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忘れていたものを思い出す喜び、そして微かな痛み――日替わりコラム(月曜日:華氏451度)
チキンレースが続いております。前座を務めるのは華氏451度。共謀罪が鼻の先に迫ってきている時に、のんきな話を書いててよいのかと首を傾げなくもないのですが……流れを変える戦いは短期間で終わるものではありません。息切れしないよう、しぶとく抵抗を続けることが何より大切。コーヒーブレイクのつもりで、ひととき無駄話にお付き合いのほどを。今週のお題は「忘れていたもの」――。自分でお題を出していながら、実はハタと困りました。私は忘れ物の多い人間だし、忘却力は旺盛だし、大切なものからちょっとしたものまで、忘れていたものだらけ。話を始めると何時間あっても足りません。……というわけで、開き直って軽い身辺話など。

〈あの時の硬貨の感触〉
 小学校に入って間もなく、父が亡くなった。その2年足らず後に母が病気で入院し、数か月ほど父の姉に養われた(伯母は独身で、祖母と一緒に小さな店を開いていた)。
 彼女達に虐待されたわけではない。むしろ逆で、(ペットのようにではあるが)大切にされた。特に祖母は、ほとんど猫可愛がりに甘やかしてくれたのを覚えている。だから子供心にちょっぴり居候意識があるとは言え、特に不満も抱かずに生活していたのだが――たったひとつ、母の見舞いに行けないことだけが悲しかった。お母ちゃんの所に行きたいと言うと、祖母も伯母も、「忙しいから今度」と言ったり、「お母ちゃんは具合が悪いから行っても会えない」などと答えたのだ。父の身内と母とはあまり仲がよくなかったので、子供を見舞いに連れて行くなど面倒臭くて真っ平だったのかも知れない。あるいは、祖母がこのチャンスに孫を自分の手元に引き取ってしまおう、と考えていたのかも知れない。
 いずれにせよ見舞いに行きたいと言うと祖母達が少し機嫌が悪くなるのがわかって、私はいつの間にか、母のことを口に出さなくなった。子供は大人の顔色を読むものだが、当時の私は特にその傾向が強かったようだ。病院の場所はだいたいわかっていたので、外に遊びに行くような顔をしてこっそり行けないことはない。しかし、最寄り駅までの電車代を私は持っていなかった。本だの玩具だの菓子だの私が欲しがれば買ってもらえたが、お小遣いは渡されていなかったのである。
 そんなある日――確か日曜の昼過ぎ、私が「お姉ちゃん」と呼んでいた女性が物陰に私を招いた。彼女は遠い田舎から中学卒業と同時に都会に出て来て、伯母の店に住み込みで働いていた女性だった。8つの子供の目には立派な大人に見えたが、まだ18か、せいぜい19だったろう。
 彼女はエプロンのポケットから財布を出してパチリと開き、何枚かの硬貨を取り出して私に握らせた。
「○○ちゃん、お母さんとこに行きたいんでしょ。行っといで。ね?」
 見舞いに行く、往復の運賃をくれたのである。「伯母さんやおばあちゃんにはナイショよ」
 遊びに行ったと言っといたげるわ、という言葉を背に、私は家を飛び出した……。途中で道を聞きながら病院にたどり着き、やっとこさ病室に駆け込んだ時の記憶は今も残っている。母の驚いたような顔。看護師さん(当時は看護婦さん)に断って散歩に出た病院の裏庭に、溢れるほど咲いていたレンゲの花。死なへんからね、帰るからね、と言いながら手を振っていた姿。
 だが、家に帰ってから「お姉ちゃん」に何と言ったか、ちゃんとお礼を言ったかどうかはわからない。むろん母は、退院してから彼女にお礼を言っただろうが、私はどうだっただろう。
 その後、何度かこっそり見舞いに行った(それらの電車賃は最初に行った時に母がくれたのだが)。母に会えることが嬉しくて、私はいつの間にか「お姉ちゃん」がお金をくれたことを忘れてしまった。母が元気になって生活が元に戻ると、「お姉ちゃん」のことさえ次第に忘れてしまったのだ。彼女はほどなく伯母の店を辞めたとのことで、顔を合わせる機会もなくなった。
「お姉ちゃん」のことを思い出したのは、それから20年以上、もしかすると30年ほども経ってからだ。あることがきっかけになって、雇い主である伯母を憚るような小さな声、ナイショよと言われて握らせてもらった硬貨の感触までありありと思い出した。もらったお金は大した額ではない。一緒に働きに出て来た友人達と休日に会い、ちょっとお茶を飲む程度の金額だったろう。だがそれでも、彼女にとっては出す義理も何もない金だったのである。お茶とケーキを、彼女は勤め先に居候している子供の電車賃に代えた。その好意に対して、お礼を言っていなかった――いや、ありがとうぐらいは言ったかも知れないが、どれほど嬉しかったかを伝えていなかった。お姉ちゃんは今、何処にいるのだろう。会わねばならない……。
 もっとも彼女の居所は、自分で力み返った割には拍子抜けするほどあっさりとわかった。何のことはない、母がずっと、彼女と年賀状のやりとりをしていたのである。彼女はとうに結婚し、2児の母であるという。知らぬは子供ばかりなり。
 旅行のついでに立ち寄る計画を立て、彼女の家を訪ねたのはそれからさらに1年か2年後。軽自動車を運転して駅まで迎えに来てくれた彼女は、開口一番、「まあ、大きくなられて……」と言っていささか私を腐らせた。そして家に着くまでの間、伯母の店で働いていた頃の思い出や私の母親のことなどをひとりで喋り続けていたが、私が口ごもりながら電車賃の話をすると、「そんなこと、ありましたっけねえ」と首をひねり、むずむずと笑った。「覚えてなくたっていいのに、そんな昔のこと……」
 照れ臭くて忘れたふりをしたのではなく、本当に忘れていたらしい。彼女にとってはささやかで自然な振る舞いであり、ゴチックで大書するような行為ではなかったからだろう。でも、お姉ちゃん、ありがとう。私はずっと忘れていたけれど、考えてみるとあの時、他者は怖いものでも何でもない、あたたかいものだと知ったような気がします。
 辞去する時に「道々、おやつに食べてね」と言って渡してくれたその地方の特産物だという葡萄を列車の中で口に運びながら、私はまだまだ忘れていたものがあるような気がしてならなかった。今も、ある。

〈誰がいったい私を起こした〉

素楽さん風に、オマケ――
忘れていたものとは何の関係もないようだが、「忘」という字をみるたびにしつこく思い出す詩がある。清水昶の『夏のほとりで』。

◇◇◇
明けるのか明けぬのか
この宵闇に
だれがいったいわたしを起こした
やさしくうねる髪を夢に垂らし
ひきしまる肢体まぶしく
胎児より無心に眠っている恋人よ
ここは暗い母胎なのかも知れぬ
そんななつかしい街の腹部で
どれほど刻(とき)がたったのか
だれかがわたしを揺すり
たち去っていく跫音を聞いたが
それは
耳鳴りとなってはるかな
滝のように流れた歳月であったかも知れぬ
(以下略)
◇◇◇

 私の中に、始終「忘れていたものを思い出せ」と囁くものがある。忘れたくないのに忘れてしまっていたもの、忘れたくて無理矢理に忘れたもの。どちらも宵闇におぼろおぼろと蘇り、私を揺り起こそうとする。掴もうとすればその手からするりと抜け、こちらがそっぽを向けば不思議な笑いと共に歩み寄ってくる「忘れていたもの」達よ。これからも私を――ともすれば丸くなって寝続けようとする私を起こし続けてくれ。

(相も変わらずオチのない話で申し訳ありませんでした。火曜日以降に期待)


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by uts_home | 2006-04-24 01:59 | コラム
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