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非読書人、素楽。--日替わりコラム(水曜日:玄耕庵日乗)
はい、わたくし本を読めない性質の人間です。本棚を眺めていると1番前に「あぁ、これは3回買ったな」というのがあったので、それ一冊の紹介で今回は終了です。

幸福論」アラン著。
背表紙には
「幸福だから笑うわけではない。むしろ、笑うから幸福なのだと言いたい」人間の心は外的条件に大きく左右される。とすれば正しい判断には意思が必要である。微笑んでみてごらん――幸福の本質が見えるから。ドイツ的観念哲学ではなく実践的な幸福論として、夫婦、死、仕事etc.・・・を説くフランスの哲学者アランの優しさあふれる語録。
とあります。



多分最初に買ったのは二十歳前後の頃。ひとしきりなにやら「幸福論」的なものに凝っていた頃に買ったと思います。簡単に読めてなかなか気に入ったんだと思います。1冊目はオカンが「これええやん、家に置いといてや」と言うので、しょうがなく2冊目を買い予備校の寮に置いていたかな。その2冊目は、ある日突然スキンヘッドにしてくるようなとっても魅力的で少し不安定なところのある女の子に、傍線いっぱい引いたのをあげたと思います。3冊目はいつ買い直したか忘れたけど、多分すぐに買った気がします。

体の働きは内面の働きに影響を及ぼすから、どう体を使うかが大事、みたいなことが色々と書いてあって、自分なりに実践しようとするのですが、パニクった時にはなかなか深呼吸ができず、「読んだ意味ないじゃん」と思ったりしています、思ったりし続けています(汗)。

このおじさんの小噺は全部で93篇あるのですが、2つほど紹介してみます。今日はこれで終わりです。回答用紙を提出した人は、静かに教室の後ろの扉から出て行ってもらってかまいません。


「あくびのしかた」

炉ばたで犬があくびをする。それは猟師たちに心配事は明日にのばせという合図である。遠慮もなく無作法に伸びをするこの生命力は見ても美しいものであり、手本としてまねないわけにはいかない。その場に居合わせた者はだれもかれも伸びやあくびをしないわけにいかなくなり、これが寝にいく序曲となる。あくびは疲労のしるしだからではない。むしろそれは、内臓にふかぶかと空気をおくることによって、注意力や議論にうばわれた精神にあたえる休暇である。人間の自然の生命力はこうした精力の更新によって、生きることだけで満足し、考えることには飽きているのだということを告げ知らせるのだ。

注意力や不意の驚きが、いわば息をとぎらせることは、だれでも認めることができる。生理学は、この点について、胸郭にどんなぐあいに強い防御の筋肉がくっついて、それが動くと胸郭をしめつけ、麻痺させることしかしないかということを示して、あらゆる疑いをとり除いている。そして、降伏の合図である両手を高く上げる動作が、胸郭をらくにするのにもっとも有効なものでもあるということは、注目すべきことだ。しかしこれはまた、力いっぱいあくびをするための最良の姿勢でもある。このことから、どんな心配事であれ、それがどのようにしてわたしたちの心臓を文字どおり締めつけるか、行動をはじめようとすると、それがただちに胸郭を圧し、期待の姉妹である不安を生じさせるかが、わかる。というのは、わたしたちはただ待つことが心配なのであり、このことは事がらが取るに足らない場合でも同じだからである。この苦しい状態からただちに、自分に対する怒りである焦燥が生じ、そのためにいっこうらくにならない。儀式というのもはこうしたすべての拘束から成り立っており、それを服装がいっそう重苦しくし、そして伝染が生ずる。なぜなら嫌な気持ちというものは感染するからである。だが、あくびもまた、伝染性の儀式の伝染性の療法である。どうしてあくびが病気のように人にうつるのかと、人は不思議がる。わたしが思うには、病気のようにうつるのは、むしろ重苦しさ、注意、心配そうな様子などである。それとは反対に、生命の復讐であり、いわば健康の回復であるあくびは、謹厳を放棄したり無頓着をいわば誇大に宣言することによってうつるのである。それは解放の合図のように、だれもみな待ちうけている合図なのだ。この気楽さにはどうにもかなわない。どんな謹厳もそのために負けてしまう。

笑いとすすり泣きとは、あくびと同種類の、しかしいっそうひかえ目な、いっそう矛盾した解決法である。そこには、一方はつなぎとめ、他方は解きはなすという二つの思考のあいだのたたかいが示されている。これに反して、あくびによると、結びつける考えであろうと解きはなす考えであろうと、すべて逃げ去ってしまう。生きることの気楽さが、それらの考えをすべて吹きとばしてしまうのだ。かくして、あくびをするのは、いつでも犬である。神経症と名づけられる種類の病気では、あくびはいつもよい徴候であることは、だれでも観察できたはずである。ところでこの種の病気では、考えこそが病気をつくるのである。しかし、あくびは、あくびが予告する眠りと同じく、あらゆる病気によくきくものとわたしは思う。そしてそれは、わたしたちの考えというものがつねに病気に大きな関係があるしるしである。このことは、自分の舌を噛んだときの苦痛を考えてみれば、さほど驚くことではあるまい。舌を噛む(ス・モルドル)というこの言い方の比喩的な意味が、後悔することであってみれば、悔恨(ルモール)とうまく名づけられた後悔というものが、障害までひきおこすことがよくわかる。これに反して、あくびにはなんの危険もない。

                                     (1923.4.24)

「遠くを見よ」

抑鬱病の人には、わたしはたった一つしか言うことがない。「遠くを見よ」と。抑鬱病の人は、ほとんどつねに、読みすぎる人である。しかし、人間の目は、そういう近距離のためにつくられているのではない。広々とした空間のなかで憩うものだ。星や海の水平線をながめていれば、目はすっかりやすらいでいる。目がやすらいでいれば、頭は自由になり、足どりももっとしっかりしてくる。からだ全体がくつろぎ、内臓までしなやかになる。しかし、けっして意志の力でしなやかになろうと試みてはいけない。自分の意志を自分のなかにさし向けたのでは、なにもかもがうまくゆかなくなって、ついには自分の息の根をしめるようになる。自分のことを考えるな。遠くを見よ。

抑鬱が病気だというのは、まったくほんとうである。それで医者はときにはその原因を見抜いて、療法をほどこすこともできる。しかし、この療法は注意を肉体にひきもどし、そして養生法に従おうとする気づかいのために、かえって療法の効果をぶちこわしてしまう。それだから、医者は、もし賢い医者ならば、患者を哲学者のところへさし向けるのだ。だが、哲学者のところへ駆けつけてみると、どういうことになるのか。哲学者こそ、読みすぎる人間、近視眼的にものを考える人間、そして患者であるあなた以上に陰鬱な人間なのだ。

国家は、医学の学校と同じように知恵の学校を経営すべきだろう。どういうふうにか。物事の熟考という真の科学と、世界のような広大さをもつ詩(ポエジー)とによってだ。というのは、広い水平線にやすらぐわたしたちの目のありかたは、わたしたちに大きな真理を教えるからである。思考は肉体を解放して、これをわたしたちの真の祖国である宇宙にかえすべきである。わたしたち人間の運命と肉体の機能とのあいだには、深い近親関係がある。動物は、周囲の事物が動物を平穏にしておいてくれれば、たちまち横になって眠ってしまう。人間ならば考える。もしそれが動物のような思考ならば、人間にとって不幸なことだ。思考することによって、たちまち人間は自分の不幸や欠乏を倍化する。不安と期待で身をさいなむ。そのため、肉体は、想像力のいたずらに応じて、ひっきりなしに緊張したり、動揺したり、突進したり、思いとどまったりする。自分の周囲の事物や人間をたえず気にし、たえずうかがう。そして、自分を解放しようと思うと、こんどは書物にとびこむ。これも閉ざされた宇宙であって、目に近すぎ、情念に近すぎる。思考はみずから牢獄をつくり、肉体は苦しむ。なぜなら、思考がみずからを収縮させると言うことと、肉体が自分をさいなむと言うこととは、同じことを言うことだからである。野心家は演説を千度でもくり返し、恋する男は千度でも懇願をくり返す。肉体が健全であることを望むならば、思考が旅行し、熟考することが必要である。

科学がわたしたちをそこへみちびいてくれよう。もしも科学が野心ももたず、おしゃべりでもなく、短気でもなければ、である。すなわち、わたしたちを書物から引きはなし、わたしたちの視線を水平線の距離までもっていってくれれば、である。それゆえ、知覚し旅行することが必要である。一つの対象は、あなたがその対象とのあいだに見いだす真の関係によって、あなたを他の対象およびその他多くの対象へみちびいていく。そして、この川の渦巻きはあなたの思考を、風や、雲や、星々にまで運んでいく。真の知識はけっして、目ぢかにある小さな物事などにもどってこない。知るとは、どんなささいな事物でもどのように全体に結びついているかを理解することだからだ。どんなものでも、それ自体のうちに存在理由をもっているのではない。それゆえ、正しい運動とは、わたしたちをわたしたち自身から遠ざける運動である。これは、目に対してと劣らず、精神に対しても健全である。ここから、思考はその領分である宇宙のなかにやすらい、あらゆるものとも結びついている肉体の生命と調和するだろう。キリスト教徒が「天はわが祖国なり」と言ったのは、本人が考えた以上の至言であった。遠くを見よ。

                                     (1911.5.15)
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by uts_home | 2006-06-06 09:09 | コラム
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