奈良の明日香村にキトラ古墳という古墳があります。
7世紀の後半から8世紀にかけて造られた古墳で、遺骸を安置した石室の天井に星座が描かれています。
当時の中国の思想に基づく星座で、星宿とも呼ばれ、西洋のものとくらべて、2~3個程度の少ない数で星座を形作ります。
同様のものは高松塚古墳にも描かれていますし、海外では高句麗や満州の古墳にも描かれています。
大陸からの渡来人が伝えたものでしょう。
当時の日本が、中国や朝鮮半島ときわめて密接な文化的交流があったコトの証明でもあります。
さて、昔むか~しのおハナシで恐縮ですが、星座にまつわる神話の類が大好きでした。
多くのの星座はギリシア神話を基にしたものですが、ムチャクチャでなかなかにおもしろい。
たとえば神への生贄にされるアンドロメダをペルセウスが救い、両者が星座になったのはよいが、ペルセウスが乗っていたペガサスや海獣を石にしたメデューサの首や、その海獣までが星座になる大盤振る舞いだ。
ギリシア神話の主神ゼウスのきまぐれや女癖の悪さ(たまには美少年も……ゼウスよ、お前には節操って言葉がないのか?)でひどいメにあう女性や子どもたちを、片っぱしから救済措置のように星座(はくちょう座とかふたご座とか)にしちゃうトコとか。
北斗七星を一部に持つおおぐま座は、ゼウスとの間に子どもをもうけたカリストが姿を変えたものです。
やたら俗っぽいハナシです。
ところがギリシア以外の各国では北極星を天の中心、そのまわりをめぐる北斗七星を天帝の乗り物とする中国や、「オーディンの車」とする北欧、「アーサー王の車」とする英国と、なんだかやたら乗り物って見方が主流のようです。
ちなみにフランスではソォス・パンに見たてているらしい。
う~ん、さすがだ……
さてそこで、北斗七星について中国に伝わるおもしろいハナシをひとつ。
* * *
時は唐の時代、玄宗皇帝の治世、開元(かいげん)の時。名高い僧一行(いちぎょう)上人は、天文や暦にも通じ、仙術をも修め、玄宗より「天師」という号を授けられていました。
ある日、一行を一人の老婆が訪ねてきて、
「私は王婆(王姓の婆さん)というものだが、息子が人殺しの罪で捕まってしまったので助けてほしい」
と頼みました。
一行も、以前世話になった姥の頼みなので助けてやりたかったのですが、
「法は私が口を利いても曲がらない」
と断りました。
老婆は一行を罵って帰っていきましたが、気になって仕方のない一行は、なにを思ったか大甕を据えさせ寺男に
「町はずれの路地の角に荒れはてた庭がある、そこへ出かけて隠れていなさい。昼から日の暮れ方までにやってきたものをこの袋で、ひとつのこらず捕えてきなさい。」
と云って大きな布袋をわたしました。
寺男はいいつけどおり荒れた庭で隠れていると、どこからともなく異様なもの音がしたので、これに頭から袋をかぶせ、引きずって寺に持ち帰りました。
一行は用意した大甕の中へ袋ごと押しこめて蓋をし、その上から泥封をしました。
次の日、玄宗から召喚の状があり、参内すると、
「天文博士が昨晩から北斗七星が消えたと申してきた。何事か」
と問われた。
一行は素知らぬ顔で、
「それは一大事。北斗七星が消えたとは聞いたことがございません。おそらく、無実の者が殺人の罪に 問われているのを天帝がお怒りになられているのでしょう」
と答えました。
玄宗はそのような者があるかを調べさせ、慌てて王婆の息子を解き放ちました。
その日から、一行は大甕の中から捕まえてきたものを一つづつ放してやると、中から出てきたものは七匹の豚でした。
七夜目にやっと、北斗が元通り夜空に輝いたのでした。
* * *
チベットでは天帝の車を曳くのは猪(豚)であったようです。
何らかの関係があるのかなぁ……?
それから、罪を犯したオトコが豚を食べなかったために、星から罪を赦されたってハナシもあります。
中国人にとって、豚は特別な食べ物だったようです。
アタマの先から尻尾の先まで食べるし、皮は浮き袋として使いました。
豚で利用できないトコは鳴き声だけだって諺も、あるぐらいですからねぇ。
……星のハナシはどこ行った?