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「願い」にかかわる寝言2題――by華氏451度
 おはようございます。発掘屋さんから連絡いただいたのに、しっかり遅刻したアホの華氏でございます(泣。発掘屋さん、ごめん~~)。今回のお題は「願い」。うーん、願い……イメージが膨らみすぎてはち切れそうになります。……というわけで(何が、「というわけで」なんでしょうね)今回も思いつくまま気の向くままに。

〈1.願いの重さ〉

 願いと願望は同じものだろうか。ごくフツウに語義だけ考えれば同じ意味に違いないのだが、受けるニュアンスが何となく違う。




 私の場合は――という限定付きの話ではあるが(つまり他の人々がどう感じるかはわからないが)、「宝くじが当たるといいなぁ」とか「今回の仕事はトラブルが起きないといいなぁ」とか「明日はあったかくなるといいなぁ」などなど……は《願望》。それに対して、「自分の存在が他者を傷つけるような生き方だけはしたくない」というのは《願い》である。

 願いと聞いたとき、実は反射的に思い出すものがある。弥陀の第十八の誓願、と呼ばれるものだ。御存知と思うが、阿弥陀サンが修行に先立って立てた四十八の誓願のひとつ(ということになっているそうだ)。すべての人が往生できないのであれば、私は仏にはならない――というやつである。私自身は神も仏も関係ないヨという人間なので、そんなものを思い出すのは自分でもおかしいとは思うのだが……。

 往生とか仏とか抹香臭い単語を取り払って読めば、要するに「世界中の人々が救われない(幸福にならない)限り、私は自分だけが救われようとは(幸福になろうとは)思いません」ということである。私が偏愛する『邪宗門』(髙橋和己著)の中で、「ひともと救霊会」の開祖が受けた啓示のひとつにもこれと似た言葉があったのを覚えている。

 この弥陀の十八番の「誓願」は、やはりニュアンスとして《願望》ではなく《願い》だろう。

 そう……私のごく個人的な言葉感覚においては、《願い》はおそらく《祈り》に近いものなのだ(無神論者のくせに、どうも今日はハナシが妙な方向に走っているなあ。まだ眼がじゅうぶん醒めてないのかしらん)。願望は幾分か思いつき的な面もあって、かなえられればハッピー。でも、かなえられなくても別に自分の存在が根底から震撼させられるわけではない。それに対して願いの方は、存在を賭けて叫ぶような重さがある。さらに言うならば、私という個がひとりで決意するだけでは届かない。だからこそ、願いは祈りに限りなく近いのであろう。古来、ひとびとは「願をかける」という言い方で、願いの成就を神に祈った。

 神に祈る、仏にすがるという精神のベクトルを、私は否定しない。だが私は無神論者だから、世界の創造主よりも、願いを共有する同志達を信じる。長い長い歴史の中で願いは絶えず裏切られてきたが、それでもなお――いや、それだからこそと言うべきか、私は願いの力を信じる。


〈2.願いの怖さ〉

 お伽噺などの中に、三つの願い型、とでも言うべきものがある。何かのきっかけで、主人公が三つの願いをかなえてもらうことになる――。ただしここでいうところの願いは、私が勝手に分けてみた「願望」に近い。ちなみに三というのは、お伽噺などで最もよく登場する「数」である。三人の兄弟、三匹の子豚、三つの宝、三羽の鳥……。専門の研究者によればこの数字にはいろいろ意味があるらしいが、それはそれとして、三という単位はいかにも座りがいい。キリがいい、と言ってもいいだろう。一ではあまりにそっけないし、人と人、物事と物事の関わりが生まれづらい。かといって五や七になると――これらの単位もしばしば出てくることは出てくるのだが――複雑になりすぎる。適切な数、という感じである。

 あっ、また話が逸れてきちゃった。戻そう……。

 ともかくも、その三つの願いは、ハッピーエンドとそうでないものとに大別される。後者は目先の欲に目がくらんでくだらない願いをし(あるいはとっさの思いつきで妙な願いをしてしまい)、かえってとんでもない羽目に陥る。で、最後の願いはそれを取り消すために使ってしまい、すべてがいわばリセットされて元のまま――というのが基本的なパターンのひとつだ。ホラー小説の古典として名高い『猿の手』も、そのパターンを踏襲したものである(この話はけっこうおもしろいんですが……未読の方には殴られそうなんで、紹介するのはやめまする。興味が湧かれたら、読んでみてください)。
 誰かに、あるいは何ものかにすがって願いをかなえてもらおうとすることの怖さを、我々の祖先達はよく知っていたらしい。特に、自分の欲望に基づく願い=私的な願望をかなえてほしいとすることの怖さと愚かさを。欲と二人連れの「願い」は、「願い」の名には値しないのである。

 ひとは夢を見ずには生きられない存在であり、そして夢は何かを願うことと不可分である。それはあるときは願望であろう。異性に魅せられて、その愛を得たいと願望するのも、おいしいものを食べたいと願望するのも、決して悪くはない。だが、自分のためだけの願望というのは、何とまずしいことか。

【ゆめみたものは ひとつの幸せ/願ったものは ひとつの 愛】と絶唱した詩人がいた。ひとつの幸せも、ひとつの愛も、彼のきわめて個的な世界のものであったのだけれども、自分だけが幸せになっても決して幸せでないことをかなしいほど思い知ったあげくの絶唱であるがゆえに、この詩はいまも命を持つ。

 幸せになりたい。ほんのささやかな幸せがほしい。でも、すべての人々が幸せにならない限り、私にも幸せはないのだと――おそらくそれが、前述の「弥陀の十八番の誓願」なのである。
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by uts_home | 2008-02-09 06:55 | コラム
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