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「中途半端な25歳の頃」--日替わりコラム(日曜日:ゲストコラムニスト「愚樵空論」
 UTS連載コラム第6回目のゲスト・コラムニストと相成りました、愚樵です。コラムの依頼を頂いたきっかけは、どうも火曜日のluxemburgさんの記事への私のコメントにあったようです。言い訳しときますけど、あのコメント、コラムを書きたいという含意ではないんですよ。25歳の頃なんていうと誰だって自分のことを考えるじゃないですか。それが普通でしょ? 人の言葉を第三者が恣意的に解釈する構図は、今話題の共謀罪の危険性と同じです。これじゃウカツにコメントもできなくなってしまいます(笑)。
 それに依頼のタイミングが憎い。私が依頼の文章を目にしたのが金曜日の朝。このタイミングでは他の人に依頼するにしても、もう時間がないと思ってしまうじゃないですか。断るに断れない。UTSの運営者は人を陥れるのに長けた知能犯であることがよ〜くわかりました(笑)。
 他人の意図の恣意的解釈はこの位にして、本題に入ります。

 25歳の頃といえば、中途半端な過ごし方をしていた私の人生に中途半端な転機が訪れた頃だった。社会的身分のことでいうと、学生から社会人と呼ばれること身分になったのがこの頃。7年間、ほぼ籍を置いていただけという状態の学生生活に形式的な区切りをつけた。実質的にはもう早くから学生ではなかった。山とアルバイトに明け暮れた7年間。大学との関係は、学生という形式を維持するために授業料を支払っているというだけのものになっていた。ちなみにこの授業料は自分の稼ぎの中から支払っていた。金銭的には両親に頼らない生活になっていた。



 私は大阪で生まれ育った。この頃の生活の拠点も一応大阪だった。一応、というのは一年の内半分近くは大阪には居なかったからだ。何処に居たかというと、もちろん山に居た。大阪は山行きの資金を稼ぐための場所に過ぎなかった。
 山行きといっても目的には2種類あって、ひとつは純粋に自分の趣味によるもの。もうひとつは趣味と実益を兼ねたもの。実益とは稼ぎのことだが、これは夏山のシーズンの山小屋でのアルバイト。私のような趣味の者にとって、これは絶好のアルバイトだった。
 中でも貴重な経験となったのは、新たな山小屋建設の仕事に潜り込むことが出来たこと。麓の集落の大工さんや山師さんたちと一緒に山の中で飯場暮らしを共にした。普通の登山では味わえないことをたくさん体験した。秋の2ヶ月ほどの期間だったが、面白くて当時9月に行われた大学の前期試験を全部すっぽかしたりした。またこのときの体験が樵となってしまった現在の私のルーツでもある。
 また、趣味の方ではかなり危ない山行にのめり込んでいた。沢を詰めるのが好きで、よく沢登りへ行った。滝などをよじ登ったりする危険な要素が多い登山なのだが、基本的に独りで行った。独りだと事故にあったらどうしようもなかったのだが、それは覚悟の上だった。親にも誰にも何処へ行くと知らせることもせず、ヤケッパチな行動をしていた。

 かように山行き中心の生活を送っていたわが青春時代であったが、振り返ってみて思うに、これは「私自身の内なる問題」から逃げていただけだった。当時はそうは思っていなかった。山は「内なる問題」と対決する舞台だと思っていた。そうではないと思い知らされたのはもっとずっと後のことで、ここに触れると「25歳の頃」というお題から逸脱してしまう。なのでこれは別の機会に譲るが、25歳の頃の「内なる問題」については触れないわけにはいかない。ただこれを語るとなると、どうしても「18歳の頃」まで立ち戻らなければいけない。

 18歳の頃というと、受験の頃だ。高校3年生。このころ好きな女の子ができた。
放課後の教室で、毎日のように2人で居残って受験勉強をしていた。大抵はかなり離れた場所に座って、2人とも黙々と勉強をしていた。時折言葉を交わしはするが、黙って机に向かっている時間の方がずっと長かった。ひとつの空間を共有しているだけでよかった。夕方教室が暗くなるまでそうして過ごした。たまに他の者がその空間に混じるときがあったが、そんなときは2人とも早々に帰宅したものだった。
 時には勉強を放り出して、2人でずっとおしゃべりをしていたこともある。そんな時、私は将来の夢というような形をとって屁理屈をこね回していたことが多かったように思う。彼女の方は幼かった頃の話や家族の話をよくしてくれた記憶がある。これは実際にそうだったということよりも、私の記憶がそこのところだけよく覚えていたということなのかもしれないのだが、それには訳があって、私の方はその手の話を意識的にしなかった。出来なかったのである。
 意識的にしなかった話といえば、自分の気持ちについての話も避けていた。早くから彼女のことを意識していたけれども、それを話題にすることは最後までなかった。
 誰でも自分の気持ちを告白するには勇気が要る。その勇気がなかっただけのことかもしれない。もし、拒絶されたら? 誰だった怖い。だが私の場合、今から思い返してもそれだけではなかったと思う。私は「彼女を好きな私」にどうしても自信が持てなかった。仮に互いの意志が通じ合ったとしても、自分に自信が持てるとは思えなかった。ごく自然に「自分に自信を持っている」ように見える彼女とのギャップが大きくなりそうで、かえって怖かった。
 高校を卒業して互いの進路も決まった頃、何か用事があって彼女と会った。そのときに「これから山へいっしょに連れて行ってね」と言われたことを憶えている。Yesの返事をしたことも憶えている。けれども、返事をしただけだった...。
 その後彼女とは何回、会ったろう? 指折り数えられる程度にしか会っていない。会おうと思えばもっと会えたはずだとは思う。彼女の方からそれらしきコンタクトがなかったわけでもない。だが私は避けた。避けながらも、ずっと彼女のことを忘れられずにいた。他の女性と付き合ってみたりもした。長続きはしなかった。山へ入ると彼女のことばかり思っていた。その彼女が結婚したと風の噂に聞いたのも25歳の頃だった。茫然自失となってしまった自分がいた。

 私が通っていた高校は、地元では進学校としての評価が高かった学校だった。入った大学も誰もがその名を知っているようなところだった。親は周囲に自慢していたようだし、私自身が家庭教師等のアルバイトをするにしたって、その「看板」は役に立った。人付き合いだってそつなくこなした。また体力的にも重荷を背負って山を駆け回ることが出来たのだから、十分に自信をもっていた。少々のことで参いることはないという自負もあった。
 だが、看板を外した自分、学力とか体力とか、そんな物差しを取払って人と裸で向き合わなければならないときの自分は、まったく自信のない自分であった。彼女との出会いでそのことを思い知らされた。このことが世間の私への評価とは裏腹に、わたしの中の内なる問題として重く圧し掛かってきていた。大学は私の内なる問題には何も回答を与えてくれなかった。それで回答を求めて山へ入り浸っていたつもりだった。18から25まで、そういう7年間だった。

 それでもとにかく、山の中で修行をし、なんとか自信を持つことが出来たつもりになっていた。そう思ったので山を降りる決意をした。まっとうな社会人になろうと考えた。これが私の25歳の中途半端な転機であった。如何に中途半端なものであったのかは、この後すぐに思い知らされることになったのだった。

 以上が私の「25歳の頃」です。尻切れトンボで中途半端ですが、お許しください。この続きは「35歳の頃」というお題で書きたいと思います。でも、UTS連載コラムのお題をそんなのにしないでくださいね。書かなければなりませんから。
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by uts_home | 2006-05-14 00:34 | コラム
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