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平和とは何か? --日替わりコラム by愚樵空論
8月9日は、3日前のヒロシマに続いて、ナガサキに2発目の原爆が投下された日。

この日投下された原爆はコードネーム:ファットマン(Fat Man、「太った男」)と呼ばれた、プルトニウム239を用いたもの。ヒロシマに投下されたリトルボーイはウラン235を用いたものだった。
ヒロシマでは死者約118,700人負傷者約82,800人、ナガサキでは死者約73,900人負傷者約74,900人の被害が出たそうである。この数字には後遺症に悩まされることになった人たちは含まれない。

この2発の原爆投下は、本当に必要なものだったのか? 繰り返し問いかけられる疑問を、また問いかけずにはいられない。8月6日、9日とはそういう日である。そして平和とは?

私があまり好まない「国民的作家」の司馬遼太郎のエッセイにこんな文章がある。
平和とは、まことにはかない概念である。
単に戦争の対語にすぎず、“戦争のない状態”をさすだけのことで、天国や浄土のように高度な次元ではない。あくまでも人間に属する。平和を維持するためには、人脂のべとつくような手練手管が要る。
平和維持にしばしば犯罪まがいのおどしや、商人が利を逐うような懸命の奔走も要る。
さらには複雑な方法や計算を積みかさねるために、奸悪の評判までとりかねないものである。例として、徳川家康の豊臣家処分をおもえばいい。家康は三百年の太平をひらいた。が、家康は信長や秀吉にくらべて人気が薄い。平和とは、そういうものである。




では、ヒロシマとナガサキに投下された原爆も、その“手練手管”だというのだろうか。
原爆を投下した者たちは、そう主張するだろう。

「もし原爆投下がなければ、より多くの人命が失われることになった」


高校生の頃、歴史の先生から聞いたアメリカ建国時の話。

ヨーロッパからアメリカ大陸に新天地を求めてやってきた白人たちは、原住民たちと話し合いを持ち、原住民に土地を分けてくれるよう要求した。原住民たちはその要求を受け入れ、海岸から日の出から夕暮れまで歩いて行けるまでの土地を白人たちに譲ることにした。
さて、その境界線を決める日。白人たちは仲間内の中で一番足の速い者を選び、その者は日の出と共に駆け出した。原住民たちはその選手に何度も「歩くように」と言ったが選手は聞き入れず、走りに走った。そして夕暮れとともに手を伸ばして倒れこみ、その伸ばした手の先が境界線となった。優しい原住民たちは白人が走ったことを咎めはしたが、それでも彼らの主張どうり土地を譲った。
...これがアメリカ東海岸に建国された13州。

なんともノンビリした話で、真偽の程も知らないけれども、この後アメリカン・ネイティブたちが辿った運命を思うと、暗澹たる気持ちになってしまう。彼らは白人たちの要求を快く受け入れたりせず、断固とした大西洋に追い落とすべきだったのである。それが彼らにとっての「平和」の途であった。
彼らの最大の過ちは白人を「同じ人間」だと考えたことだ。だから白人たちが生きていくのに必要な土地を譲った。だが、譲った相手は「同じ人間」とは考えない者たちであった。

世の中にはどのように話をしても通じない人がいる。さらには始めから話は聞かないと決めている人がいる。このような人たちは相手のことを「同じ人間」だとは思っていない。
世界初の近代的民主主義国家として誕生したアメリカは、「同じ人間」の自由・平等を追及する国ではあったが、「同じ人間」でない者たちにはいかに残虐に振舞えるかを証明し、今でも証明しつつある国でもある。アメリカン・ネイティブの虐殺、黒人奴隷、日本へ原爆の投下。ベトナムでの枯葉剤の散布、現在でもアフガニスタン・イラク等で劣化ウラン弾を使用する。使用することが出来る。
そして恥ずかしながら、私たちが生まれた育った日本という国もかつてはその「証明」の一端を担っていたのである。

「同じ人間」だと思わない者たちに対抗するには、「手練手管」でも生ぬるいのかもしれない。
「同じ人間」の頭の上に爆弾など落とせるものか? その人間が自分に危害を加えてくるのなら自衛のための殺害も止むを得ないかもしれないが、空から爆弾を落とすとき、その下で暮らす人々は無力だ。圧倒的な力の差だ。
それとも、「同じ人間」と考えない相手に「同じ人間」と認めさせるには同等の力を持たなければならない、それが「手練手管」なのだろうか?
圧倒的に優位な力を持つ者に「平和」などと唱えてもムダなのかもしれない。力無き者の言葉を聞き入れてもらえなければ、それまでだからである。力無き者の言葉を聞くか聞かぬかの選択は、力あるものの手に委ねられる。だが、この「委託」が信用ならない。ましてや相手は「同じ人間」とは考えていない。そんな者に生殺与奪を握られたのでは堪らない。だから力を持つしかない...。

「平和」とは「力の均衡」のことなのであろうか?

UTSに集う者たちは、そんなふうには考えないだろう。力のある者もない者も「同じ人間」。
「同じ人間」と考えるか否かで、スタンスは180度違う。だから考える「平和」の姿も全く違う。

「平和」とは「人脂のべとつくような手練手管」でもたらされる「力の均衡状態」のことではない。
他の人も「同じ人間」だと皆が考えるようになったときに、自然と達成されるであろう状態のことである。
この状態は天国や浄土のように高度な次元ではない。単に人間が人間を同じと認めるというだけのことだ。だからあくまでも人間に属する。

このような状態は未だかつて出現したことがないのかもしれない。少なくとも歴史にはない。歴史は人間が人間を同じだと認めなくなったときに始まった。

歴史を動かしてしまった人間には、もはや「平和」を出現させることはできないか? 
そうかもしれない。
もしそうなら、私たちは「力の均衡」を「平和」と呼ぶしかない。
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by uts_home | 2006-08-09 00:15 | コラム
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