阿弥陀くじで一番バッターになった「再出発日記」のくまです。
今回「お題は無し」ということなので、適当に書きます。
茨木のり子「ハングルへの旅」の中に在日韓国人詩人崔華国の「荒川」という詩が載っています。たそがれの荒川の岸辺にいて朽ちた伝馬船に寝ころび眼を閉じていると、風がむかしの母や姉のささやきを運んでくる、という詩の後に次のハングルの言葉が続きます。
サララ
サララ
チャララ
チャル チャララ
サワラ
サワサワ
チャラ
チャル チャラ
意味は良く分からない、けれどもなんか春のせせらぎのような美しい響きがしてきませんか。実はこの詩はカタカナのすぐ下に日本語訳がついている。訳は以下の通りです。
生きるのだ
生きるのだ
育つのだ
立派に育つのだ
闘うのだ
がんばれ がんばれ
おやすみ
安らかにおやすみ
驚いたことに一つも擬音が使われていません。それでいて読むと全てが擬音の様に聞こえます。実際、ハングルは美しい言葉です。でも、韓国映画やドラマを見ると、喧嘩をする場面は多いし、激音や濃音が多用されているので、みんな怒っているように聞こえるので「汚い言葉だ」と言う人もいるのです。私は女のひとの発音を聞いていると、「アンニョン!」「……ケチョ?」「……ピヨ」……なんか小鳥のさえずりのように聞こえてきたりもします。
ハングルは美しい言葉だと、私は思います。ーー皆さん、そう思いますか。思った方は手を上げてください。
……あっ、やっぱりそうは思わない、という方は何人もいますね。そうか残念です。でも違うという方がいて当然ですよね。
美しさとはなんでしょうか。
大学には美学という学問がありました。絵を描く学問ではありません。哲学科の隣に研究室があったのです。美しさとは極めて哲学的な問題なのでしょう。
7月20日、安倍信三という人が「美しい国へ」という本を出しました。
美しい国へ、とはどういうことなのか。bogusnews さんが
「【新刊】「美しい国へ」─安倍晋三」 のなかでまだ本を読まないうちから、みごとな解釈をされています。
「正式に合衆国に加盟して52番目の州になることでパックス・アメリカーナの庇護の下に入り、世界に君臨する警察国家の一部だという誇りをもつこと」
中国でも韓国でもアメリカのことを「美国」と書くのに、なぜか日本では「米国」なんですね。安倍さんはずっとアジアのことを気にかけてきた方ですから、当然この題名がそう読まれることは意識していたでしょう。だから「52番目の州へ」というのもあながち言いがかりではないでしょう。
安倍さんがもう一つこの題名で気にかけていたのは、「美しさ」を押し付けたいということだったのではないでしょうか。帯のあおり文句にはこうあります。「自信と誇りのもてる日本へ」。もちろん「私はもっているよ」ということを書いたエッセイではありません。次期首相と目されている人がこの時期に出す本なのです。まだ読んでいませんが、「国民のみんさん持ちましょうね」ということを書いているのは明らかです。「美しい国だから、愛し、守ろう、自身と誇りを持とう」そんなメッセージが、表紙を見るだけで伝わってきます。内容なんてどうでもいいのです。本屋に寄ってそういう表紙を見るだけで、充分なのです。
でもそのメッセージの間違いは明らかです。
美しい国かどうかは一人ひとり違うのだし、
もし美しい国だとしても、必ずしも自信を持たないといけないとか、
愛され、守られなければいけないとか、そういうものではないのです。
美しい女性なら、実感としてもっていることなのではないかと思います(^^;)
これを書いた後、
……ちょっと気になったので、本屋によって買ってきました。
……もういけません。最初から突っ込みどころ満載です。30分だけ読んで、読むのを封印しまた。一言二言ではすみそうも無いのですが、映画ファンとして許せないのは、名作「ミリオン・ダラー・ベイビー」をナショナリズムを煽るために利用していることです。誰か映画ファンの方の本格的な反論を期待したいものです。
私自身は「平和」という言葉を美しいと思っているし、「平和」を愛しているし、「平和な国」を守りたいと思っています。それは一人ひとりの価値観です。一人ひとりの決意の現れです。何故そう思う様になったかは、また次の機会に(^^;)