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25歳、色あせかけた思い出――日替わりコラム(月曜日:華氏451度)
今週のお題は「25歳の頃」で、前座は困り果てました。そんな昔のことは忘れた(笑)。というのは半分冗談(つまり半分は本当)ですが、25歳の頃というのは思い出すのが難しい時期ですね。学校に通っている間は、年齢と「その当時の記憶」が比較的たやすく結びつくのですが……。たとえば6歳と言えば小学校に入った年だし、22歳と言えば大学を出て就職した年だし。でも、社会人になってからは「あれは幾つの時だっけ」と首をひねることがしばしば。親が死んだ、職場をクビになった、結婚した……等々、何かプライベートな特殊な出来事があれば思い出しやすいのだが。

ということで、「だいたいその頃(20代半ば)」の話を断片的にご紹介して、お茶を濁します。って、いつもお茶を濁しているような気もするけれど。




〈風呂が欲しかった〉
 26歳ぐらいまで、私は1DK(ダイニング・キッチンとは名ばかりで、実は何とかテーブルを置ける程度の台所、だったが……)、トイレ付き風呂なしのアパートに住んでいた。遠くに行けば同程度の家賃で風呂付きのアパートを借りることができたが、通勤の便を考えて風呂を諦めたのである。
 仕事の関係で帰宅が深夜になった時は無論のこと、比較的早く帰れても、面倒臭くなって銭湯に行かないことがままあった。冬はまだいいが、夏になるとそれが嫌で、早く風呂付きの所に引っ越したいなあ、といつも思っていた。もっとも、その後風呂付きの住まいになっても、毎日シャワーを浴びていたわけではないけれども(何でも憧れている時が最も美しい)。

〈畳の定員オーバー〉
 交通の便がいいものだから、始終、友人達がやって来た。時には夫婦喧嘩して追い出されたのが飛び込んで来たり(結婚または同棲している友人も何人かいた。一番早いのは学生結婚で、社会に出て間もなく親になってしまった)……。何やかやと食べるものを持参してくれるので客は歓迎なのだが、遅くなると「帰るのが面倒」と言って泊まり込む。
 人間が寝起きできるのは6畳一間、そこに机のほか本棚を確か3つ、さらにハンガー・ラックと言うのだろうか、剥き出しでコートなどを掛ける家具を置いていたから、空いている空間は正味4畳なかったはずだ(だからベッドなど置けるはずがなく、むろん畳に布団敷いて寝ていたのである)。敷き布団はナシとか、掛ける方は1人が布団で1人が毛布、などと適当に案配するとしても、3人も泊まられればまるで小伝馬町の大牢。4人泊まった時はさすがにお手上げになり、私は布団を出した後の押し入れの上段に寝た覚えがある。
 
〈同じアパートのおばあさん〉
 このアパートは1DKと2DKの混合で、2DKの方のひとつにおばあさんと娘さん(と言っても多分40過ぎだったろう)が住んでいた。このおばあさんが、やたらに私に興味を持ってかまうのだ。娘さんは看護師で、夜勤があるし、日曜祝日も出勤している方が多い。そんな時、話し相手(?)が欲しかったのかも知れない。そしてアパートの中では私が一番、ボーッと無警戒な顔をしていたのだろう。他の住人を掴まえて話しているところを見たことは、めったにない。
 休日の朝にはまとめて洗濯物を片付け(ちゃんと洗濯機を買っていたのだ)、アパートの庭に干す。私の部屋は1階にあり、庭が1階の住人の共通の洗濯物干し場になっていたのだ。で、私が籠をぶら下げて欠伸しながら庭に這い出すと、それを目ざとく見つけて飛んで来て――ちゃかちゃかと手伝ってくれながら、脈絡のない世間話をするのである。娘さんの仕事のことも、別に私が詮索したわけではなく、こんなふうにして何度も聞かされたのだ。むろん、私のこともいろいろ尋ねた。郷里は何処か。どういう会社に勤めているのか……。食べるものもよくもらった。スイカを買ったけど食べきれないからとか、晩ご飯のおかずを作りすぎたからなどと言って、しょっ中、持ってきてくれた。
 その頃の私は誰とでもフランクに言葉をかわせるたちではなかったし、第一、年取った人との会話にもあまり慣れていなかった。だから実のところ敬遠したかったのだが、小心者でもあるせいで、彼女に素っ気なくすることができないまま。あちこち飛ぶ話に適当に相づちを打ち、もらうばかりでは悪い気がして里帰りした時はちょっとした土産など買い……内心居心地悪い思いを抱きながら、なぜか引っ越すまでずっと、彼女とは「親しいご近所仲間」であった……。

〈さらば私の……〉
 郊外の(待望の風呂付きの)住まいに引っ越したのは、26歳の終わり頃か、27歳になったばかりの頃だったと思う。それまではひとりでいたい時に押しかけられるのが正直少々うっとうしくもあったが、引っ越してからはフラリと訪ねて来る客は激減し、しばらくの間は何となく物足りない感じがしたものだ。
 いや――時々合宿のようになる猥雑な生活と縁が切れたのは、住処が遠くなったせいとばかりは言えまい。みんなそれぞれ、自分の生活が根を生やし始め、思いつきで腰軽く動く時代は過ぎたということかも知れない。考えてみれば私の友人達は、大学院に通っていたり、浪人だの留年だので20代半ばまで大学にいた連中が多く、彼らはあの頃まだ学生さんだったのだ。私と同じ頃に就職した友人達も、就職して3年ぐらいは学生気分が抜けきっていなかったのだろう(おそらく私も)。20代の半ばを過ぎ、30が近づいてくると、人は否が応でも現実の生活の中で気ぜわしくなってくる……。それがオトナになるということなのだろうか。あるいは少しずつ老いるということなのだろうか。いずれにせよ、あの風呂なしアパートを後にした時あたりを境に、私の青春は「終わった」とは言わないけれど、はっきりと段落が変わったような気がする。

――まとまりもない、オチもない話であります。お粗末様でした。ああ、また恥かいた。こういう時、前座は苦しいですね。見本があれば、それをヒントにできるのに……。

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by uts_home | 2006-05-08 01:41 | コラム
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