつれて「旅情」とは程遠い、魅力的でない「移動」が増えていく。
 
 新幹線を降り在来線のホームへ向かう。駅構内では耳慣れた方言の人々が行き交い、特産物をキャラクター化したマスコットのハリボテが秋山を迎える。乗り換えの有人改札の上にある時刻表を眺める。いつの間にか電光掲示に替わっていた時刻表を見ながら、田舎もそれなりに変わっていくものだな、と思う。乗り換えまでまだ時間がある。「小腹が空いたな」と思い、立ち食いそば屋で七味をたっぷりかけたたぬきそばを啜る。美味くも不味くもない、駅の立ち食いそば。一時腹を満たすためだけの食事。味も素っ気もないそれは、なんとなく人生に似ていると秋山は思う。
 すっかり日の昇ったホームで一時間に二本しかない列車の出発を待つ。喫煙スペースがホームの一番端にあり、面倒臭いな、と思いながらそこまで歩いて一服つける。ジャージ姿の女子高生の団体が、長い弓を持って同じホームに立っている。きゃあきゃあと嬌声を上げながら、お互いの脇腹をつつき合ったりしている。彼女達の人生にとって、多分今が一番夢も希望もある時期なのだろう、箸が転んだだけでも可笑しいはずだ。
 入ってきた二両編成の列車に乗り込むのは、秋山と女子高生にあと二人。目的地までの五十分、少し眠りたいので女子高生とは違う車両に乗る。暖房のおかげで自然と瞼が落ちてくる。見知った景色を眠い目擦りながらわざわざ眺める義理はない。列車は冬晴れの穏やかな海沿いの線路をコトコトと走り抜けてゆく。

 終点から一駅前の駅で降りる。何度となく乗り降りした木造の小さな駅舎、飲み明かした体にはただただ面倒臭さが先にくる。駅前に一台しか待っていないタクシーに乗り込み、行き先を告げる。地元の言葉で話す運転手のお喋りには耳を貸さず、ただただ腕を組んで窓の外を見遣る。国道沿いに全国フランチャイズの外食チェーン店やコンビニがポツリポツリと出来ている。来年開通する高速道路のインターに繋がる県道沿いの、だだっ広い駐車場を持つコンビニでタクシーを待たせ、缶コーヒーとワンカップを二本ずつ、線香、それに封筒を買う。その後コンビニの周りをグルリと回りながら煙草を一本吸う。此処は以前秋山の母の実家があった場所だ。秋山自身も小学五年から高校卒業まで此処で過ごした。歩きながら、以前の家の間取りを思い出そうとするが、年々その行為もおざなりになっている。辺りの景色も徐々に変わってきた。ここを離れて十二年、もう郷愁を誘われることもなくなった。再びタクシーに乗り、買ったばかりの封筒に比較的綺麗と思われる一万円札を二枚入れる。タクシーは音もなく出発する。

 両親の離婚が原因で、秋山がこのミカン山に囲まれた土地にやって来た頃、日本の経済はまだ没落の徴候すら見せておらず、父親と別れた寂しさはあったが、よくしてくれる母方の祖父母と母、六つ違いの妹とともに暮らした日々に振り返りたくないような思い出はなかった。小学校ではよくある転校生へのいじめにも遭うには遭ったが、そんなに陰険なものではなく、ガキ大将と一度拳を交えた後は、みな仲間と認めてくれた。それから地元の少年野球チームに入り練習に明け暮れる毎日だった。今思い返しても、少年時代に暗い面影はなく、幸せな少年時代だった。子供の夢を尊重してくれる大人がいて、大人達もそれぞれの暮らしを落ち着いて送っているように見えた。世界は強固なもので、明日という日を迎えるのに不安を掻き立てられることはなかった。家の周りを囲むミカン山はその姿を変えずに、秋山が死ぬまでそこにあり続けるものだという、根拠のない確信があった。
 しかし今日見るミカン山は荒れ放題で、大きくなって自然に落ちたミカンが山の斜面を転がったり、木の根元に落ち放題になっていた。ミカンを作る人も減って、山が捨てられているのだろう。随分使われていない錆びたミカン運搬用のレールが、山の斜面に幾筋も残るだけだ。人の姿はまったく見えない。直接の原因は、オレンジの自由化だろうと秋山は思う。ミカンを作っていた人達は猛反発したが、時の政権の政策方針は彼らを一顧だにせず、アメリカから安いオレンジが大量に入ってきた。それだけのことで、秋山の知っていたこの辺りの景色が徐々に変わっていくことになり、あれだけ明るく自信に満ちていたように見えた大人達も不機嫌になっていった。以来十数年、大人達の心からの笑顔を見ていないような気がする。それは秋山自身も含めて。

 タクシーはミカン山をひとつ越え、山の斜面に並んで張り付くように慎ましやかに佇んでいる墓地へと向かった。
幼い頃は、墓参りに行くのが楽しかった。一家総出で弁当を持って、たまに軽トラックが通るだけのミカン山の山道をポツリポツリ、祖父から昔話を聞いたり、左手に広がる穏やかな海を見たり、流れる雲に心遊ばせたりして、墓地までの道を歩いた。祖父はよく戦争の話をしてくれた。祖父にとっては地元を離れる最初の機会だったらしく、軍隊での共同生活もそれなりに楽しかったと言っていた。それは多分、外地へ赴くことがなかったのが大きな原因だろうと、中学生になった秋山は思ったが、祖父の出征前の写真を見せて貰うと、写真の中の二十歳の祖父はやはり幾分緊張した面差しで、生きて帰ってはこられないことも覚悟していたのかなとも思った。
タクシーを山の麓で待たせておいて、秋山は急な斜面を登って行った。秋山家の墓は、墓地の一番奥の山側にあった。祖父母は家と土地とミカン山を売った金で有料老人施設に入ってまだ健在なのだが、母は四年前に他界していた。くも膜下出血だった。珈琲と酒が好きな人で、いつか自分で喫茶店を持つのが夢だと言っていた。墓に手向けられている花はもうだいぶ萎びていた。そういうと、秋山は墓に花を持ってきたことがない。いつも缶コーヒーとワンカップを一本ずつ墓に供え、線香を焚き、墓の前で自分も缶コーヒーとワンカップを飲み、亡き母との時間を過ごす。墓に参る度に、なかなかいい話が持ってこれないでいる。それでつい、墓参の足も遠のく。「早く嫁さんでも見つけなさい」と墓の下から母が渋い顔をして言っているようだ。「そういろいろうまくはいかないんだよ、かあさん」と秋山はひとりごちる。
# by uts_home | 2009-08-17 02:30 | コラム | Trackback(5) | Comments(0)
彼と彼女のブルーズ(2)
由紀が教員を辞め実家に帰ってきて、もう四年になる。憧れだった小学校教諭の座につくのも並大抵の努力ではなく、浪人までして全国の教員採用試験を受け続けて何とか勝ち得たものだったが、晴れて赴任した海沿いの工業都市の小学校、実際の現場は想像していた以上に大変で、由紀は日々精神をすり減らしながら児童と向き合っていた。不調はある日突然やってきたというわけではなかったが、自分ではそう認識しにくい。学校に行くのが辛くなるとは思ってもみなかったが、医師の診断は鬱だった。しばらく休職した後、出たり休んだりを繰り返していたが、そんな自分が嫌になり、結局地元に帰った。両親は安堵したようで快く一人娘の帰還を受け入れてくれ、由紀の生まれて初めての一人暮らしも終わりを告げた。都合四年の教師生活だった。
 帰ってきてしばらくは何もせず、専業主婦の母の手伝いをしたりしていたが、近所のおばさんが「もったいない」と言って持ってきてくれた塾講師の話に乗り、三月ばかり小学六年と中学三年のクラスを受け持った。しかし教室で生徒のまっすぐな視線を受けると、由紀はうろたえた。「私はこの子達に何を教えればいいのか」と、学生の時は大層に持論をぶっていた教育論は何処へやら、人としての自信すら失いそうになり、子供と向き合うどころか自身のことも霧の彼方のようで、そんな自分を叱咤しながら教壇に立つには立ったが、そんな日々が長く続くはずもなかった。由紀はまた自室で過ごす時間が増えるようになっていった。

 閉じこもりがちになる由紀を連れ出してくれたのは、学生時代の親友の香織である。香織は由紀が地方に赴任している間に、学生時代から付き合っていた彼と結婚し小島から大野へと姓を変えていたが、しっかりと実家の近所にマンションを借り快適な結婚生活を送っているようだった。正直、人生を順調に歩んでいるように見える香織を見て内心穏やかでない時もあるが、「人は人」と割り切らなければまた不調の種になってしまう。そうは言っても、三十を過ぎてしまった身には言い訳にしかならないかもしれない。不調、不調、といっていても、時は過ぎる。過去は還らない。
 もう一人、由紀に刺激を与えてくれるのが、これまた学生時代の親友の尾崎佐智子だった。佐智子は帰国子女で、学生の時から夜のバイトをしたり何かとハジけた女だったが、本人の第一志望で入った教育出版社をあっけなく二年で辞め、今は大手の経営コンサルタントで通訳をしていると言っていた。いうなれば佐智子も教育に合わないタイプの人間だったということだ。色恋もそれなりに派手に楽しんではいるようだが、妻子ある男との関係が五年も続き、それが頭痛の種になっているようだった。前回お茶した時も「そろそろ潮時かも」といつものように眉間に皺を寄せて葉巻の甘い煙を吐いていた。由紀には何故そんな思いをしてまで不倫を続けるのかわからなかったが、何事にもハッキリしているタイプの佐智子がことこの件にだけグズグズしているというのは、やはり男と女には、二人だけにしかわからない何かがあるのだろうと推察するしかなかった。もちろんお互い三十も超えて、それぞれの色恋に忠告するような野暮なことは出来なかったし、由紀は不倫でも道に外れた恋でも何でもいいから、久しぶりに胸が高鳴る気持ちになりたい、と佐智子の話を聞くといつも思った。

 由紀の朝は遅い。午前十時を過ぎてもまだベッドの中にいることが多い。母親ももう起こしにくることはなくなった。百円均一ショップでのバイトは午後四時から午後十時までの六時間。その他の時間は自由だ。有り余る自由。悲しいパラサイト・シングル三十代の自由だ。この自由を金銭に換算すればいくらだろう。この自由を得るまでに人類が屠った血の量は如何ばかりだろう。毎朝、そんなことを思いながらしばらく自室の天井を眺める。睡眠薬のせいで少しボーッとした頭を持て余しながら、ベッドから起き出し窓の外を見遣る。街路樹はもうとうの昔に裸になっており、冬の優しい陽射しが穏やかな住宅街を包んでいる。音ひとつない。音ひとつない世界に、私ひとり。そんな気持ちに陥ると、きまって大声を出してこの静寂を破りたくなった。しかし部屋のドレッサーに映る由紀は、そんな突拍子もない行動が似合う小娘では、もうなかった。ドレッサーの中の寝起きの自分の顔をしげしげと直視した後、いつもこんな気分に陥った時はそうするように、ニルヴァーナの『Never Mind』をヘッドフォンで大音量で聴いた。
 階下のキッチンで味噌汁の鍋を暖め直していると、勝手口脇のコルクボードが目についた。ピン止めされているメモ帳には「AM10:00~PM3:00 ひまわり。母」とある。母親は最近近所の老人福祉施設で昼食介護のボランティアに出ている。今日も家族の誰とも顔を合わさない日になるだろう。そのほうが、気が楽でいい。
 母親には「介護ヘルパーの資格でも取れば」と勧められたが、子供相手の仕事をした後、何故老人相手の仕事をしなければならないのかと噛み付いた。母親の通っている老人福祉施設も覗きに行ったことはあるが、あのなんとも言えない時間の流れに背筋が寒くなるような思いがした。由紀以上に無駄に息をし、時間を持て余している存在がそこかしこにいた。自分が自分であるかどうかもわからない、ただ生きているだけの命がそこにあった。かつては誰かの可愛い息子であり娘であり孫であった存在が、頼りがいのある父であり母であった存在が、皆一所に集められ強制的に寝起きさせられている。そこに命の尊厳を、由紀は感じることができなかった。己の人間観、人生観の乏しさを歎きもしたが、実際に臭いのする赤の他人の老人達を前にして、手を差し伸べたいとは素直に思えなかった。施設には多くの若者達が働いていたが、彼らには感嘆こそすれ、その心情は理解しかねた。対象は日々死にゆく人々なのだ。そんなことを言ったら「人は生まれた時から死に向かって歩いている」と言われるかもしれないが、実際にただ単に死までの時間を引き伸ばしているだけに見える対象に対して、愛情を持って接するなど出来ることだろうか、人は人に対してそこまでの思いを持てるものだろうか、と由紀は考えた。勿論彼らだって仕事だからそれをやっているのだ。由紀が以前子供達に掛け算を教えていたように、オムツを取り替え、風呂に入れる。そこに個人的な感傷を差し挟む余地はない。早く割り算を覚えさせることが肝要なのであり、上手に体位交換できることが重要なのだ。サービスの受け手の立場に立って物事を考えなければ、しばし労働従事者は己の存在意義を見失うことになる。とはいえ、やはり日々育ち成長していく子供達と、日々老いさらばえていく老人達とでは、あまりにギャップが激しすぎた。こういうことに逡巡しだすと、由紀は決まって「本当のところ、私はそんなに人間が好きではないのだろう」と結論づけた。そうやって、自分自身からも距離を置いていた。何事も深く考えることに臆病になっていた。そんな状態で、万が一出会いなどあっても恋などできるはずもなかった。
 味噌汁にご飯に漬物と簡単な朝食兼昼食を済ませ、見るともなくいつものように昼の連続ドラマを見、続けて始まったワイドショーの中の喧騒に嫌気がさしテレビを切った由紀は、バイトに出かける準備をした。さすがにスッピンではもう表に出られないので薄く化粧はするが、格好はいつもトレーナーにジーンズにパーカーといったラフなものだった。電車で行けば二駅かかるバイト先までの道のりを、由紀は線路沿いの道を四十分かけて歩いて行った。毎日歩いていると、日々景色の中の変化を感じることが出来、それが今の由紀の唯一の楽しみだった。それに歩いていると、体調も整えられて脳の具合もよくなる気がした。この道を真っ直ぐ行けば何処まで行けるのだろうと、小学生の男の子みたいな事を考えながら歩くのは楽しかった。世界の中で由紀だけが、カネにも毒されず、時間にも束縛されず、真っ当に生きている気持ちになれるのも嬉しかった。
 バイト先での仕事は単調そのものだった。入庫品を検品し、品物を棚に揃え、レジを打ち、お辞儀をする。由紀の目から見ても、よくこんなものが百円で売れるなという品物がたくさんあった。大方中国あたりで大量に安く作っているのだろうが、これを作っている中国人達の生活を想像すると、やっぱり日本は豊かなのかもしれないと思ったりもした。そうはいっても、近頃は生活必需品を百円均一ショップで賄う人が増えていて、日本の不景気の根は深そうだった。そんなことを考えながらも、黙って品物を選んで買っていくだけの客の相手は、精神的に楽だった。ナマモノとしての人間を感じずに済んだ。経済的合理性だけで動く計算可能な存在としての人間のほうが、子供や老人の相手をするよりはるかに簡単だと思うが、世間一般では大人相手の仕事のほうに価値があるように思われ報酬も大きい。それに比べて子供や老人相手は苦労と報酬の面で言えば、ほんと好きでないとやっていられないと思う。それもこれも、多分政治が悪いのだろうというくらいは由紀にも分かるが、かといって積極的に政治にコミットしていこうという気にもなれなかった。あれこそカネに縛られた、人間としては最低な生き方だと思う。
# by uts_home | 2009-08-17 02:18 | コラム | Trackback(1) | Comments(0)
彼と彼女のブルーズ(1)
村瀬は休日出勤の帰宅途中の車の中、いつもつけっ放しにしているFMラジオを聴くともなく聴いていた。山手の住宅地へ向かう片側二車線のレーンはテールランプで埋め尽くされている。その上をモノレールが音もなく滑ってゆく。いつもこんな早い時間に帰宅することがないので、帰宅ラッシュの波に少々イラつきながら煙草に火を点ける。ラジオの番組が華やかなクリスマスソング特集からニュースに切り替わる。派遣労働者に対する急な契約打ち切りの話が全国各地の自動車工場を中心に起こっており、この年末には大量の派遣難民が発生するとニュースは告げた。
「帰る家と仕事があるだけマシなのか・・・。」
と村瀬はひとりごちた。確かに工場の人員も、繁忙期の今は多くの日雇いバイトがギフトセットの生成に励んだり、多くの出荷量に見合うだけの車が混みあったりしているが、これも年が明けると場内がガランとするのは毎年のことだった。一サラリーマンの村瀬には、事業主の年末の資金繰りの辛さなど想像も出来ないし、日々自分の仕事をこなすだけで精も根も尽き果てるばかりだが、世界同時不況と言われる昨今、その影響は村瀬にも遅かれ早かれ及ぶことは明らかだった。自分一人ではなす術もない、なんとも言えない閉塞感、何処にぶつけたらいいのかわからない苛立ちを、ここ数年村瀬は抱え込んでいた。そんな村瀬に嫌気がさしたのか、妻の理恵は何も言わないままひっそりと家を出、今は誰も待つ者もいない2LDKのマンションに帰る日々が続いていた。
 車をマンションの最寄りのコンビニの駐車場へ入れる。シャンプーが切れていたか。シェービングクリームも買わなければと思いながら、「いらっしゃいませ」という無機質な声をすっきりしない頭の中に織り込んで、買い物カゴに手をやる。安い詰め替え用のシャンプーと敏感肌用のシェービングクリームをまずカゴに入れた後、冷蔵庫の前に立つ。いつもの『東洋ゴールデンラガー』五百ミリリットルの六缶パックをひとつ取り出しカゴに入れ、店内を回ってスモークチーズとサラミをその上に入れる。レジ横で大きな容器に一杯のおでんを入れ、マイルドセブンライトのボックスを一箱貰い、清算する。五千円札を出したがそれでは足りなかった。しかたがないのでスモークチーズを諦めることにする。
明りの灯っていない家賃十万円の我が家へ帰る。いつまでここを借りるつもりなのか、自分でも判然としない。考えることを放棄している。惰性でここに帰ってくるだけだった。妻の去った後の家は、男の一人暮らし特有の臭いが立ち込め、日々散らかるだけの空間になっていたが、段々とそういう家のこと全てに鈍感になり、カーテンなどここ何週間も開けた記憶がなかった。コンビニのビニール袋が散乱しているフローリングの床に、コート姿のまま直に座り、新たなコンビニの袋を開ける。ビールの六缶パックのカートンを破り、冷えた『東洋ゴールデンラガー』を一気に喉に流し込む。おでんの容器に無造作に割り箸を突っ込み、しらたきや大根をやっつけながら、立て続けにビールを二本空けたところで、人心地ついた。夏のボーナスでちょっと奮発して買ったオーディオの電源を入れ、最近よく聴く戦前ブルーズに耳を傾けながら「こんな根っから音質の悪いCD聴くんじゃ、このオーディオ勿体なかったかな」と思いつつ、単純なフレーズを口ずさむ。「最後の勝負も勝ち目なし」などと繰り返し口ずさみながらしばらく聴いていたが、このままどっぷりとブルーズの波に浸っていたんじゃ人間が駄目になる、と半分酔った頭で思い直し、とりあえずシャワーを浴びることにする。熱いシャワーで、日々の憂いも何もかも洗い流すことができたらどんなにか楽だろう。

 シャワーから上がってくると、携帯に着信とメールが残っていた。工場で一緒に働いている一年目の大西からだ。同期で忘年会をやっているらしい。「何処か二次会にいい店を知らないか」という内容。「よければ一緒に飲まないか」という誘い文句もあった。シャワーを浴びてさっぱりした村瀬は、普段なら無視しかねない内容のメールに返信してやろうと思った。そして、この部屋で鬱々と一夜を過ごすよりは、煌びやかなターミナル周辺の空気を吸うのも悪くはないだろうと思い、誘いに乗ることにした。若手の相手をするのはそれなりに面倒くさいことではあるが。
「一時間後、高島屋の正面玄関前」
とだけ返信し、セーターにチノパン、コートにマフラーにスニーカー履き、といったラフな格好で身繕いを済ませてから、風呂上りのビールを一本飲み、夜風の冷たい中、最寄りのモノレールの駅まで駆けていく。

 山手の新興住宅地、と言ってももう三十年も前に開発された土地、村瀬が生きてきた年数と変わらないだけの「歴史」を持った街を、村瀬は駆ける。鉄道路線はモノレールがひとつきり。団地の周りには大きな外周道路、あとは毛細血管のように狭い道が団地の隅々を通っている。大型のショッピングセンターもあったが、一昨年破綻。小さなテーマパークもあったが、それも破綻。今は建物だけが寂しげに残っている。都心の地価が大幅に下落し再開発が進む中で、この街にも新住民が入ってくることは少なくなり、住民の高齢化が問題にもなっている。村瀬は初めこの土地に暮らし始めた頃、どれも似たような建物ばかりが並ぶいくつもの通りを見て「これは確実に自分は迷子になる」と思った。東西南北の方向感覚すらおかしくなるのではないかと思っていたが、似たような住宅地育ちの妻の理恵には、これが故郷の景色だった。「なんとなく落ち着く」と理恵は言い、建物に挟まれた陽の射さない狭い公園で四つ葉のクローバーなんぞ見つけてきては、押し花にしてリビングのテーブルに飾ったりしていた。「こんな面白みもなにもない建物ばかりの平坦な風景が故郷の景色になるのか」と、山間の小さな村で育った村瀬にはショックだったし、この土地には神様はいないだろうと思った。神様のいない計画された街で計画された暮らしが計画通り進むという僥倖に恵まれたのは、高度成長の終わりからバブル崩壊までのほんの一時で、村瀬が入ってきた頃はもうその計画の杜撰さばかりが目に付くようになっていた。村瀬はこんなところで子を授かるのは嫌だったし、かと言って田舎に仕事があるわけでなし、理恵を説得する自信もなかった。
 そんな自分にとっては特別な感情を何一つ思い起こさせない土地に寝起きしながら、惰性で職場と家の往復をするだけの日々だった。理恵との仲が冷め始めたのはいつ頃だったろう・・・。そういった相手の些細な変わり方にも鈍感でなければならないほど、仕事というものは村瀬に全神経を使うことを強要した。朝はまだモノレールが動き出す前に車で工場へ向かい、帰りはもうモノレールの営業が終わった後、ヘトヘトの体で車を運転して家に帰る。シャワーを浴びて缶ビールを二本飲むのがやっとで、テレビはおろか新聞を読む気力もない。通勤時に車のラジオを聴かなければ、世の中がどうなっているのか一切知るよしもなかった。興味を引かれるようなニュースはいつだってなかったが、仕事場以外での言葉を聞くと、自分もまだなんとか世の中の淵に引っ掛かっているとは思えた。そんな調子では、妻の理恵と充実した夫婦の会話など交わすことも出来ず、リビングのダイニングテーブルで放心したようにビールを飲みながら、一方的に喋る理恵の言葉を脳を介さずに聞き、ただただ頷きを繰り返した。一体彼女は何をあんなに一生懸命話していたのか、一人になった今思い出そうとしても、紅潮した顔で話すその姿は思い浮かべられるのだが、その内容となると一切思い出せなかった。そのことに思い至った時、理恵との時間とは一体何だったのだろうと村瀬は一人考えた。そんなにまでして傾注している仕事だったが、給料が上がるわけでも、満足に日々こなせているわけでもなく、生活においても仕事においても、自分に自信なぞ何ひとつとしてなかった。しかし、今夜も酒を飲んだら、また大西達に社会人としての生き方なんぞを口角泡飛ばして説教するのだろう。
「不毛だなぁ。」
大きくひとつ溜息ついでに声を出して「不毛」と言ってみる。闇夜を裂くようにホームにモノレールが入ってくる。「いつだって飛び込めるんだぜ」と内心わけのわからない悪態をつき、モノレールに乗り込む。モノレールは音もなく村瀬の体を都心へと滑らせて行った。
# by uts_home | 2009-08-17 02:17 | コラム | Trackback | Comments(0)
大文字の夜に・・・
メールありがとう。すぐに返信出来なくてごめんなさい。
民孝さんも心配してくれているのですが、まだ連絡を取る気になれないでいます。お察し下さい。

残念ながら不格好なことになってしまって、二週間ほど寝て過ごしています。
主治医に診断書を書いて貰って、一ヶ月間の休職という形になっていますが、多分クビになると思います。郵便局の仕事を失うことに関しては、さして後悔はないのですが、「はな串」やリド飲食街に行けなくなるのが淋しいです。せっかくみんなと仲良くなれたのに。

思えばいつもそうでした。今回の郵便局で長期で働くのは三度目ですが、毎回仕事を失う事に対する後悔はないものの、その土地土地で仲良くなった人達と会えなくなるのが堪らなく淋しいのでした。

mixiに写真をアップしてくれているので、チアキの様子がよく分かり、いつも微笑ましく見ています。頑張っているね。自分の進むべき道にまっすぐ突き進むチアキに、若さと爽やかさを感じさせて貰っています。やっぱり青春とはかけがえのないものだな、と写真の中のチアキを見て思ったりします。

この二週間はほとんど酒を飲んでいないので、その代わりというわけではないですが、集中的に本を読んだりDVDを見たりしています。少し体調が悪いほうが、難しい内容の本は頭に入るようなのですが、読んでいるのが結局、今回の不況の解説だったり、いかに日本の近代化が稚拙だったかの論説だったり、太平洋戦争時の軍部の愚かさだったりするので、一向に気が晴れません。DVDもつい戦争物やシリアスな物を借りて来て見てしまうので、これまた鬱をますますこじらせるようなことになっているのです。自分で「馬鹿だなぁ」と思いますが、なんともしようがありません。

「外に飲みに行きたいなぁ」とも思うのですが、なんとなし思いきりが悪く、コンビニ弁当ばかり食べています。残念な事に薬のせいで食欲は旺盛で、痩せる気配はありません。

あぁ、久しぶりのメールでつい喋り過ぎてしまいました。ごめんなさい。この二週間、メールも電話も一切せず、ブログもほとんど更新していなかったものですから、喋りだすと止まらなくなってしまいました。

しかし今年の夏は夏らしい日がなかったですね。今夜は五山の送り火ですが、この行事が終わると夏も終わりという気がします。祇園祭から送り火までが「夏」という感じですかね。今年は一回も泳ぎに行けなかった、それどころか海も見なかった、残念です。

チアキは実習頑張って、充実した夏にして下さい。


追伸:もう少し元気になったら、ホームヘルパーの資格でも取ってみようかと思っているのですが、またアドバイスなど頂けると有り難いです。よろしくお願いします。

では、また会える日を楽しみにしています。

# by uts_home | 2009-08-16 18:10 | 未分類 | Trackback | Comments(0)
国棄て宣言
仕事終わり、いつまでも梅雨空の晴れない京都は堀川塩小路の焼肉屋で同僚達と飲んだ。私の今の収入では焼肉なぞ食える身分ではないのだが、たまには肉だって食いたい。

我が身の恥を殊更に言い募るようで恐縮しきりだが、今の私は非正規雇用の35歳、今月の給料は72000円である。ワーキングプアなんて生易しい言葉では足りない、『赤貧』の日々である。正直タバコ銭にだって事欠いている。どこに女の子を引っ掛けるための軍資金があるというのか。もちろん今宵も淋しい夜を終電に乗って駆け抜けるのである。この闇夜を突き抜けたら、どんな景色が待っているというのか。

過去にややこしいいきさつはあったが、『世に倦む日日』は欠かすことなく読んでいる。すべてにおいて首肯するわけではもちろんないが、四年前と変わらぬ精力的な筆致には、今も頭が下がる思いでいる。
今日のエントリでは民主党のマニュフェストから『格差』の文字が消えたとあった。これは由々しき問題である。私のようなワーキングプアを突き抜けた赤貧の民にとっては、希望を奥歯からねこそぎ抜かれたようなものである。今の日本社会で『格差』以上に重要な政治課題などあるのか。

日々、非正規雇用の同僚達と働いている。頭を傾げることが多い世の中だが、「なんでこんなに優秀な人材がこんな報酬なのか」と、喉の詰まる思いがする。日本の若くて優秀な人材は、チャンスも与えられず棄てられている。『棄民』である。国が私達を棄てるなら、私達も国を棄てるまでである。今度の選挙結果如何に関わらず、国棄ての心の準備だけはしておこうと思う。

毎日、四条烏丸界隈を郵便物を集めながらテクテク歩いて思うのは、『殺すなかれ』、このことだけである。単調で成果の見えない郵便物集めをしながら、「殺されることあっても殺すことなかれ」この一念だけで歩いている。逆説的かもしれないが、今は「殺さない」ことの矜持だけで生きている。正直、いっぱいいっぱいである。
はっきり言って、「希望」は1ミリも見えない。それでも生きていかねばならない。窮余の策で私は歴史に答を求めた。宗教に、仏教に救いを求めた。「般若心経」を朝夕に唱える毎日だが、それで問題が解決するとは到底思えない。やっぱり政治の力が必要なのである。その政治の、次の政権を担おうかという政党が、『格差』を問題にしない。これこそ欺瞞ではないか。国民を幸せにする気など毛頭ないのではないか。

赤貧の民である素楽は問いたい。どうして経団連との数年ぶりの政策協議に踏み切って、それをそのまま持って帰ってきてしまったのか。労働者を断固守ると何故言えないのか。そんなことをチンタラ表舞台やら裏舞台やらで演ってるうちに、こっちはもう「国棄て」始めるんだかんな。あわてんなよ、バカどもが。

今宵のYouTubeは、懐かしいとこ行きましょう。岡林信康で『私たちの望むものは』。お聴きください。
# by uts_home | 2009-07-29 01:00 | コラム | Trackback(5) | Comments(0)
チェット・ベイカーという堕天使
腹ペコの体を抱え電車に乗って庵に帰ると、同時進行でしたい物事が多くて困る。まずは「労働」でかいた汗をシャワーで洗い流したいし、風呂上がりにビールは飲みたいし、腹は減っているし飯は食いたいし、疲れを癒すジャズをゆったりと聴きたいし、そうはいうもののニュースも見たい。
というわけでまずはビールを一杯空けてから、おもむろにご飯をかき込み、腹の虫が治まってから本格的に飲むことになる。こんなことをしていたら太るのも当たり前である。そして今夜は久しぶりにモダン・ジャズの資料的DVDをかけながら、イカの刺身なぞつついてビールを飲んでいたのだが、どうにも「報道ステーション」の様子が気にかかり、麗しき音楽の時間も即中断である。ニュースとは無粋なヤツである。

官製ワーキングプアの問題を特集していたが、ひどいものである。一気に酒がまずくなる。実情はだいたい世間を見ていればわかることだが、この体制で事業を継続していくことのマイナス面というのは、当の担当者レベルでは如何ともし難いことなのであろう。懐かしい『合成の誤謬』の典型である。原理原則をはき違えるからこういう問題が起こる。「だれのために、何のために、どうやって、」戦前の関東軍の愚挙を笑えない事態が日本中の自治体で起こっているということだ。こういうことが積もり積もって、いつか決壊した時には、もう万全の態勢を敷いている戦時経済体制に有無を言わさず組み込まれてゆくのだろう。

あぁ、いやだいやだと思いながら、布団の上に寝そべって、辺見庸がチェット・ベイカーについて書いた短編を読み直す。チェットの堕ちきった、麻薬に取りつかれたその何の反省も悔恨もないプレイが、痛みを癒すわけでなく、痛みを忘れさせてくれる、という箇所が気に入っていて、読み終えると聴きたくなり、またぞろ起きてきてパソコンを起動し、YouTubeで聴くことにする。睡眠薬は随分前に飲んだが、チェット・ベイカー聴くのに烏龍茶はないだろうってんで、安ウイスキーに氷を浮かべて、しばしの邂逅、まったき無為な時間。魂にも緩めてもいい時間帯ってのがあるのさ。みんなが生産性や効率のことばかり言っていたら、やっぱり息が詰まるじゃないか。それでなくてもバンバンな閉塞感に追いまくられて一息つくことも出来やしないというのに。そんな時は、なんのメッセージもない、このとんでもないジャンキー野郎のチェット・ベイカーのプレイに耳を傾けて、魂を軽くするのさ、タンポポの綿毛のように。何も語らないってことは、時として癒しにもなる。無為に過ごす時間は通り過ぎる時間がすべて等質なものだと錯覚させてくれる。この錯覚から目覚めたくはないのだけれど、ジャンキーでない私はそうもいかなくて困ったものだ。しかしこの演奏は素晴らしい。辺見庸は良さが分かるまでに60年かかったと書いていた。私も素晴らしいとは言いながら、なんらその本質はわかっていないのだろうな。

では今宵のYouTubeはチェット・ベイカーで『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』。どうぞごゆっくりお聴きください。
# by uts_home | 2009-07-28 00:46 | コラム | Trackback | Comments(0)
辺見庸という逃避
衆議院解散があって、皆既日食に沸いて、そういうことどもとは微塵の交わりもなく私の人夫仕事の日は暮れ、その憂さを串かつを生ビールで胃袋に押し込みながら晴らし、終電間際の列車に酔い醒めの悄然とした心地で乗り込む。「あぁ、このままの毎日ではいけない」と思いながら、いつも思いながら、結局は睡眠薬の助けを借りて昏々と眠り込む以外にプライベートらしいプライベートもなく、また日が明けたら何の生産性も遣り甲斐もない賃仕事に向かわざるをえない。実験場の白いマウスになったような心境で、この生というものを振り返ってみたりもするのだけれど、マウスは所詮マウスでしかない。「ドブネズミのように美しくなりたい」とザ・ブルーハーツは歌ったが、私は薬の副作用でブクブクに膨れて、もう美しいなんてもんじゃない奇怪な姿態を世間に晒しているだけのデクノボーである。こんな毎日に火をつけるためには、今のままでは多分あまりにブンガクが不足しているのだろう。昨日寝床についてからそう思いついた。

話題になっている村上春樹の『1Q84』を買おうかと、梅雨の晴れ間の休日、近所のスーパーの3階に入っている本屋へ向かう。見事に平積みされた『1Q84』を手に取ってパラパラと頁を繰ってみるものの、あまり読みたい気が起らない。そういえば私が村上春樹を読んだのは『国境の西、太陽の東』一冊きりで、どんな話だったかもさっぱり忘れているが、それほど肌に合わなかった記憶だけがある。だから何故彼がベストセラー作家なのかということが今もわからないままである。そしてずっと筆が止まったままの私自身の拙い小説風の試みに弾みをつけるべく、評価が高く売れる作家の文章にあやかりたいという思いもあって『1Q84』を読んでみようとも思ったのだが、3600円の支出はやはり今の私には重く、書棚をグルグルと回りながら決心をつけようとするも上手くいかず。3600円くらいパチンコに負けたと思えばどうということもないのかもしれないが、生憎ギャンブルというものに寸分も素養を持ち合わせていない私には、そういう決心の仕方が身に付いていない。
書棚を回っているうちに、辺見庸という文字が目についた。まだ私が持っていない『独航記』と『美と破局』が運良くあったので、『1Q84』はやめにしてこの2冊を買うことにする。これで私は辺見庸の著作を16冊所持することになる。

辺見庸を読み始めたのは、T.N.君と一緒にこの『Under the Sun』の作業をしていた時で、彼には随分いろいろな書籍や音楽を薦めて貰ったが、当時刊行されたばかりの辺見庸の『自分自身への審問』もその中の一冊だった。恥ずかしながら私はその時まで辺見庸という人を知らなかった。薦められて随分日が経ってから、本屋で気まぐれに『自分自身への審問』を手に取り、読んでみた。これはなかなか誰にでも書けるものではないな、と思い、彼の著作を本屋で見かける度に購入するようになった。
面白い文章もあれば不快になる文章もあるこの人特有の筆の運びは、万人向けのものではないかもしれない。しかし非常に大事なことを言っている。病に倒れた後はより一層切実に、人間存在の闇に焦点を当てた思索が深まり、この時代にあっては他に縋るものもない私は、つい辺見の文章に耽溺してしまう。しかしこれも、辺見の文章を読むことも、ひょっとしたら体の良い逃避でしかないのかもしれないという朧な自覚はある。多分それくらいのことは辺見も承知の事なのだと思う。「だったら、だったら私はどうやって闘えばいいんですか!」と絶叫をあげてしまいそうになる夜ばかり続く。どうにかこうにか薬で興奮を抑え込み、機械的な眠りを眠る。もうどうせなら絶望の作法を教わったほうが話が早いのかもしれない。近頃仏教にかまけている私の本心は実はそのあたりにあるのではないか。「絶望の作法を身に付ける」という意味において。

辺見は安易な希望など語らない。辺見は人生における大事なこと、沈黙すること、を知っている。辺見の命がいつまで続くのかはわからない。もちろん私の命だっていつまで続くのだかわからない。みんなが生きているのはそういう「生」だ。ナマモノなのだ。取り扱いにはやはり慎重を期すべきだ。爆弾を落として破壊していいようなモノではない。

私は辺見の良い読者ではないと思う。だが、彼の著述は歴史的にもおおいに意味があることくらいはわかっているつもりだ。これからも新しい文章を読めることを楽しみにしている。

今日のYouTubeは、京都のクラブで辺見が講演会を行った時に会場に流されたという、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)の『雨を見たかい?』です。日産セレナのCMソングにもなったこの曲ですが、実は痛烈な反戦歌であるということ。そういうものまで取りこんでしまう資本の強欲さというものに辟易してしまいます。芸術も消費の対象でしかなくなったこの後期資本主義経済社会において、「正義」とは一体なんなのでしょうか?
# by uts_home | 2009-07-23 16:39 | コラム | Trackback(1) | Comments(0)
ネット世論て何だ(2006.03.19)
玄耕庵日乗』の素楽でございます。新着記事が書けず、またもや過去記事でお茶を濁して申し訳ないのですが・・・。3年前に書いた駄文です。ご笑納下さい。


ネットの中で特定アジアとか愛国心とかにセンシティブな人達に一言言いたかったり。

わしには爺さん2人いた。1人は大陸や南方へ行く前に内地で終戦を迎え、1人は病気で兵役を免れた。兵隊に行ってた爺さんは「田舎離れて集団生活楽しかった」とは言っていたが、2人の戦後に対する考えは全く正反対のものだった。
勿論社会的属性が随分違う2人だったから、色んなものに対して割に距離の遠い見解を聞かされてきたが、少しでも肌で感じたことと、書物と空想に依拠した言葉となら、わしは前者の方に少し比重を置いて物事を考えてみたい。

国やわしを守ってくれるなら、こんなありがたいことはない。そう考えてくれているのなら、是非自衛隊に入って組織の底辺を支え、日本の安全保障に貢献して欲しい。歪なピラミッドのままでは任務に支障が出る。

わしも警察学校入校1週間前に大学卒業させて貰えず警官になりそこねた人間だし、元自衛官の友人もいる。これがまたわしには勿体ないくらい義に厚く、最高にいい男だ。今はわしが顔向け出来る状態になく会えないが。911テロの実況速報を共に見たなぁ、懐かしい。
というわけで、心情的に共感出来るところもある。
だから安全保障上の問題が最重要課題だと思うのであれば、それに尽力するべく速やかに入隊されてはどうか。
時の流れは思ったより早いし、ボヤボヤしていると年齢制限に引っかかってしまう。

セネカではないが、人生は短い。自分の主義主張に殉ずるのは男子の本懐じゃないかね。
主義の違う人間の庭で言い散らかすことが安保向上につながるかね。論戦に勝ったと悦に入ることが国益につながるかね。
男なら、そういう意を異にする人間も、グッと黙って守ってやりなさいよ。
人任せではいかんよ。あなたがやりなさい。
さぁ筋トレ開始。

そしてあなたがわしらを守ってくれるように、わしらもあなたを守ろう、守れるように精一杯尽力しよう。一体何が出来るかはまだわからんが、そうあれるよう考え続けよう。
訳の分からん最高指揮官からあなたを守れるように。訳の分からん輩が最高指揮官にならんように。

あなたの公に対する想いが、つまらぬねじまげられた唾棄すべき結果を生まぬように。

あなたは尊重されるべきだし、あなたが尊重されると同じように他者も尊重されるべきだ。もっと言えばわしは尊重されなくても皆は尊重されなければ。
そう思う31の寒い春。


今宵のYouTubeは、ポリスで『見つめていたい』。悩める若者達の一挙手一投足を具に見つめて、その苦悩を掬い取ってあげたい気持ちはあるのですが、私自身の生活もままならず、なかなかそういう活動に手を出せないでいます。彼らには、安直な国粋主義や政治経済観に陥って欲しくないし、『人間』の悲哀や苦悩や愚かしさや愛らしさをもっともっと見つめてもらって、投票行動に映して欲しい。そう思ったりもするのですが、いかんせん35歳非正規社員では、誰も聞く耳なぞもってくれませんかね?

次回の更新は連休明けになると思います。またよろしくお願い致します。
# by uts_home | 2009-07-18 05:35 | コラム | Trackback(3) | Comments(0)
長距離ドライバーの悲哀(2005.06.11)
玄耕庵日乗』の素楽でございます。昨日「書きまくる」と宣言したにも関わらず、過去記事でお茶を濁して申し訳ないのですが・・・。4年前に書いた駄文です。ご笑納下さい。


NHKスペシャル『トラック・列島3万キロ 時間を追う男たち』を見る。『放送文化基金賞 テレビドキュメンタリー番組賞』受賞記念アンコール放送らしい。ふ~ん。去年、本放送後の再放送の予定が急遽中止になったいわくつきの1本。どこからか圧力があったのか?
「日本経済の“血液”として、物流の9割を担ってきたトラック業界。いま時代の大きな変化の波にさらされている。「時間指定」や「産地直送」など、企業や消費者から“より早く”“より安く”を求められる一方、相次ぐ事故の影響により、大型トラックに対しては時速90kmのスピード制限装置着用が義務づけられた。「スピード」と「安全」のはざまで、大型トラックのドライバーたちは、葛藤を続けている。睡眠時間をぎりぎりまで削り、到着時間を“追う”男たち。故郷を一か月近くも離れ、全国各地を転々とする男たち・・・。
 撮影チームは3月、トラック業界の現場を見つめるため、神奈川県にある長距離ドライバーのための休息施設“トラックの港”で取材を開始した。そして、そこで54歳の一人の長距離ドライバーと出会い、トラックに同乗して取材の旅へと出た。旅からかいま見えてきたのは、スピードや効率を求める一方で、大切なものを失い続ける現代の姿だった。
これは、日本列島3万kmを走りながら見つめた、現代の“トラック野郎”たちの記録である。」

舞台となった長崎の運送会社では「安全輸送」を謳い文句にし顧客獲得を図る。
「延着はできない、スピードは出せない、あとは自分の休憩時間を削るしかない。」
飯を喰いながら、時には小便をしながら、ハンドルを握る。信号待ちの間に僅かに目を瞑る。
ドライバーの仕事は運転だけではない。荷物の手積み、手下ろしもある。
「安全輸送と言われて、時間は制限されて、どぎゃんしたらええかわからんとですよ」
「もう延着してもええと思う時がありますよ。給料なんていい。もうここで寝せてくれ、っていうね。家族を犠牲にしてまで365日車の中ですからね、結局、なんのために走っとるかわからん。」

長崎の事務所、課長がドライバー達にハッパをかける。。「雪でも台風でも延着は許されん。でも制限速度は守って貰わんと、これからはもう仕事ないけんね。」
以前延着のため取引を停止されたメーカーからの、2年ぶりの仕事。高速代もある程度出る。千葉から大阪まで原材料の輸送。所要時間は8時間、持ち時間は9時間、1時間の猶予。しかし都内を抜けるのに渋滞につかまれば・・・。遅れれば工場のラインは止まり大損害が発生する。0時千葉出発。ゴールデンウィークの真っ只中、東名を走るか、中央を走るか、どちらの渋滞が短いか・・・長年の勘を頼りに道を選択する54歳ベテランドライバー。年収は約300万円。時間に追われる毎日で胃を患い2/3を切除した。家に帰ることもままならず30代で離婚、男手ひとつで子供4人を育てた。参観日も卒業式も出てやれない。娘の婚約者に会う時間さえままならない。運転席の、たった一度、家族5人で行った旅行の写真。もう一度5人で旅行に行くのがささやかな夢・・・。
夜も明け始めた5時、中央道の山道を90km/hをキープするためアクセルを踏み続ける右足は痺れて感覚がなくなってくる。しきりに右手で太腿のあたりを揉み込む・・・。
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私の微々たる就業経験はトラックとともにあった。最初はおっかなかったドライバー達も、すぐに好きになった。職場から家までトラックに乗せてもらったことがある。あの目線の高さは気持ちが良かった。馴染みになったドライバーの家に旅行がてら泊めてもらったこともある。色んなドライバーがいるが、皆ニオイは同じだ。いい人が多かった。一緒に煙草を吸いながら話をするのが好きだった。色んな荷の話を聞いた。ちょっとした愚痴を聞いて貰った。同じ職場の人間より、心安かった。毎日飲みきれないほど缶コーヒーを奢って貰った。気に入られて融通してもらおうという算段だったのだろうが・・・。

しかし一刻も早く積み込んで目的地に向かいたいところを、延々待たせた。場合によっちゃ12時間なんてザラ。こっちにはこっちの事情がある。ドライバーはいつ声がかかるか分からず、外に食事に行くことは勿論、トイレも極力控える。アイドリングストップ徹底のおかげで真夏でも冷房は使えない。弁当も腐る。待たせたドライバー達には詫びと冗談のひとつも飛ばした。机の上ではカリカリしていたが、ドライバーには出来るだけ笑顔で接しようと思っていた。嫌な思いをしたまま走られて事故されるのは嫌だった。それにドライバーも消費者のひとり、積んで行って貰う荷を少しでも好きになって欲しかった。

深夜、「延着が確定する」と半分泣きながら訴えられたこともある。「高速代出してくれるんか!」と胸倉摑まれたこともある。早朝、「時間通り来て貰わないと困る!」と遠路はるばるやってきたドライバーを怒鳴りつけたことも数知れず。一度やってきた車を追い返すこともザラ。過労死の現場を目撃したこともある。通路の向こうから歩いてくるドライバーが派手に倒れた。頭から血を流しピクともしない。後で聞くと滅茶苦茶なスケジュールで走っていた、走らされていた。遠方から家族が病院に駆けつけた。思い出しただけで胸が苦しい。

景気が悪くなり、メーカーは物流費用に目をつけた。効率化という名の下に、極端なダンピングを行う。メーカーだけでなく大手小売も外食産業も、不要在庫の抱え込みを減らすべくジャストインタイムを敷く。生鮮品はセリに間に合わなければアウトである。様々な荷が、到着すると同時に仕分けされ右から左へ流れてゆく。停滞は時間とスペース、カネのロスだ。
規制緩和による運送会社の増加、仕事の奪い合い、運賃競争、排ガス規制、原油の高騰etc.・・・運送会社を取り巻く現状はキビシイ。

三菱ふそうの不祥事がある。せめて安心してハンドルを握ってもらいたい。
尼崎の列車事故がある。1分1秒に追われた結果、大きなものを失うこともある。

欲しい時に欲しいものが手に入る。素晴らしいことだ。潜在的な需要を喚起し、無駄を抑え、大きくビジネスも飛躍する。乾いた雑巾を絞って絞って絞りぬく。しかしその陰で、たくさんの人の様々な豊かさが損なわれているように思えてならない。(公金については、ある面は絞りに絞って欲しいが・・・)
過剰な欲望は、めぐりめぐって自分の首を絞める。ここ6年、この国では毎日100人近く実際に自らの首を絞めている・・・。

市場の失敗を是正する気など毛頭なく、経団連のいいように法改正する政治など政治と言えるのか?今の私ではあんまりこういうことは言いたくないのだが、変質者山拓がしゃあしゃあとテレビに出ているのを見てムカついたので言ってしまう。
自殺者数が増加していることについて聞かれ、「どういう事情かわからないが、あまり悲観的に思わないで、がんばっていただきたい。理由はなかなかわからない。これだという特効薬がないので困っている」なぞとホザク馬鹿タレがこんなに長く総理やってしまうのは、やっぱり異常だろ。

深夜の道路、何台ものトラックとすれ違う。気をつけて、と胸の中で呟くのが習慣になっている。


今宵のYouTubeは、サンボマスターで『美しき人間の日々』。ではまた明日。
# by uts_home | 2009-07-17 08:20 | コラム | Trackback | Comments(0)
書きまくる
玄耕庵日乗』の素楽でございます。今宵は少々酔っております。京の夜は祇園祭で一層艶やかさを増しております。
今夜からしばらくの間、此処『Under the Sun』のコラムに連続投稿したいと思っております。しばしのお付き合い、どうぞ宜しくお願い致します。


ジリジリとした四年間だったが、ついに選挙の時を迎えることが出来た。とりあえず、此処まで生き延びる事が出来た自分に乾杯。
堪えに堪えた四年だった。この間に自ら命を絶つほかないほど過酷な日々を送り、その命の灯をやむなく消されてしまった何万という方々の無念さを胸に刻み込み、来るべき決戦の日に臨みたいと思う。

「自民党がどうだ、民主党がどうだ」なんて事を、T.N.君と創り上げ、細々とながらも、賛同して頂いた数多くのブロガーの皆様と築き上げてきたこの『Under the Sun』の場で言いたいわけではない。
この四年間、皆さん様々な市井の場で、辛酸を舐められてきたはずだ。その思いを、掬われる事なく救われなかった思いを、存分に吐き出して欲しい。

「明治維新以来の官僚支配政治に終止符を打つのだ!」「必ずや人民主導の政権交代をなすのだ!」と息巻くブログもある。私はそこまでの思いは、正直ない。日本映画学校中退、立命館大学政策科学部卒の私の眼から見て、日本の民主主義はまだそこまでの、明治の呪縛を解けるまでの段階には、ない。まだまだ大衆はうつろい易く、「わたくし」を脱した政治意識を持てるような社会経済的状況にないと思う。学生の頃におぼろげに思い描いていた社会と、その実像はまるで違い、泥水を啜るようにして生きている人が大半なのが、この2009年の現実だ。それなのに何故今日のような社会を迎えてしまったのかという疑問と、自分自身に対する忸怩たる思いもあるが、それが現実だ。55年体制を具現化した人物の孫達が、何故この09年の政争の主役なのか。胸につかえるモノを消し去ることは出来ない。

私は名だたるブログの書き手のように、上手く文章を紡ぐ事は出来ない。ただ、今回の総選挙に対しては、今までの私の35年間の人生を振り返ってもかつてないほどの、ほとばしるような気持ちは、ある。それを「希望」と言ってしまっていいのかはわからない。何もなければ選挙なぞというものは四年経てば訪れる。この晩夏に予定されている選挙も、ままあるその一回に過ぎないのかもしれない。
それでも、それでもと言いたい何かが胸をせり上がってくるのを抑えられないのだ。今はその気持ちの奔流のままにキーボードを叩いている。拙いかもしれない、切ないかもしれない、それでも、それでも託したい「何か」。明日を生き抜いていくための「何か」。

そんなものを背負ってくれる政治家など存在しないのかもしれない。「いなければ作ればいいではないか」、そんな問いに対するだけの気力は残念ながら今の私にはない。そんな、堕落して、気合の入っていない、薄汚れた私でも、何とか世界に対して気まずい思いをすることなく、綺麗な朝焼けを合掌して拝めるような、そんな社会にして欲しい。そんな、そんな・・・せめて・・・。

今宵のYouTubeは、U2で『One』。また明日。
# by uts_home | 2009-07-16 00:41 | コラム | Trackback(8) | Comments(0)
『人間』その不可思議なるもの
大学生の時、あまりに世の中の人達が何を考えているのかがわからなくて、統計的・計量的に人間というものを捉えて、その行動原理を理解しようとしていた一時期があった。今考えれば、なんと馬鹿な事をしようとしていたのかと思う。

一人の人間を、目に見える社会的属性だけで判断するなんて、なんて無意味な事だろう。一人の人間の中には、宇宙の全てが内在しているというのに、ペーパー上の都合でその躍動する宇宙を敢えて除外し無視する。

体裁だけは整ったペーパーが完成して、しかしてそのペーパーは、一体人間の何を語ったことになるのか。それは愚かな行為だというくらいは私の愚かな知性でも分かったので、それ以上その研究からは足を洗ったが、今現在も我々の暮らしは計量化され続けて、ロクでもない政策の策定根拠として霞ヶ関あたりを飛び交っているのだろう。

数値化された人間、加工されるデータとしての人間、それで飯を食ってるヤツラがいて、金儲けの材料にする。そこにはもう『人間』はいない。思惑という手垢がべったりとついたデータが、陰に陽に売買されるだけだ。

年間3万人以上の自殺者が10年連続という統計は、一体何を表しているのか。一日平均100人以上の自殺者を出しているこの国の、何を表しているのか。自ら命を断たざるをえなかった彼らの、何を理解したというのか。パソコンのディスプレイに流れる数字だけでは掬い切れない、『人間』という存在に対して、どう向き合えばいいのか。

この国には『人間』を大切に扱わない伝統がある。これは歴史上でも今現在の社会でも遍く見られる光景である。こんな世の中で、子供達に『いのちを大切に』と教え諭しても、子供達が大人になった時には、教わった事と現実世界とのギャップに少し苦労するのではなかろうか。全ての命が平等に尊重されることなど一切なく、露骨に冷酷に命の軽重を見定める『大人達』のそぶりを見て、この世の非情な成り立ちに失望することもあるだろう。そんな彼らに発するコトバを私は持っているだろうか?

『人間』という存在をナメてはいけないと思う。しかし今の政治家やマスコミや産業界は、この『人間』を全く考慮に入れていない。同じ人間、同じ日本人でありながら、『人間』に対する畏怖の念がない。

湯水のように『人間』を使って、己の私腹を肥やしているのが、能力のかけらも持ち合わせない世襲政治家であり、毒電波を撒き散らしているマスコミであり、政界に恫喝をかけ続ける経団連である。

どうすれば『人間』を復権出来るのだろうか?これを考え抜く事が、毎日毎日断腸の思いで暮らしを繋いでいる人や、苦しみ抜いた末に自ら命を断つ事になってしまった人に対する、応援歌や鎮魂歌になるだろうか?

不景気でもいい。人間を大事にする社会になって欲しい。切にそう願う。
# by uts_home | 2009-07-03 12:09 | コラム | Trackback(5) | Comments(0)
限界を超えろ!(玄耕庵日乗)
今夜はここを見てくれている若い読者のために、ほんの少しだけ本気で書きます。鬱陶しい日記になると思いますが、少しだけ耳を傾けてみてください。

エラソーなこと今から言います。
人間を35年やってきて思います。人間、スポーツでも勉強でも恋愛でも、自分の限界を超えてやったことしか身につきません。もう諦めそうになってからの頑張りしか身につきませんし、自分の自信になりません。そういうギリギリの中で得た経験だけが、自分を後押ししてくれます。他人はいくら裏切っても、自分の努力だけは自分自身を絶対裏切りません。

オトナになった時に、せめてそんな「自分の限界を超えた」思い出のひとつやふたつは自分に証明できるような、そんな青春時代を送ってください。そうでないとオトナになった時に、若い子に語れるものが何もないオトナになってしまうと思うのです。若い子に自分の人生を語れることが「いいオトナ」だと思っているわけではないですが、自分で自分の半生を振り返った時に、「あの時オレはあれだけ頑張れた。だから今度だって頑張れるはずさ」と自分に誓えるような、そんなオトナになって欲しいと思うからです。そうやって生きていくほうが、多分楽しいと思うから。

男は無理してヤセガマンして、カッコよくなるんです。男の子はカッコいいオトコになってください。そして女の子はそんな「カッコいいオトコ」を見抜ける目を養ってください。男を育てるのは女の役目です。よろしく。

最後に、夏目漱石が29歳の時に、赴任していた松山中学の生徒に向けて贈った言葉を、ここを見てくれている若い読者に贈りたいと思います。あえて現代語訳は掲載しません。じっくりと漱石の言葉に触れてみてください。当時の中学生が読めた言葉です。あなたにも読めないはずはないと思います。辞書片手にこの言葉とゆっくり向き合ってみてください。さすがに日本文学最高の作家が書いた教訓、いいことが書いてあります。人生の真実のいくつかはこの言葉の中にあります。


『愚見数則』

理事来たつて何か論説を書けといふ。余この頃脳中払底、諸氏に示すべき事なし。しかし是非に書けとならば仕方なし、何か書くべし。但しお世辞は嫌ひなり、時々は気に入らぬ事あるべし。また思ひ出す事をそのまま書き連ねる故、箇条書の如くにて少しも面白かるまじ。但し文章は飴細工の如きものなり。延ばせば幾らでも延る、その代りに正味は減るものと知るべし。

昔しの書生は、笈を負ひて四方に遊歴し、この人ならばと思ふ先生の許に落付く。故に先生を敬ふ事、父兄に過ぎたり。先生もまた弟子に対する事、真の子の如し。これでなくては真の教育といふ事は出来ぬなり。今の書生は学校を旅屋の如く思ふ。金を出して暫らく逗留するに過ぎず、厭になればすぐ宿を移す。かかる生徒に対する校長は、宿屋の主人の如く、教師は番頭丁稚なり。主人たる校長すら、時には御客の機嫌を取らねばならず、いはんや番頭丁稚をや。薫陶所か解雇されざるを以て幸福と思ふ位なり。生徒の増長し教員の下落するは当前の事なり。

勉強せねば碌な者にはなれぬと覚悟すべし。余自ら勉強せず、しかも諸子に面ずるごとに、勉強せよ勉強せよといふ。諸子が余の如き愚物となるを恐るればなり。殷鑑遠からず勉旃勉旃。

余は教育者に適せず、教育者の資格を有せざればなり。その不適当なる男が、糊口の口を求めて、一番得やすきものは、教師の位地なり。これ現今の日本に、真の教育家なきを示すと同時に、現今の書生は、似非教育家でも御茶を濁して教授し得るといふ、悲しむべき事実を示すものなり。世の熱心らしき教育家中にも、余と同感のもの沢山あるべし。真正なる教育家を作り出して、これらの偽者を追出すは、国家の責任なり。立派なる生徒となつて、かくの如き先生には到底教師は出来ぬものと悟らしむるは、諸子の責任なり。余の教育場裏より放逐さるるときは、日本の教育が隆盛になりし時と思へ。

月給の高下にて、教師の価値を定むる勿れ。月給は運不運にて、下落する事も騰貴する事もあるものなり。抱関撃柝の輩時にあるいは公卿に優るの器を有す。これらの事は読本を読んでもわかる。ただわかつたばかりで実地に応用せねば、凡ての学問は徒労なり。昼寝をしてゐる方がよし。

教師は必ず生徒よりゑらきものにあらず、偶誤りを教ふる事なきを保せず。故に生徒は、どこまでも教師のいふ事に従ふべしとはいはず。服せざる事は抗弁すべし。但し己れの非を知らば翻然として恐れ入るべし。この間一点の弁疎を容れず。己れの非を謝するの勇気はこれを遂げんとするの勇気に百倍す。

狐疑する勿れ。躊躇する勿れ。驀地に進め。一度び卑怯未練の癖をつくれば容易に去りがたし。墨を磨して一方に偏する時は、なかなか平にならぬものなり。物は最初が肝要と心得よ。

善人ばかりと思ふ勿れ。腹の立つ事多し。悪人のみと定むる勿れ。心安き事なし。

人を崇拝する勿れ。人を軽蔑する勿れ。生れぬ先を思へ。死んだ後を考へよ。

人を観ばその肺肝を見よ。それが出来ずば手を下す事勿れ。水瓜の善悪は叩いて知る。人の高下は胸裏の利刀を揮つて真二に割つて知れ。叩いた位で知れると思ふと、飛んだ怪我をする。

多勢を恃んで一人を馬鹿にする勿れ。己れの無気力なるを天下に吹聴するに異ならず。かくの如き者は人間の糟なり。豆腐の糟は馬が喰ふ、人間の糟は蝦夷松前の果へ行ても売れる事ではなし。

自信重き時は、他人これを破り、自信薄き時は自らこれを破る。むしろ人に破らるるも自ら破る事勿れ。厭味を去れ。知らぬ事を知つたふりをしたり人の上げ足を取つたり、嘲弄したり、冷評したり、するものは厭味が取れぬ故なり。人間自身のみならず、詩歌俳諧とも厭味のあるものに美くしきものはなし。

教師に叱られたとて、己れの直打が下がれりと思ふ事なかれ。また褒められたとて、直打が上つたと、得意になる勿れ。鶴は飛んでも寝ても鶴なり。豚は吠ても呻つても豚なり。人の毀誉にて変化するものは相場なり、直打にあらず。相場の高下を目的として世に処する、これを才子といふ。直打を標準として事を行ふ、これを君子といふ。故に才子には栄達多く、君子は沈淪を意とせず。

平時は処女の如くあれ。変事には脱兎の如くせよ。坐る時は大磐石の如くなるべし。但し処女も時には浮名を流し、脱兎稀には猟師の御土産となり、大磐石も地震の折は転がる事ありと知れ。

小智を用る勿れ。権謀を逞ふする勿れ。二点の間の最捷径は直線と知れ。

権謀を用ひざるべからざる場合には、己より馬鹿なる者に施せ。利慾に迷ふ者に施せ。毀誉に動かさるる者に施せ。情に脆き者に施せ。御祈祷でも呪詛でも山の動いた例しはなし。一人前の人間が狐に胡魔化さるる事も、理学書に見ゑず。

人を観よ。金時計を観る勿れ。洋服を観る勿れ。泥棒は我々より立派に出で立つものなり。

威張る勿れ。諂ふ勿れ。腕に覚えのなき者は、用心のために六尺棒を携へたがり、借金のあるものは酒を勧めて債主を胡魔化す事を勉む。皆己れに弱味があればなり。徳あるものは威張らずとも人これを敬ひ、諂はずとも人これを愛す。太鼓の鳴るは空虚なるがためなり。女の御世辞のよきは腕力なきが故なり。

妄りに人を評する勿れ。かやうな人と心中に思ふてをればそれで済むなり。悪評にて見よ、口より出した事を、再び口へ入れんとした処が、その甲斐なし。まして、又聞き噂などいふ、薄弱なる土台の上に、設けられたる批評をや。学問上の事に付ては、むやみに議論せず、人の攻撃に遇ひ、破綻をあらはすを恐るればなり。人の身の上に付ては、尾に尾をつけて触れあるく、これ他人を傭ひて、間接に人を撲ち敲くに異ならず。頼まれたる事なら是非なし。
頼まれもせぬに、かかる事をなすは、酔興中の酔興なるものなり。

馬鹿は百人寄つても馬鹿なり。味方が大勢なる故、己れの方が智慧ありと思ふは、了見違ひなり。牛は牛伴れ、馬は馬連れと申す。味方の多きは、時としてその馬鹿なるを証明しつつあることあり。これほど片腹痛きことなし。

事を成さんとならば、時と場合と相手と、この三者を見抜かざるべからず。その一を欠けば無論のこと、その百分の一を欠くも、成功は覚束なし。但し事は、必ず成功を目的として、揚ぐべきものと思ふべからず。成功を目的として、事を揚ぐるは、月給を取るために、学問すると同じことなり。

人我を乗せんとせば、差支へなき限りは、乗せられてをるべし。いざといふ時に、痛く抛げ出すべし。敢て復讐といふにあらず、世のため人のためなり。小人は利に喩る、己れに損の行くことと知れば、少しは悪事を働かぬやうになるなり。

言ふ者は知らず、知るものは言はず。余慶な不慥の事を喋々するほど、見苦しき事なし。いはんや毒舌をや。何事も控へ目にせよ。奥床しくせよ。むやみに遠慮せよとにはあらず、一言も時としては千金の価値あり。万巻の書もくだらぬ事ばかりならば糞紙に等し。

損徳と善悪とを混ずる勿れ。軽薄と淡白を混ずる勿れ。真率と浮跳とを混ずる勿れ。温厚と怯懦とを混ずる勿れ。磊落と粗暴とを混ずる勿れ。機に臨み変に応じて、種々の性質を見はせ。一あつて二なき者は、上資にあらず。

世に悪人ある以上は、喧嘩は免るべからず。社会が完全にならぬ間は、不平騒動はなかるべからず。学校も生徒が騒動をすればこそ、漸々改良するなれ。無事平穏は御目出度に相違なきも、時としては、憂ふべきの現象なり。かくいへばとて、決して諸子を教唆するにあらず。むやみに乱暴されては甚だ困る。

命に安んずるものは君子なり。命を覆すものは豪傑なり。命を怨む者は婦女なり。命を免れんとするものは小人なり。

理想を高くせよ。敢て野心を大ならしめよとはいはず。理想なきものの言語動作を見よ、醜陋の極なり。理想低き者の挙止容儀を観よ、美なる所なし。理想は見識より出づ、見識は学問より生ず。学問をして人が上等にならぬ位なら、初から無学でゐる方がよし。

欺かれて悪事をなす勿れ。それ愚を示す。喰はされて不善を行ふ勿れ。それ陋を証す。

黙々たるが故に、訥弁と思ふ勿れ。拱手するが故に、両腕なしと思ふ勿れ。笑ふが故に、癇癪なしと思ふ勿れ。名聞に頓着せざるが故に、聾と思ふ勿れ。食を択ばざるが故に、口なしと思ふ勿れ。怒るが故に、忍耐なしと思ふ勿れ。

人を屈せんと欲せば、先づ自ら屈せよ。人を殺さんと欲せば、先づ自ら死すべし。人を侮るは、自ら侮る所以なり。人を敗らんとするは、自ら敗る所以なり。攻むる時は、韋駄天の如くなるべく、守るときは、不動の如くせよ。

右の条々、ただ思ひ出るままに書きつく。長く書けば際限なき故略す。必ずしも諸君に一読せよとは言はず。いはんや拳々服膺するをや。諸君今少壮、人生中尤も愉快の時期に遭ふ。余の如き物の説に、耳を傾くるの遑なし。しかし数年の後、校舎の生活をやめて、突然俗界に出でたるとき、首を回らして考一考せば、あるいは尤と思ふ事もあるべし。但しそれも保証はせず。

          ~明治28.11.25 愛媛県尋常中学校『保恵会雑誌』~


今宵のYouTubeは、私の最も不得意なこと(笑)、ザ・ブルーハーツで『人にやさしく』。みんなガンバレ!
# by uts_home | 2009-06-11 00:21 | コラム | Trackback(5) | Comments(0)
ほんとうのこと (玄耕庵日乗)
玄耕庵日乗です。前記事のTBもだいぶたまったので、新記事でも。

睡眠薬を飲んだ後の執筆である。支離滅裂になると思う。

まったくひどい世の中である。

このブログは私の不細工な面も完全に晒しているし、すぐ個人特定できると思う。そういう場合に言いたいことも言えないようなこともあろうかと思うが、若い読者諸氏もついてくれているようなので、少しずつでも『ほんとうのこと』を話していかないといけないのかもしれない。
しかし『ほんとうのこと』を話すのは正直骨が折れる。ブログ上でそういう事を試みたこともあったが、「なんでそんな七面倒な事を無給で私がしなければならないのか」、と自棄になった時期があって、今に至っている。そして今は完全に趣味ブログと化している。それでいいのかと、内心忸怩たる思いもある。

『玄耕庵日乗』を書くことになったきっかけは、4年前の小泉郵政選挙だった。あの時の異常な感じは今も鮮明に覚えている。かつて私の知っていた日本人は、何処へ消えてしまったのか、みな夢遊病者のように小泉自民党に投票し、その後のこの4年間で、より一層この国をメタメタにしてしまった。
そしてまた今日の、テポドン・ミサイル騒ぎ、新型インフルエンザ騒ぎである。日本人は変質したのか?
今日、薬局にマスクを買い求めて「品切れです」とあしらわれている人達を横目に、マスクをして仕事をしながら想起したのは、36年前のオイル・ショックの時のトイレット・ペーパー騒ぎであった。昔から大人は馬鹿で世の中はどうしようもなかったのかもしれない。

それにしても、私が中学生の頃に見ていた大人達は、今の大人達(私含む)より、もうちょっとマシではなかったか?内省というものを知っていた人達ではなかったか?

ブログをやりだしてから特に思うが、反射的に記事を書いてしまって後で後悔するということがある。それはその判断を下すまでにソースが足りなかったなんていう事も関係しているかもしれないが、要は、自分の判断の核となるものを練り上げられていないから、日々垂れ流されるニュースにイライラさせられるだけなのだ、ということに最近気がついた。
自分の核と合わない事柄など捨ておけばよいのだが、それでも皆がその必要もないのに、例えば暑い中マスクつけて不機嫌そうにしていると、「そうしてないとあなた死んじゃいますか?」くらいは尋ねたくなる。「あなたはほんとうにそれが必要と思っていますか?」と。「政府はもう支離滅裂で出鱈目なアナウンスしかしませんよ」と、老婆心ながら一言言ってしまいたくなる。

『ほんとうのこと』はもうテレビや新聞からは聞こえてこないし、政治家も『ほんとうのこと』は喋らない。
『ほんとうのこと』がわかるためには、自分を鍛え上げていかなくちゃいけない。その過程で出る、私の深いため息を、私個人の『ほんとうのこと』として、これから機会があれば書いていきたい。

とりあえず、今の新型インフルエンザ騒動は異常だ。この異常事態で何を試しているのか、何を隠しているのか、事態が収束することがあればわかるのだろうが、また新型の季節性インフルエンザとかいって同じネタを使い回す気でいるのかもしれない。
9月の総選挙前には一体どんな大惨事が起こるのか、不謹慎ながら少々楽しみでもある。多分「自民党、ついにここまでやるか」的な出来事が続発すると睨んでいる。

疲れた。今夜のお話はここまで。また気が向いたら。
おやすみなさい。
# by uts_home | 2009-05-21 10:45 | コラム | Trackback(8) | Comments(0)
玄耕庵日乗は続く
やっぱり慣れ親しんだ「玄耕庵日乗」のタイトルが捨てがたく、FC2で続きを書くことにした。
このブログでお世話になった皆様にも是非訪れていただきたいと思う。
では、あらためてよろしくお願いいたします。

「玄耕庵日乗」
http://genkoan2.blog89.fc2.com/



玄耕庵での日々は、私・素楽が死ぬまで続きます。「死ぬまで」宣言です。
今後とも末永いご愛顧よろしくお願いいたします。
# by uts_home | 2009-02-22 12:05 | お知らせ | Trackback(180) | Comments(0)
生活と芸術と革命

睡眠薬を飲んでも眠れない夜、また昔語りをしてしまうかもしれない。

映画を創る、ということは世界を再定義することだと思う。劇場から出てくると、いつもの見知った景色がどういうわけか違ったものに見えることがよくある。それは映画によって新たな視点を付与されたことによるものだろう。鑑賞後、世界の成り立ちに違和感を覚えたり、足元がフワフワする感覚に陥ったりするのは、いい映画の証拠のようなものだろう。

心がまだナニモノにもなれるほど柔軟だった頃、そんな新たな世界観を提供してくれる映画とたくさん出会った。
けれどそのうち映画を必要としなくなった。何故だろう。世界なんてどれほどのものでもないさと、タカをくくってしまったからだろうか。そしてつまらない日常がのべつまくなしに続くことになってしまった。日常を見る眼も映画から借りてこなければ、ろくなものが見えやしなかった。

生活。生活と芸術。カネとユメ。
生活の埃にどっぷり頭まで浸かってしまうと、ちょっとやそっとでは芸術を指向するようにはならない。芸術の良さは、生活をあらためて照らし直してくれることなのだけれど、それを必要としない人間もたくさんいる。世界を再定義なぞされると、ルーティンに支障をきたすからだ。既得権益にメスを入れられることになるからだ。

実は芸術には世界を大きく変えることの出来る力がある。世界をよりよくする可能性を秘めている。しかし芸術に面突き合わすには、それなりのパワーが必要だ。ボケーッとしていたのでは、芸術からのメッセージを見逃すことになる。

取るに足らないようなことかもしれないが、こんな小さな事を個人個人がこつこつとやって、一人一人が個人的生活を革命していく以外に、今の閉塞状況や経済的苦境を脱する道はないのかもしれない。

みながアーティストになればいいのだ。そして自分が生きて存在しているだけで芸術足りうると自覚して、その生を力いっぱい謳歌するのだ。それがこの私達を取り巻く世界を、もっと彩りに満ちたものにしてくれるに違いない。

午前四時、とりとめのないことを書くにはいい時間だ。また全く無内容な駄文を綴ってしまった。効かない睡眠薬が悪いのだ。


# by uts_home | 2009-02-08 11:45 | コラム | Trackback(6) | Comments(0)
リド飲食街の詩

ある夜の帳のおりた街
男がフラリと迷い込む路地
人はこの狭い通路の両脇に並んだ
一杯飲み屋の一廓を
「リド飲食街」と呼ぶ

京都タワーと同い年の店もあれば
まだ開店して間もない処女のような店もある
どの暖簾をくぐるかはアンタ次第
もといアンタとアンタのカネ次第

男の涙と女の笑い声がよく似合う街
しけた便所でダラダラと
いつまでも止まらないションベンすりゃ
憂さもいつぞや消え失せる

さっぱりしたところで一曲歌いますか
と力み上がってマイクを握り
歌うは十八番の「襟裳岬」
わけのわからないことで
なやんでいるうちに
おいぼれてしまうから

老いぼれオヤジの目ヤニに向かって熱唱すりゃあ
厚化粧のネエサンがやんや拍手をしてくれる

ここには恋なんて気取ったもんはないよ
その昔はどうだったか知らないけどね
今はポチポチのお客さん相手に
気楽にやらせてもらってるのさ

どうだい?
淋しくなったんなら
一杯飲んで行きなよ

外は寒いだろう?
あったまっていきなよ

カネの心配なんかするんじゃないよ
カネは天下のマワリモノ
あるヤツからあるだけ取ってやりゃあいいのさ

アンタの飲む酒ぐらいあるからさ
ちょっとだけ
寄っていきなよ
安くしとくよ

ハッキリしない男だねぇ
そういうのが一番嫌われるんだ
覚えときな

そんなこんなの「リド飲食街」
私は好きです


(この物語はフィクションです)
出演:素楽

# by uts_home | 2009-02-06 01:17 | コラム | Trackback | Comments(0)
未知との遭遇

今日の仕事は楽だった♪、と仕事終わりに「リド飲食街」。我がホームグラウンド「じじばばDOS」に顔を出すと、あれまあれま、同僚民孝さんとCちゃん(詳しくは玄耕庵日乗参照)が並んでカウンターにいるではないか。「あらお久しぶり」とCちゃんにご挨拶して、安い赤ワインのボトルを一本抜く。そうこうしてるうちに友人タモツもやってきて、しばし歓談。

「若い人達のお邪魔をしちゃあいけねえ」ってんで、シンゴに節分の挨拶だけして退散。続けて本家本元「じじばば」へ。柚子胡椒ラーメンを汗ダラダラになりながら啜る。汗かいて気持ちいい。マスターのサトシさんに、「柚子胡椒は青唐辛子と柚子を擦り潰したもんやねん。九州では唐辛子の事胡椒って言うねん。」と聞き、この汗も納得。「今年もお世話になります」と心の中で呟いて、小雨降るなか京都駅。止めてくれるなおっかさん。背中の銀杏が泣いている。

ぴりりと越える西大路
誰が言ったか知らないが
フーテンの熊とはアッシのことでござい
今日は祇園か烏丸か
明日は木屋町先斗町
流れ流れて京都の夜を
啜り泣くのは何処の娘だ
アッシが今から行くんだ ネエサン、心配するこたぁない
明日はでっかい太陽が
アンタの上にも昇ろうってもんだ
今夜だけは、アッシに酌をしてやっておくんなさい
アンタの黒子に、アッシぁ惚れたよ
ペケペンペンペン♪
# by uts_home | 2009-02-03 22:23 | コラム | Trackback(1) | Comments(0)
革命前夜(玄耕庵日乗)
映画『チェ 28歳の革命』を観た興奮がおさまらない。私は一体何と闘えばいいのか?実はその答は私はとうの昔に知っている。17の頃から知っている。ずっとそれと相対することを避けてきただけだ。私はすでに知っている。ただ私には武器がない。皆を鼓舞する能弁もなければ、実直な勤勉精神も持ち合わせていない。勿論銃も大量破壊兵器もない。もっと言えば愛嬌もない。どうやって闘えばいいのか、17年経った今もわからない。
ただ、このままではいけないし、どんどん悪くなっていることも肌で感じている。世界はあまりにイビツで不人情でトチ狂っている。コイズミも悪かったしアベも悪かったしフクダも悪かったしアソウも悪いし、そういうものを成立させているすべてを呪詛している。勿論ブッシュはなおのこと。
世界は新たなフェーズに移行するのか、そこに希望はあるのか、皆目わからない。「希望は自分で見つけるものだ」と親父は言った。その通りだと思う。しかし重い言葉だ。

闘えるものなら闘いたいが、そのフィールドがわからない。辺見庸のように一人で闘うしかないのだろうが、どうすればいい?
「生活」を「闘い」と規定すること、これしかないかもしれない。人知れず、徒手空拳で闘う。

ああ!思い切り自分の理想に向かって闘ってみたい!闘ってみたい!闘ってみたい!ロッキーのように!ゲバラのように!

明日からの一日一日を、闘争として送ってみるのもひとつの手かもしれない。知らなかったことを知ること。想像の射程を延ばすこと。痛みを痛むこと。誇らしげに語ることはなにひとつないと自覚すること。

勝てなくても、負けたくない。それを肝に命じて日々を送ろう。

# by uts_home | 2009-01-21 01:02 | コラム | Trackback(3) | Comments(1)
暇にあかせて(玄耕庵日乗)

仕事もせず、パソコンも壊れ、何もすることのない一日。ふと思いついて去年の夏に別れたMに電話をしてみる。旦那が休みで家にいるようで長話は出来なかったが、元気そうな声を聞けてよかった。声を聞くとその麗しい姿形が思い出され、なんとなし幸せな気分になった。あれほど人を好きになれたことを、我ながら誇らしくも思った。安心して愛されていた記憶が蘇り、心の底から感謝した。二人が紡いだ時間はたった二年足らずのものだったが、あの愛は本物だったと思う。太陽のような、慈雨のような愛だった。Mには幸せな家庭生活を送って欲しい。佳き母親になって欲しい。Mなら人に愛を説くことが出来ると思うから。

小説の構想は頭を巡るのだが、パソコンの不調で執筆出来ないため、本でも読むことにする。基本的に私は小説を読まない。読みたい小説がないからだ。だから自分で書くしかない。
『脳と仮想』茂木健一郎、『自分自身への審問』辺見庸、『反定義』辺見庸・坂本龍一、『永遠の不服従のために』辺見庸、をクルクルと読み飛ばす。
何故人間とはこうも救いがたい存在なのか。ブッシュとコイズミがめちゃめちゃにした世界の中で、私はキツめの抗鬱剤と睡眠薬を毎日毎日16錠も飲み下し、なんとかその縁に引っ掛かっている。そうまでして世界にへばり付いていたいか?という自問はいつも頭にある。こんな世に命を賭ける甲斐などあるのかと。派遣従業員の問題についても、言いたいことは山ほどあるが、それに対してなんの力も持てないちっぽけ過ぎる自分を叱咤することさえ放棄して、漫然と息をし、茫然と時の流れを見ている。新年を迎えたからといって何一つめでたいニュースはないし、アソウはその何の中身もない無力を全力で晒している。今の日本は、人一人生きていくにはあまりに苛酷だ。

しかしこんな年にも新成人になる人間は何万といて、彼らに希望を託さざるをえないのだが、託す希望が見当たらない。こんなに不甲斐ないことがあるだろうか。大人の仲間入りをする人間に、「こういう大人になりなさい」という規範が示せない。「素敵」という言葉を再定義しなければいけないかもしれない。

まずは私自身の立脚点となる「素敵」を構築せねば。それは鮨屋のカウンターで蘊蓄を語ることではないし、女性に抱えきれないほどの薔薇をプレゼントすることでもない。やはり、権力に盾突くことだ。抗うことだ。抗って生きることだ。何物にも縛られず、自由の牙城を守り抜くことだ。しかし今の日本に「自由」などあるのか・・・私は私個人の自由を守り抜くために抗う。ひどく滑稽ではあっても。そうとしか生きられないから。そうでなければ生きているとは言えないから。死んだほうがマシだからだ。絶望的なまでに孤独な闘争を私は一人闘う。ただ一個人として屹立するために。
# by uts_home | 2009-01-08 05:31 | コラム | Trackback(6) | Comments(0)
2009年、はじまりました
謹んで新春のお慶びを申し上げます。
旧年中はご多忙の中「Under the Sun」へのトラックバック、コメントありがとうございました。

今年は衆議院選挙が予定されています。
2005年の郵政選挙からおよそ3年半。
その間、ボクらの生活する世の中はよくなったのでしょうか、それとも悪くなったのでしょうか?
ボクら有権者が、政治に対する意思表示をする場は眼の前に迫っています。
のんびりぼちぼち、ムリをせずにやっていきましょう。
ではまた。

追記:もっとトラバを!それからランキングクリックお願いします。

「逍遥録―衒学城奇譚―」発掘屋
# by uts_home | 2009-01-06 23:08 | コラム | Trackback(2) | Comments(0)
無慈悲な私

無理矢理ひとつの恋を終わらせて、かわいい乙女の心から血を流れさせ、何処に行こうというのか。またひとつ「最低」の称号を積み重ね、「旅人の守護石」と言われるターコイズを纏って夜を駆ける。いつまでも陽は昇りそうにない。自分では気付いていないが、多分私は一人の夜が好きなのだ。親しいのだ。気兼ねないから。そういう理由以外に他人様の大事な娘さんに、不愉快な思いをさせる理屈が見つからない。

もう誰も好きになるまいとは、今まで何度も思った。でもそれは無理だということもわかった。無下に人の心を傷つけてはいけないということも知っているが、「知っている」と「出来る」は違うという事も今回痛いほどわかった。私はハタチの女性の相手が出来るほど、「大人」ではなかったという事だ。私は神様にはなれなかった。マッチ一本分の夢すら見せてやることが出来なかった。

言い訳はしない。ただ、自分が哀しい。

何を求める風の中ゆく    (山頭火)
# by uts_home | 2008-12-09 02:18 | コラム | Trackback(13) | Comments(0)
まだまだ勉強の途中

最近若い人と話す機会が多いから、つい自分がなにもかも悟った年寄りのような気分になってしまうこともあるけど、まだまだ勉強の途中なんだよ。全然青二才なんだよ。なんにも分かっていやしないんだよ。

この魂がどこにあるのかも知らなければ、この生がどこから来たかも知らない。なぜ夕暮れがこんなにも悲しくて美しいのかも知らなければ、夜の闇がどこまで深いのかも知らない。

なんにも知らないんだよ。
でも一応もう大人だから、誰も教えてはくれないんだよ。わかる?親だってもう教えてはくれない。
自分で勉強して感得するしかないんだよね。

人の一生は、はっきり言って孤独です。愛は助けにはなりますが、絶対ではありません。孤独を完全に掬い取ってはくれません。
でも、だからこそ、愛を求めてしまうのです。
だから、人間は弱いのです。愛など無視して、一人で生きていくことが出来る人は、強い人です。そうなりたいかどうかは別問題として。

「よく生きる」という意味が、未だによくわかりません。「よく生きる」とはどういうことか。
たくさんの人々と笑顔を交わすことがよく生きることなのか、密度の濃い時間を多く持てることがよく生きることなのか、多くの人を養い引っ張っていくことがよく生きることなのか、自分の内なる声に耳を傾け静かな時間を得ることがよく生きることなのか、愛する伴侶と仲睦まじい暮らしを送ることがよく生きることなのか・・・
なにひとつ出来てはいませんが、よくわかりません。

とってもとっても頼りのない大人になっているようで、すごく不安にもなれば、落ち込んだような気分になる時もあります。でも周りを見渡しても、納得出来る大人の人は数えるほどで、僕もそういう大人になりたいとは思いますが、彼らが幸せなのかどうかはわかりません。僕はまだ「よく生き」たいのか「幸せになりたい」のかすら、決められていないのかもしれません。金はなくとも自分に満足して生きて行きたいのか、好きなものを好きなときに好きなだけ食べたいのか、と言えばわかりやすいでしょうか?

こんなことを未だに言っている34歳は本当に格好悪いと思います。首をくくればいいくらい格好悪いと思います。

でも、この世界を、全否定はまだできないんです。勉強不足でそこまでの見極めがまだつかないんです。

こうやって、誰も死ぬことは出来なくて、なんとなく生きていくんだと思います。そして生きていくうちにいろいろなことを忘れて、明日の暮らしのことで頭がいっぱいになって、老いてゆくんだと思います。それが「生活」というものだと思います。

「生活」を語って「理想」を語らないのは片手落ちな感じもしますが、「理想」を語れるほど世間知らずではなくなってしまった身には、少し辛いものがあります。

深夜の独白でした。

明日からは、明日こそは、なにもかもがうまくいけばいい。そう思います。
明日がやってくるから、なんとか生き延びられるのかも知れません。明日を信じられなかった身からしたら、これは偉大な進歩です。

状況や時代は決して簡単には信じませんが、たとえいくらひどく傷つけられても、人を信じる気持ちは忘れまいと思います。多くの人を裏切り傷つけてきた僕の、せめてもの償いです。

春に鶯が鳴くように
夏に蝉が世界を凌駕するように
秋に枯れ葉が舞い落ちるように
冬に音もなく雪が降り積むように

そういう風に、生きていきたいなぁ。
# by uts_home | 2008-11-11 02:52 | コラム | Trackback(118) | Comments(0)
風…… by 【Les Chemins De La Liberte'】 kikyo
大幅に遅刻したことを深くお詫びいたします。どうぞご容赦ください。
…………………………………………………………………………………………

「国民のために……」と厚顔無恥な政治屋どもは云う。

猪首からぶらさげた腐蝕の「免罪符」を裏返せば、穢れた血で書き殴られた文字が、こう読めるだろう。
自民党ならば「私腹のために」、公明党ならば「名誉会長のために」。
麻生太郎ならば「豪遊のために」、安倍晋三ならば「怨霊/岸信介のために」、そして小泉純一郎なら「ブッシュと私の馬鹿息子二人のために」。
こんな奴らが平然とのさばり、「選挙」目当ての愚劣パフォーマンスに於いてのみ「下々」の顔を見下ろし、ドス黒い腹の中から腐臭漂う嘘八百を搾り出し、醜く歪んだ口先から不快な嗄れ声で雑音を撒き散らす。

森喜朗という真正の阿呆が「親や子供を殺すようなことが珍しくもない世の中になったのはなぜか。やはり戦後の日教組教育の大きな過ちだ」などと不遜にものたまい、長勢甚遠/鳩山邦夫/保岡興治/森英介という無能どもが「粛々」と人を殺し続け、薄汚い自己顕示欲で膨れ上がったレイシスト首相が異次元「秋葉原」で戯言を垂れ流す足元を、自らは選挙権も無いのに国会議員に成り上がったド素人詐欺師丸川珠代が下劣な笑みを浮かべて提灯で照らす。

此の無残なる「素晴らしき世界」。

私は耳を澄ます。生き生きとした人間の声を聞くために。
そして……或る女性が語りかける。
「今、暗闇の中にいる人や悩んでいる人も、どうか夢を持って一日を過ごしてください」と。



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# by uts_home | 2008-10-30 00:16 | コラム | Trackback(11) | Comments(0)
やーめた、でもやめられない-- by Luxemburg
麻生内閣の支持率がそれほど落ちてきていない。安倍や福田の支持率はご祝儀相場の時期を過ぎた途端にガクンと下がったのに、意外に持たせている感じだ。これだけ経済が悪くても、世界同時株安だったら仕方ないか、と思わせるのに成功しているのかもしれない。また、前の二人と違って「やんちゃ」なイメージの振りまきに若干成功しているところもあるのだろう。小泉を思わせる、冷たい薄ら笑いが、何だか自信のあるリーダーに見えるのかもしれない。

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# by uts_home | 2008-10-16 00:00 | Trackback(20) | Comments(2)
七歩の詩(30)--日替わりコラム(「逍遥録-衒学城奇譚-」発掘屋)
こんばんは。
「逍遥録―衒学城奇譚―」の発掘屋です。
今回のお題は「辞~めたッ!」と、その反対に「やめたくてもやめられない」もしくは「絶対に続けていくと誓ったこと」です。
このお題にしようかってハナシしたころは福田首相の政権放り投げ事件がおこり、そのあまりの無責任っぷりに乗っかってやれって思ったのですが、そうしたらあ~た、今度は新政権で中山某氏がワケわからん発言をして、何かこうズブズブなカンジで引き摺り下ろされたと思えば、小泉元首相も「政治家や~めた」って云って、ヤバくなる前にトンズラこいたのでございます。

正直、ヒク。
つ~か、ネタにしてやるのもアホらしいので、ソッチ関係は無視。


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# by uts_home | 2008-10-13 00:54 | コラム | Trackback(5) | Comments(0)
「煙草の煙に我を預けて」by玄耕庵日乗
中山国交相が就任5日でお辞めになり、その言動とともに巷を騒がせておりますが、大臣の辞任というのもすっかりありふれた風景のひとつになってしまったものですね。

さて、「やめたくてもやめられない」をテーマに一時お付合いを。

やめたくてもやめられないものの筆頭と言えば、やっぱり煙草。17の頃から毎日吸い続けて早17年にもなります。その間に値段も3回は上がったかな?その度に止めようと思いながら、やっぱり止められないでいます。特にパソコンに向かって文章を考えたりしている時は、いつものペース以上に煙草に火を点けてしまうのです。歯は汚くなる、口は臭くなる、といいことひとつもないのですが・・・。

初めて吸ったのは悪友から貰った1本だと思いますが、案外美味く感じてしまい、それからハタチ頃までは色んな銘柄を試しながら煙を楽しんでおりました。思い出せるだけでも、「フィリップモリス」「キャスター」「キャビン」「ジダン」「クール」「ラッキーストライク」・・・と色々吸いましたが、大学進学を期に「マイルドセブン」に落ち着き、社会に出てからは「マイルドセブン・ライト」をずっと吸っています。何処でも手に入る銘柄というのが、やっぱり便利でいいわけです。と言っても最近はタスポ導入のおかげで(個人情報を出来るだけ晒したくないとの理由でタスポ導入に否定的、電車の定期券も頑なにICカードでなく磁気カードを使っています)、コンビニに買いに行かなきゃならんので面倒ですが。

煙草の何が美味いのか、改めて考えるとよくわからんのですが、手が伸びてしまいます。朝起きての一服、食後の一服、飲酒中の一服、考え事をしている時の一服・・・。私がまだ幼少の頃は、テレビの中のヒーロー達は美味そうに煙草の煙をふかしていましたが、昨今の禁煙ファシズムの中では煙草の地位は落ちる一方です。煙草を吸う人間の人間性まで問われるような、そんな時代になってしまいました。煙の行方に自由に心遊ばせる一時をもまで、何かヒステリックにさえ感じてしまう健康ファッショに奪われてしまうようで、かなり窮屈な思いをしていることは確かです。

何が書きたいのかわからなくなってきましたが、酒も煙草も、いい大人が自由に時を過ごすためのひとつのツールであり、またカルチャーであると思うわけです。それを歪んだ形に矯正することには、抵抗を感じている次第です。私達はもっと自由でいいと思うのです。精神を解放して生きていってもいいのだと思うのです。「煙草ひとつくらいでガタガタ言いなさんな」と嫌煙家の人に言ってみたいけど、そんな勇気ないな(笑)。
# by uts_home | 2008-09-29 00:00 | コラム | Trackback(78) | Comments(0)
四阿日誌(20):退却を転進と言い換えたのは/徒然気儘な綴方帳・McRash
えー、3ヶ月ものご無沙汰でございまして、この間、私事多忙に加えまして、リベラル系なweblogの中で今もくすぶっている争いに絶望感を覚えたりするなど、どうして人は緩やかな連帯を紡げないのだろう、という思索を続けているわけでございます。

そんなわけで、こんな思索のなかから、意地でも諦めたくないことをぼんやりと考えたりしているわけでござんして、それは、最近に拙宅weblogの方にも書きましたが、多様性にこだわること、排除の論理を排すること、あるいは思考停止に陥らないように提案していくことなど。

多様性は系の健全性を担保し、全く異なるものがかけあわさって新たな創造の原動力となりうるもの。
排除の論理は、やがて自分自身を排除せずにおられなくなってしまう罠。
思考停止は、自ら主体的に思考し判断することを妨げる悪魔の誘惑。

こうしたこだわりをベースとして、この国に民主主義を本当の意味で根付かせていくための努力を続けることが、何よりも諦めたくないこと。

3か月ぶりのコラム復帰は、ショートバージョンでお付き合いを願いました。お後が、よろしいようで。
# by uts_home | 2008-09-25 00:00 | コラム | Trackback(4) | Comments(0)
皆の衆、次のお題である
……ウソです、ゴメンなさい、もうイバリません。
「逍遥録―衒学城奇譚―」の発掘屋です。

残暑がまだまだ厳しい昨今です。
皆様公私共にご多忙と存じますが、くれぐれもお身体を大切に。
せて、次節のお題ですが、次はボクが差配させてもらいます。

某国の二打席連続の振り逃げ首相にあやかって「辞~めたッ!」と、もう少し幅広く「やめたくてもやめられない」もしくは「絶対に続けていくと誓ったこと」などの逆の意味をもったコトについて、考えているコトをお願いします。

順番はアミダで決めました。
遅くなっても結構ですから、皆さん、よろしくお願いします。

9月25日(木) 徒然気儘な綴方帳
9月29日(月) 玄耕庵日乗
10月2日(木) 華氏451度
10月 6日(月) 再出発日記
10月 9日(木) T.N.君の日記
10月13日(月) 逍遥録 −衒学城奇譚−
10月16日(木) A tree at ease
10月20日(月) Les Chemins De La Liberte'
# by uts_home | 2008-09-20 00:02 | お知らせ | Trackback(4) | Comments(0)
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