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一書の人をおそれよ--日替わりコラム(火曜日:luxemburg)
 私は小さい頃からほとんど本を読まなかった。昔の親というのは、何とか子供を本好きにしようと思うのか、大枚をはたいて少年少女文学全集などを買うのだが、私は兄弟の下だったので、上の兄弟が順番に読んでは次を買って、とやるものだから、私が読む頃にはすでに、全巻そろった威容が、しかも私の身長より高いところから迫ってきていた。その頃の私にとって「本」とは読めという圧力が上からかかるものという程度の認識しかなかった。



 仕方がないから、そういう難しそうなものではなく、童話でも読もうか、と若干年齢に不相応でも子供っぽいものを読んだ。当時の親は、服は大きめ、本は子供の年齢より少し上の「何歳児向け」というものを与えたがったので、少し後ろめたい気持ちを持って読んでいた。どこかで「わかりもしないくせに難しい言葉を並べ立てるおませな子供」を拒否して、自分が本当にわかることで感動しよう、と思っていたのかもしれない。
 だから童話はよく読んだ。とくに浜田広介、小川未明など、何度も何度も読んで泣いた。すべてのものに命が宿っているような気がして、すべてのものがいとおしく思えた。小さかったから"本が人を変える"などと言葉にすることはなかったが、そういうことは経験的に知った。ただ、本自体で変わるというより、その知識を自分にひきつけ、自分で本の世界を実際に感じたときにやっと本を読んだことになることにも気づいた。たとえば、これはつぼに見えるかもしれないけど、向かい合った顔と見ることもできるという知識が得られても無意味で、実際にその絵を見て、なるほど、と感動したときが「本を読んだ」ときだ。
 そういうことがわかってくると、世界が違って見える、そんなことがあるんだ、それを感じさせてくれる本に出会う、これが人生だとさえ思えてきた。

 次にはまったのが山本有三で、手に入るものはすべて読んだ。今でも小説のフレーズを会話で自然に使うくらい。そういう読み方だった。
 その次がトルストイ。最初に童話の続きのように民話集を読み、それからほとんど全部読んだが、とくに「復活」はいろんなものを考える上でのベースになっている。また、おそらく「光あるうち光の中を歩め」は、自分の読書暦の中でほぼベストの一冊といえる。

 その後読んだものでは「科学革命の構造」(トーマス・クーン)、「地球生命圏」(J・E・ラブロック)が印象に残っている。
 科学革命の構造はご存知の通り「パラダイム」という言葉を提示した画期的な本。私の言葉に直せば、ニュートン力学の世界がラプラースの悪魔(ひとつの質点の運動力学的情報がわかれば、その後の運動はすべて計算可能。そして世界は有限個の質点から構成されているから、世界のすべての事象が予測可能、とする考え)から離れることができず、新しい事態が生じても何とかして「ニュートン力学の世界」で説明しようと抵抗する話が出てくる。今でもこの本を読んでいたときの胸の高鳴りをおもいだす。自分がいかに枠にとらわれて発想しているか、もっと違った見方はないか、参考になる意見はないか、と探すようになった。ターレスが哲学の始祖といわれる所以のうちで、私が一番気に入っている説明は、彼が自分より下と考えられる弟子に向かって「アナクシマンドロス君、もっといい考えはないかね」といったこと、というものだ。
 地球生命圏は、地球を生命体と考える話で、そのように「たとえる」見解はあっても、生命体の定義(生命とはエントロピーの局所的減少であると定義する)から生命体であると言い切る見解はめずらしい。自分の考え方がいかに固定してしまっているか、を思い知らせてくれた(私のブログの最初のエントリーはこの本に関することから始まっている)。読むだけではダメだ、そこから抜け出すことが大変か、本はそれを助けてはくれるが、勇気をもって新たな見方を身につけるのは自分だ。

 文系の小説や詩はまったくセンスがなくてだめで、本当ならそのあたりに一番ドキッとするものがあるはずなのに、自分としてはいいのに出会わなかった。皮肉屋だからか、「箴言と考察」(ラ・ロシュフコー)、「パンセ」(パスカル)くらいかな。パンセは相当読み込んだかも。
 政治関係は本当に素人で申し訳ないのだが、内田義彦「社会認識の歩み」「資本論の世界」で基本的な社会思想を学び、高畠通敏「政治学への道案内」で基本的な政治の知識を得たくらい。
 高畠の本は2回買った。一冊目はいつも持ち歩いて読んでたら、空中分解したからだ。二冊目も何箇所ものりやテープで貼ってある。10回目に読んでもまだ新しい発見がある。ほとんど覚えて、それでもまだ読んだとはいえない。

 ヘルマン・ヘッセだったか、いい本なら同じ本を7回くらい読むという話を書いているが、私も似たところがあって、一人の作家を何冊も、一冊の本を何度も読む。繰り返しているうちに暗誦に近くなってくる。そこまでになった本は私の中で出会いを待っている。
 二つの顔が向かい合っているように見える、というのはこれのことだったのか、と感動するとき、パスカルが、トルストイが、高畠があの本の中でこういっていたのはこういう意味だったのか、そういう場面がめぐってきたとき、私は自分の中で静かに出会いを待っていた本にはじめて向き合い、人生に出会う。



 今週は華氏451度さんと違うことを書く、というのがポイントだ。読んだ本の数はおそらく彼の100分の1くらいだろう。えらそうに本のことを知ってる、なんて書いたら大変なことになる。こんな自分でも自分なりにいいところがあるはずだ、だから10回以上読んだかな、と思う本をあげていこう。そうすると結局、読んだといえる本は数冊だ。
 私の大好きな故青木雄二さんの読書論は単純だ。人生で読むに値する本は、たったの二つしかない、と書いておられる。その二冊とはマルクス「資本論」とドストエフスキー「罪と罰」らしい。それに人間としての英知が凝縮されているからほかの本は読んでも無意味、ということなのだろう。あれだけの人間ドラマを描ける人がそういうことをいうんだ、きっとそうかも。
 トマス・アクィナスだって、たくさんの本を読んでいる人より「一書の人をおそれよ」という。きっとそうかも。
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by uts_home | 2006-06-06 00:00 | コラム
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