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マルコ、青年と出会う--T.N.君の日記
 森の中の「旅の駅」をあとにしたマルコは、Under the Sunを目指して再び歩き始めました。雲の切れ間から射す日の光を目指して歩いていたマルコは、森のはずれの池のほとりで旅の疲れを癒す青年と出会いました。その青年はマルコよりもいくらか年上のようで、どことなく遠い眼差しをしており、どことなく沸々とした怒りを心根に抱えているふうでもありました。そらさんと別れてからここ数日、話し相手もなく歩き続け人恋しくなっていたマルコは、久しぶりに出会ったその青年に声をかけたのでした。

マルコ:あのー、すみません。僕はUnder the Sunを探して、ここ数日森の中を彷徨っていたのですが、この辺にUnder the Sunというパラダイスがあるのをあなたご存知ありませんでしょうか?
青年:Under the Sun? 聞いたこともありませんが、それはいったいなんですか?
マルコ:さあ、私もよく分からないのです。なんだか人と人との繋がりが希薄なこの世の中で、人と人との柔らかな繋がりを求めるパラダイスがあると聞いたのです。私はそれを探して旅をしているのですが、これまでに出会った渡し舟の船頭さんには「それを見つけようと思ったら、自らその問いを求めることだ」と言われ、タクシーの運転手には、「そもそも人との繋がりは、人それぞれが違うからこそ生まれる」と、そして「旅の駅」の女将さんには「誰かのためにやっているわけじゃなくても、誰かのためになっていることがある」というなんだか愛に満ちた雰囲気を教わった気がします。でも、誰もUnder the Sunの場所は教えてくれませんでした。
青年:なるほど、興味深いですね。繋がりを求めるパラダイスですか。実は私も繋がりとはなんだろうかという疑問に駆られ旅をしている途中なのです。
マルコ:え、それではあなたもUnder the Sunを探しているのですね。
青年:いいえ。Under the Sunを探している訳ではありません。生命における繋がりとはなんだろうかということを考えていたのです。




マルコ:それは食物連鎖とか生態系と言われる今流行のエコロジーというようなものですか。
青年:ええ、まあ。そういう大きな連環もありますが、何と言うかもっと個別的な、「自己と非自己」における繋がりに関してです。例えば、虫のような下等な生物もカビのような病原体から身を守るシステムが備わっているんです。虫の様な生物においても、自己と非自己が区別されているのです。虫ばかりではなく哺乳動物でも病原体にある特徴的な構造を認識して危険信号を発し、異物を排除しているということが最近分かってきました。免疫力を高めましょうとよく言われる免疫力とは、このようにのべつ幕なしに非自己を排除する能力のことを指し、これを自然免疫と呼んでいます。一方、子供の頃に水疱瘡にかかったら、2度とかからないと言いますよね。それも免疫の仕事です。この場合はある病原体に対し特異的に免疫細胞が反応し、その反応は終生記憶されるのです。そして病原体の2度目の侵入に対し、記憶としてストックされた免疫細胞が瞬時に増えて、病気を引き起こす前に病原体を駆逐してしまうのです。このような免疫を獲得免疫と呼んでいて、生命は免疫と言うシステムを通じて、自己と非自己を区別しているのです。
マルコ:へー。自己とか非自己なんていう観念的なことは脳の中で人間が勝手に作り出した概念だと思っていたけれど、脳と言う高次機能がなくても存在するんですね。でも、そうすると生命は本質的に非自己に対して拒絶するという宿命を有しているのですか。
青年:ところがその拒絶は必ずしも非自己に対してのみ起こるわけでもないのです。リウマチなどの自己免疫疾患は自己に対して反応する免疫機構により引き起こされる病気だし、花粉症などのアレルギー疾患は、非自己を排除する機構が働きすぎて自己を困らせるという病気なのです。
マルコ:そうすると免疫というのは自己にも非自己にも攻撃的に働くものなんですね。
青年:いいえ、殆どの場合免疫は自己に対しては反応性を消失しています。それを免疫寛容と言いますが、免疫のシステムが出来上がる過程で自己に反応する免疫細胞は細胞の自殺(アポトーシス)というメカニズムで消えてなくなってしまいます。それから、骨髄移植などを思い浮かべると分かりやすいと思うけれど、白血病などで骨髄移植をすると免疫システムは移植したドナーのものに入れ替わってしまいます。もちろんとても強い拒絶反応が起こるけれども、免疫反応を抑える薬を使って拒絶反応を抑えてあげると、数年すると免疫抑制剤を使わなくても、自己である体を攻撃することなく非自己と自己の共存が起こります。これもまた免疫寛容です。免疫には非自己の排除と同時に非自己を受け入れるという両義性があるのです。そして厳密に区別されているかのような自己と非自己も実はかなり曖昧であることも分かってきています。
マルコ:なるほど。免疫って面白いですね。でも、それとあなたが疑問に思っている繋がりとはどういう関係があるのですか。
青年:先ほど骨髄移植の例を出したけれど、ドナーの骨髄細胞中に存在するあらゆる細胞に分化できる幹細胞から、赤血球や白血球などの免疫細胞が出来上がってくるのだけれど、それぞれの細胞はその環境に応じてあるものは赤血球にあるものはリンパ球にと分化します。そしてその分化はまさに自己という場に適応するように制御されているんです。だから移植された非自己である骨髄細胞が、自己である身体に適応して自己組織化が行われ、その結果寛容が成立するのです。また、外部の病原体が侵入したときも、獲得免疫における免疫細胞の病原体の認識機構は、病原体の断片が自分の手のひらによって差し出されて初めて認識されるのです。外部からの度重なる侵入を通じて、自己は多様性を獲得し、それを免疫記憶としてストックしていくことで自己に厚みを形成していくのです。このように、免疫における自己とは「自己」という場に適応し、「自己」に言及(self-reference:自己を参照する)することで、新たな自己を形作っています。このようなシステムを、免疫学者の多田富雄先生は免疫のスーパーシステムと呼んでいます。
マルコ:とても難しいお話ですが、自己とか非自己は決定されたものではなく、常に自己は非自己から作用を受け、自分とは何かを見つめながら、自分自身が変化適応していくとても柔軟なものだと言うことですね。
青年:そうなんです。
マルコ:そのことは精神における自己とは何かということにも当てはまるのではないでしょうか。
青年:というのは?
マルコ:精神においては、「われ思う」という主体としてのわたし(=I)と、「われ感じる」という客体としてのわたし(=me)が自己を形成していて、「われ感じるがゆえに、われ思う」と、常に人に限らずありとあらゆる他者からの影響を受けて自己が変容している。自己とは他者との関係性を抜きにしては存在し得ないということなのではないでしょうか。
青年:すばらしい。わたしの問いをそのように発展させてくれるなんて感動です。免疫における自己言及性は身体としての場と表現しましたが、そのreferenceは遺伝子(genome)であると言い換えることが出来ます。遺伝子とは運命を決定する、非常に厳密でより高次に存在するコマンドではなく、いつでも自分のルーツを顧みるreferenceであると捉えることが出来ます。巷では遺伝子が分かればすべてが分かる、能力は遺伝的に決まっているという論調がありますが、それは優性思想にも通じる危うさを含んでいます。一方、人間は環境が全てであるとの意見もあります。しかし、これもまた20世紀の科学が明らかにしてきたDNAをはじめとする生命の営みに関する研究に対し、客観性を失った見方だと言えます。生命は非常に可塑性に富み、遺伝子をreferenceしながら、自己を見失うことなく自己組織化していく、そしてそこに多様性と共生が生まれるのだと思います。
すみません、話を元に戻しましょう。ところで、あなたは精神における自己言及性とはなんであると考えていますか。
マルコ:精神における自己言及性ですか。私はわたし。たとえ他者からの影響を受けようとも私は私のコンテキストでしか感じることが出来ない。私のコンテキストでしか思うことが出来ない。そこに精神における自己言及性があるように思います。それをアイデンティティと言うのでしょうか、あるいは先ほどおっしゃられたルーツと言うものなのでしょうか。思うという主体としての自己や感じるという客体としての自己のさらにより深層に、わたしという内奥の自己が存在し、意識下の自己は常に内奥の自己をリファレンスしていると言うことなのではないでしょうか。ところでこの内奥の自己とは生物学的にはどのように捉えられているのでしょうか。
青年:内奥の自己を解明することは心理学者のみならず脳科学者にとっても非常に関心の高い問題だと思います。現代の生命科学は生命とは何かという問題を、臓器、器官、組織、細胞、蛋白、DNAとより下位のレベルに降り、そのメカニズムを明らかにすることでより上位の問題を説明しようとしています。これを還元主義的手法と呼んでいます。しかし、還元主義的手法ではやはり生命の本質や、地球環境と生命について説明できないことを科学者自身もうすうす感づいてもいるのです。また、そもそも万物創世の神に対する懐疑から始まった還元主義的手法でしたが、今日その限界に気付いた人は、短絡的にそして復古的に生命の上位に存在する神を想定しようとしています。しかし、それもまた生命の本質を何も説明してはいないのです。生命とは無限大に大きいものから無限大に小さいもののまさに間に存在するものなのではないでしょうか。ですから内奥の自己について生命科学がその謎を解明しようとすることは重要です。しかし、それのみに答えを委ねてしまい分かったつもりになることも分からないと嘆息することもナンセンスなのだと思います。そして科学者もまた無限大に小さいものへ降り続けるだけではない、俯瞰する視点が要求されているのではないでしょうか。
マルコ:答えを安易に求めてはいけないということですね。
青年:そうなのだと思います。
マルコ:内奥の自己をreferenceするのも私であり、内奥の自己に見られるのも私であり、内奥の自己を磨くのも私である。しかしながら、そこには他者の存在が不可欠であり、それを失うと生命としての息吹が失われてしまう。そしてそれが私自身の普遍性と可塑性を生み出している。
青年:私はそのような視点で、社会や法や科学を捉えられないかと日々旅をしています。今日はあなたのような素敵な方と私の感じている疑問について話が出来てとても幸せな気分です。わたしはあなたの捜し求めているUnder the Sunについて全く知りませんが、ここを真っ直ぐ進むと森は直に終わり原っぱに出ます。きっとUnder the Sunはこの森の外にあるのでしょう。いい旅になることを願っています。
マルコ:僕の方こそありがとうございました。あなたもよい旅を。

 マルコは一回り自分が大きくなったような気がしました。そして後ろを何度も振り返りながら青年に教えられた方向に向かって再び森の中を歩き始めたのでした。

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 長文をお読みいただきありがとうございました。

 以下に参考文献を記させていただきます。
・「免疫系のしくみ-免疫学入門-」 L.Sompayrac著 大沢利昭訳 東京化学同人 
・「免疫の意味論」 多田富雄著 青土社
・「生命の意味論」 多田富雄著 新潮社
・「邂逅」 多田富雄 鶴見和子著 藤原書店
・鶴見和子 対話まんだら 「患者学のすすめ-‘内発的‘リハビリテーション 上田敏の巻」 藤原書店
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by uts_home | 2006-06-30 02:54 | コラム
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