えー、このところ遅刻が続いてごめんなさい。ともあれ、今回も四阿日誌の方に宜しくお付き合いを願っておきますが、のっけから暴露しておきますと、今回のタイトルはパクリです。一部の方はピンと来たかと思いますが、あたしのふるさとでもある北海道を拠点に、まさに今を時めくといっていい演劇集団、
TEAM NACSの今年の公演が、まさに時宜よろしいことに「ふるさと公演」と題して行われることになってまして、その演題からいただきました。
てなところで、本日の四阿日誌とまいりやしょう。
Moreで遊べる、というエキサイトブログの機能を今回もフル活用させていただいているわけですが、守り続けた痛み、という言葉から、あたしが真っ先に連想したのが、まさしく今つくりかえられようとしている、この国のすがたのことだったわけでして、広義に捉えるなら、日本国籍を有する両親から日本国内で出生したあたしのふるさととして、この日本国を捉えることもできるわけで…強引だなぁ(笑)
さて、ここで唐突にTEAM NACSの新作舞台の方に話が飛ぶわけですが、NACSのリーダーであり、今回も脚本を担当する森崎博之さんが雑誌「ダ・ヴィンチ」でのインタヴューにおいて、今回のHONORの脚本について、彼が生まれ育った北海道東川町が市町村合併でなくなってしまうかもしれない、ということが執筆の動機にあったことを言っておりました。
この市町村合併も小泉前政権下で推し進められた暴挙といっていい施策の一つなわけですが、あたしが住んでいる根室市は財政事情や地理的条件から合併相手がなく、北海道庁の合併推進プランでも最初から合併対象とされなかったくらいで、「合併しない宣言」の福島県矢祭町とは立ち位置は違うものの、結果的に自主自立の道を進むことになっていて、あたしにとっては、市町村合併は対岸の火事めいた印象がずっとありました。
さて、この市町村合併というのは、名目としては自治体の基礎体力を向上させて財政を健全化しよう、ということですが、実際のところ、これは地勢的に合併が進展しなかった北海道の特殊事情かもしれませんが、財政事情の弱い自治体が足許を見られて合併できなかったり、逆に財政に余裕のある自治体が地域エゴから合併に二の足を踏んだり、というようなことがありました。こんな合併劇を見ていてあたしが思ったことは、こんなところにまで排除の論理かよ、と。
尤も、前述の通り根室市は今回の所謂「平成の大合併」にあって、のっけから排除されていたかたちになってしまっているわけですが、実は今回財政破綻が明らかになった夕張市も、以前から危機的状況にあった財政事情から周辺自治体との合併協議が進まなかった自治体の一つでした。
さて、1月の第2月曜日が成人の日、ということになっておりまして、毎年、新成人の放縦な行動がニュースになったりして降りましたが、そんな中、夕張市の新成人たちは一味も二味も違っておりました。
財政破綻が明らかになったこともあり、彼らの成人式のために夕張市が拠出できた予算はたった1万円。かくて、新成人自らが手作りで成人式を行う、ということが既定路線となったわけですが、新成人の半数以上が進学や就職などで今は夕張に住んでいないとはいえ、それでも、今まさに存亡の危機に立たされたふるさとで成人式を迎えたい、という若者たちは、地元夕張で頑張る同級生を核として、実にすばらしい、手作りの成人祭を挙行しました。
もちろん、それには市からの1万円の予算では賄いきれない部分が多くあり、それは夕張市民や、このことを報道で知った全国からの善意に頼らざるを得ませんでした。こうして寄せられたお金が250万円ほどになったそうですが、彼らは、そのうちの20万円だけは自分たちの成人祭のために使い、残りを後輩たちのためにプールしたそうです。
そして、この夕張市の成人祭。新成人たちが寄せ書きをするホワイトボードが設置されていたのですが、そこに書き込まれた彼らのメッセージが実にイカしていました。
そこには、新成人たちの、ふるさと夕張に寄せる熱い想いがこめられていました。過疎化・高齢化が進み、今は彼ら若者の働く場所も限りなく少ないとはいえ、彼らが生まれ育ち、そして帰ってくる場所は、やはりこの夕張なんだ、という熱い想い。そして、このピンチだからこそ、俺達がふるさとを蘇らせるんだ、という、ふるさと夕張への誇り。
昨今、右傾化・反動化が叫ばれる若者たちのなかにあって、夕張の若者たちはなんと輝いていることでしょう。折しも、昨年の暮れ、北海道では札幌の女子中学生たちが自分たちの考えを直接首相に手紙を綴って伝えたことが報じられました。
旧(と付けねばならないのが、実に口惜しい)教育基本法は、斯くのごとく、自主自立の精神を携えた若者を育てることにも貢献してきました。にも拘わらず、その功の面を顧みることなく、民主主義国家の基本である個人に対して国家が優越するような新法を制定した現政権に対する怒りが、あらためてふつふつと沸いてまいります。
人の本性は危急の時にこそ顕れるといいます。そして、時々の政権の本性も、また国難の時にこそ顕れるように思います。自分だけを守ろうとハリネズミのように鋭い棘を逆立てるのと、誰をも傷つけないために一切の武器を手離して、誠実な外交によって平和を築こうとするのと、尊敬される、品格のある行き方は果たしてどっちなんでしょうね。
なんだかとりとめなく駄文を書き飛ばしてまいりましたが、本日の四阿日誌はこの辺で、今回もお後がよろしいようで。