【夏の落し物】
今のコドモたちはどうなのかは知らないけれど、ボクらが小学生だったころは、原爆が広島と長崎に落とされた日は登校日となっていて、夏休みに登校した憶えがあります。
コドモのコトですから、夏休みのさなかまた学校へ登校しなきゃならないってのは、ものすごくウンザリするコトでした。
しかも校長先生のおハナシやら、原爆や戦争についての平和学習ときては、楽しかろうはずもありません。
無限につづくかと思えるほど価値のある夏休みの、ソレがほとんど唯一の染みみたいなモノでしたね~。
さて、多分みんな経験があると思いますが「なつのとも」ってヤツ。
夏休みの宿題帖(コレさえなけりゃ……)ですが、毎学年やはり戦争についてのハナシが載っていたとボクは記憶しています。
特攻隊のハナシだったり、戦争中の生活のハナシだったり、終戦から何年もたってから突然子どもに被爆症が出たハナシだったり、そんなおハナシです。
ずっと昔、日本が中国や米国と戦争をしていたのは知っています。
戦争中みんな苦しい想いをして、その挙句に原爆を落とされて、今でも苦しんでいるヒトたちがいることも知っています。
でも……
イナカの少年にすぎなかったボクたちにとって、真夏の太陽が照りつける輝くような夏の日々に、そんな暗くて凄惨なハナシは、まるで現実のものに想えませんでした。
夏の日々が黄金色に輝いていたあのコドモの時代にとって、はるか昔の人たちが戦争をしていたハナシなんて、お伽バナシにすぎなかったのです。
そしてあれからずいぶん経ちました。
先日テレビで「はだしのゲン」を放送していました。
漫画は知っていますし、内容も知っています。
何の気なしにテレビをつけて、最初の数分を観ていました。
しかしどうにもたまらない。
まだ誰も死んでいないし、原爆も落ちていない。画面の中には戦争の苦しさはさほどうかがえない。
「ハラへったよ~」と泣き言を云いながらも、それでも明るく笑う少年たちの声が画面から聞こえてきます。
しかしそれでも、どうしてもイヤだった。
隣で観てる相方芳乃さんも「消して……」と云う。
音のしなくなったテレビをぼんやり見つつ、考えました。
何がイヤだったんだろうか?
答えには、割りあいすぐにたどりつきました。
観てる間にも、薄々感じていたからです。
たとえドラマの中ででも、コドモがひもじいおもいをしたり、苦しんだりするトコロなんて見たくなかったのです。
芳乃さんも同じ。
コドモが辛いメにあうようなドラマは観たくないって云うのです。
ボクには3歳になるオトコの子がいます。
いつの間にかボクはそういったコトを自分に、そして自分のコドモに投影して考えるようになっていたんですね。
戦争がよいの悪いのってコトを、今さらどうこう云うつもりはありません。
ただ今のボクは、戦争なんてシロモノ(別に戦争に限らんが)がコドモを苦しめるってコトだけでもガマンができないのです。
オトナはよいさ。
彼らが自分たちで国のあり方を決めて選択するのだ。
だから戦争がおきて食べるモノがなかってり、兵隊になって戦場へ行くコトになろうが、それはオトナたちが自分たちで決めたコトだから。
でもコドモは違うよね。
彼らはオトナの都合勝手に付きあわされてるだけだよね。
そして戦争なんかおきた時、誰が一番被害をこうむると思う?
「なつのとも」で読んだ少女のハナシ。
両親が被爆者のため、突然白血病となってしまう彼女。
コドモのころは、ただ自分とは関係のないハナシの登場人物としか想えなかった彼女。
彼女が何をしたんだろう?何か戦争に対しての責任があるのか?
もちろん違う。生まれてすらいなかったのですよ。
でも原爆のために、戦争のために、彼女は死にます。苦しみぬいて死にます。
今こうして記事を書きながら、ふっと想います。
オトナとなりコドモを持っているボクとしてではなく、ただのコドモにしかすぎなかったボクが、もう一度あのハナシを読んでみたら、今度はどんな風に感じるだろうか……と。
もしかしたら、もう少しあの少女に想いをよせるコトができたのではないかと。
でももう、それはかなうことはないでしょう。
ボクの夏休みは、もう遠い過去のものです。
ソレが、オトナになったボクにとっての、時をこえた小さな夏の落し物。
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「逍遥録-衒学城奇譚-」発掘屋