忘れていたもの、と聞いて先ず私の胸に浮かんだのは、ありていにいえば、人並みにかかった「青春の熱病」のようなものでしょうか。
ただしその熱病も、どういうわけか、スターとか歌手とかといったものではなく、言葉の世界に分け入って浸りきるもので、私はどうしようもない文学少女だったのです。
とにかく手当たり次第に読んでいたのがだんだん絞られてきて、ヘルマン・ヘッセに傾斜するようになったのが、高校に入ってからでした。特に転校してからは、その傾向がいよいよ強くなります。もっとも、好きな歴史の本もよく読んでいましたが。
ペーター・カーメンチントにヘッセの世界に誘われ、ゲルトルートには胸を痛め、シッダールタに耽溺し、デミアンに衝撃を受け、寝ても覚めてもヘッセ。
当時はなんといっても高橋健二さんの訳で、今でこそあらすじもうろ覚えですが、その頃は一語一句噛みしめて、胸にしまい込んで学校へ通いました。世事にまみれて自分の世界が侵されるのが嫌で、転校先の学校でもかなり孤高を貫いていたのは、今思うと呆れるばかり。
40年前は文学全集がつぎつぎに刊行された時代で、私がヘッセに初めて接したのは、河出書房新社の緑の表紙のシリーズです。中央公論からは赤い表紙の全集が出ていましたが、それを買ったのは「リルケ」だけです。
集英社の懸賞では世界短編文学全集全17巻があたり、それで初めてチェーホフを読みました。『中2階の家』しか読まなかったくせに、チェーホフには今でも親近感があります。何か、世界が逆さまになった、というより主人公が逆さになって世界を行くようなイメージの短編も読みましたが、作者も題名をすっかり忘れてしまい、それはクライストでしょう、と何年か前に知り合いのドイツ文学の先生に教えていただきました。
「花はうるわし。されど青春の、人はさらにうるわし。」という言葉が鮮やかなイメージで迫ってきたのも、あの時代の感性のせいでしょうね。勝手に、「されど青春の」のところで切って読むのです。
そうこうするうちに新潮社からヘッセ全集が出されます。訳はもちろんなじみ深い高橋健二さんでした。そこで『幸福論』を手にすることになります。
「短いつづりは、溶けるようにほほえむようにGlと始まり、u(ウムラウト)で短く休止し、ckできっぱりと簡潔に終わった」というドイツ語の幸福Gluck(uはウムラウト)。これをヘッセは、「驚くほど重い充実したもの、黄金を思わせるようなものを持っている」と讃えています。
幸福とは、「完全な現在の中で呼吸すること、天球の合唱の中で共に歌うこと、世界の輪舞の中で共に踊ること」だというヘッセは、そうした体験として少年時代の安眠から目覚めた瞬間を語っていました。「たぶん十歳の元気だった私は、全くいつもとちがった恵まれた深い、うれしく快い気持で目を覚ました」と。
そう、この感覚を、自分もヘッセと共有できたと私は幸福感に浸りましたねえ。
1年に1,2回のことですが、そんな瞬間は、私は学校を休むことにしていました。「何だか風邪をひいたいみたいだから、学校にそう電話しておいて」というと、父は何にもいわずに欠席の連絡を担任にしてくれました。(仏様のような人でしょう?!)
そうして私は半日床の中でまどろみ、翌朝は何食わぬ顔して登校したわけです。
何年か前、東工大の先生だったでしょうか、世にある様々な幸福観をランク付けにした本を出版されました。早速手にした私ですが、ヘッセの幸福観は5段階のちょうどまん中に位置していました。今でもこれは不当な評価だと私は思っていますが……。
大学紛争の真っ直中、講義の前か後だったか覚えていませんが、はっと気がつくと、いつの間にか私はぐるり、民青のお兄さん、お姉さんに囲まれていました。
その後どうなったか、これまた全く覚えていないのですが、とにかくこんな文学少女上がりの大学生、オルグをしようとしても無駄だったのです。会話は平行線のまま。相手もあまりの通じなさにさじを投げて、解放してくれたのだと思います。
忘れていたもの、脳の奥にしまわれていたものが、フラッシュバックのように甦ります。