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「食」にまつわるうしろめたさ by華氏451度
 1週間遅れ……でございます。すみません。さて、今回のお題は「食」。何を語ればいいのやら戸惑いながら、そろそろ初めることにいたしますか。

 私は子どもの頃から、あまり積極的には動物性蛋白を摂取しない方である。気がつくと1週間以上動物性蛋白ゼロで過ごしていた、なんていうこともしばしばだ。特に、いわゆる「肉」はあまり食べない。摂取する動物性蛋白は少量の魚介類と卵、そして乳製品がほとんどだ。いや、むろんヒトの家を訪問して出された場合や、誰かと一緒に食事に行って「これが美味しいよ」と勧められた時などはビーフステーキでもトンカツでも……ウサギでも羊でもカエルでも食べるけれども、自分で選択して食べるものは動物系の食品は少ない。何となく、腰が引けるのである。自分で作るものの代表は野菜と豆類のカレーや、具の多いスープ(と言うより野菜のスープ煮)、野菜だの油揚げだのコンニャクだのを放り込んだ味噌汁(口の悪い友人達はトン抜き豚汁、と言っている)など。いや、むろんほかにもいろいろ作りますがね、何しろ手間がかからない上に一度大量に作ると三日ぐらい食べられるので、つい始終……。
 ただし、思想的な確固たる意味合いがあって、えせベジタリアンやってるわけではない。単なる嗜好の問題である。と言うよりおそらく、小さい頃から目立って消化器官が弱かったことと関係があるのだろう。始終腹下しをして、卵とじうどんとポテトサラダ、などという妙な組み合わせのものを食べさせられていたような記憶もある。肉の類が消化に悪いのかどうか実際のところは知らないが、私の場合は植物性の食品を中心に食べているほうが調子がよかったようだ。
 もうひとつ……ものを食べることに対する、かすかな恥の感覚、あるいは罪悪感をずっと引きずっているのかも知れない。(肉食べるのは罪悪、というような話ではない。それを言うなら野菜だって卵だって命であり、命を食い散らしていることに違いはない)



◇◇◇◇◇

 小さな子供の時、母親に連れられて観に行った映画の中に、飢餓に苦しむ人々の映像があった。映画館で観たのか、それとも何かの会館のような所で観たのか忘れたし、さらに題名はむろんのこと、どういうジャンルの映画であったかも完璧に忘れている(何かのドキュメント映画だったと思うが、もしかすると違うかもしれない)。具体的な映像も覚えていないのだが、ショックの感覚だけは今も鮮明である。
 母親が、子供に観せるつもりで連れて行ったのではあるまい(子供向けの映画の類では絶対になかったはずだ)。また母親自身、別に映像好きの人でも何でもなかったから、彼女が積極的に観に行ったとも思えない。多分、知人から割引チケットか何かもらったので勿体ないから行こうかと思い、ついでに子供を連れて行ったというだけのことだろう。
 その映画のおそらく最後の方でどこかの国の軍隊が行進する映像が流され、「この戦車1台、飛行機1機を買う金を回すだけで、○○人(数は忘れた)の人々が飢えずにすむ」といったナレーションが流れた。私にとって最もショックだったのは、このナレーションであったような気がする。今日食べるものがない人々がおり、その近くで――距離的にすぐ近所かどうかは別として、同じ地球の上で――命を殺傷する道具に湯水のように金が使われているというおぞましさ。
 人間には彼の感覚や行動のベクトルを方向付ける原点のようなものがいくつもある。むろん私にもたくさんあり、これもそのひとつだと言っていい。武器を最頂点とする「生きるために必要でも何でもないもの(なくても一向にかまわないもの、場合によってはない方が絶対によいもの)」にのうのうと金を使うことに対して、私は後ろめたい感覚を持つようになった。むろんこの映画だけでそうなったわけではなく、他に様々な細かいことが重なって、いつの間にか……ということだろうれども。

 そして「生きるために必要でも何でもないもの」のひとつが、「過剰な食べ物」であったのだ。生命を維持するために必要最低限のものを食べていればいいのに、なぜ人々は旨いものを、それも腹がはち切れるほど食べたがるのか。いや、「人は」などと綺麗事を言っちゃいけない。なぜ私は旨いものを食べたがるのか。

 旨いものを食べることは「快」である、ということぐらいは理屈抜きでわかっていた。だが、その「快」はどういう種類のものなのかよくわからなかった。今だって(心理学等の専門家はきっちり説明してくれるけれども)本当にはわかっていない。本を読んでおもしろいとか、海で泳いで楽しいとか、好きな絵を観て満足するとか、久しぶりに友人と会えて嬉しいとか、……そういう快とどこが同じで、どこが違うのだろう。まったくのところ私には何もわかりはしないのだが、ひとつだけ確実に言えることがある。それは「食の快」(口腹の快)は代償行為になる、ということだ。失恋した時、職場でおもしろくないことがあった時等々に、いわゆる「やけ食い」する人は珍しくない。私の周囲にもいる。だが、「嫌なことがあったから」「イライラするから」やけくそで本をむちゃ読みするとか、やけくそで旅行する、といった人は少なくとも私は知らない(気分転換のために旅行するなどはあるけれども、やけ食いのような形とはちょっと違う)。「食の快」は、ひとの心に麻薬のように作用する。

 もうひとつ、食というのは生命維持と直結したものである。人権の保障において、食の保障は最低線のところにあるものだと言っていい(むろん他の権利を軽視しているわけではない)。そういうギリギリの保障さえおぼつかない人々がいるのに、それを快につなげるなんて恥ずかしいことだ、という思いもあったのかも知れない。

 なにやら自分の中で整理されていないことを脈絡なく吐きだしている感があって嫌になってくるが……つまるところ、私は食に対していささか禁欲的な子供であったようだ。どこかの家に言って豪華なケーキなど出されると、「こんなもの食べていいのか」(こんなものを食べて許されるのか、という感覚に近い)とオドオドし、勧められるままに頬張りながら、「美味しい」「もっと食べたい」と思う自分を恥じたりした。家でも豪勢な食事が食卓に並んだときは、「今日は誕生日だから(あるいはお正月だから、イトコが遊びに来ているから、など)特別なんだ」と呪文をとなえて箸をつけた。
 いわゆる「肉」にどうもなじめなかったのは、必要があって狩りをし、その獲物を食べるというならばともかく、食料にするためにわざわざ飼うってのはどうもなあ、やり過ぎじゃないの、食べられるために生まれてくる命って何なのだろう、と感じていたかららしい。その感覚はおかしい、矛盾が多い、という意見もあるだろう。私自身、決して正しいとは思っていない。米や麦などは、それこそ食べるために育てるのだから、偽善的と言われても反論の余地はない。だが、感覚というのは自分では最もコントロールしにくいものなのだ……困ったことに。魚介なら少しは積極的に食べられたのは、「捕獲したもの」という意識があったからだろう(本当は養殖の魚も結構多かったかも知れず、この辺がまた矛盾しているのだが)。
 
 そういう感覚が、今でも尾を引いている。小心な偽善者め、と自分自身の中で嘲笑する声もある。そんな時は昼食時に「今日は肉でも食べるか」と満を持してデニーズに入り……やっぱり、パンと「季節の野菜スープ」を頼んだりして。あは。
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