二ヶ月ぶりに応募したい求人を見つけて職安へ駆け込んだのだが、すでに内定者を出していたらしく激しく落胆する。
しょうがないので祇園に飲みに出た。
アフターを付き合ってくれた23歳のサキちゃんと、夜明け前の鴨川べりに座って話す。私が若い女の子に話せるようなことなんてないのだが、朝まで飲んでしまったせいか、つまらない説教臭いことを言ってしまう。いわく「人生はこの鴨川の流れのように流れていくものだから、あんまり真面目に構えてもしょうがないよ。いくら背伸びしても、人間自分に出来ることしか出来ないから」と。ほんとヘドが出るようなセリフだが、23歳の乙女を前にして言えることはそれくらいのものだった。情けない36歳だな。
結局真摯な彼女の瞳の力に気圧されそうになりながら思ったのは、「この生まれ落ちた世界を愛せるかどうかだよなぁ」ということ。陳腐なセリフだけど、私はこの世で信頼するに足る価値観は「愛」以外にないと思っているし、ジョン・レノンが『イマジン』で描いた世界観をまだ無邪気に信じている。世界はまだよくなると思っている。
チアキには今夜もまた「愛」を語ってしまったが、後悔はしていないし、チアキには人類史上未だ誰も到達したことがない「愛の地平」を私が見せてやる、そのためにだったら何だってする、と固く心に誓っている。
乙女の、まるで熟れたてのトマトのように傷つきやすい感受性を目の前にすると、自分の無力さとともに「私も年を取ったなぁ」と嫌でも思い知らされる。出来うれば、彼女達の繊細な魂が、何物にも傷つけられない世の中に・・・、と甲斐のない祈りを何処にいるかわからない神様に捧げる。
人は、人を、いつまで殺し続けるのだろう?何故この生まれ落ちた世界を愛せないのだろう?
朝日の中を走るJR嵯峨嵐山線の電車に乗りながら、そんなことを考えた。