Under the Sun -HOME-
2011-03-20T16:28:28+09:00
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プロジェクト ホーム
Excite Blog
警告どおり 計画どおり
http://utshome.exblog.jp/15687015/
2011-03-20T16:28:32+09:00
2011-03-20T16:28:28+09:00
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コラム
ミュージシャンがいくら警告を発したところで、原発利権で私腹を肥やして、たらふく美味いものを食い、綺麗なオネーチャン達を抱きまくってきた、地味なスーツに地味なネクタイを締めて、外面だけはマジメな公僕やマットウな企業人として、何食わぬ顔で日の当たる道を歩いてきた悪党どもが、そうやすやすと聞き入れるわけがないのだ。
バカでかい東京という魔都の電力を賄うために、目立った産業がなく窮乏している土地の人間にそっと小銭を握らせ、人類が発明した中で一番危険な「爆弾」を押し付けた。押し付けられた地元は弱い。一旦雀の涙のような小銭を握ってしまえば、もうそれは「自分達の安全、命」を売り渡したと同じなのだ。それでもそうやって小銭を握らざるをえなかった人々に対して、深い同情を覚える。国のやり方は、いつだって汚い。
『警告どおり 計画どおり』佐野元春
もう不確かじゃいられない
子供達が君に聞く
本当のことを知りたいだけ
ウインズケール
スリーマイルズ・アイランド
チェルノブイリ
すべては警告どおり
たよりなげなジャーナリズム
子供達が君に聞く
いつ?だれが?どこで?
知りたいだけ
ウインズケール
スリーマイルズ・アイランド
チェルノブイリ
すべては警告どおり
終わりは来ないと
つぶやきながら
眉をひそめてる君
クレイジーに傷ついて
どこにも帰れない
やがて滅びるまで何もせず
ただおとなしく見つめてるだけさ
もう不確かじゃいられない
子供達が君に聞く
本当のことを知りたいだけ
ウインズケール
スリーマイルズ・アイランド
チェルノブイリ
すべては計画どおり
今回の大震災を受けて、佐野元春は3/13にひとつの詩を発表した。ファンの間でも賛否両論ある。私も最初読んだ時には「これはちょっとショックが強過ぎるのではないか」と感じた。
しかし時間が過ぎるにしたがって、佐野の伝えたいことの本質が見えてくるようになった。
その詩を引用してみる。
それを「希望」と名づけよう
佐野元春
街が揺れた夜、君はひとり無断で、
市営プールに潜りこみ、身体を水に浸した
そして暗がりの中、瞑想した
人は時に、光に水に、雨に風に、感謝し、
人は時に、光に水に、雨に風に、屈服する
この闇の向こうに震えるのは
誰か、嘆きの声
同胞の不在は確かに不可解だ
それはそうだ
しかしどうだろう
君は偽善の涙など流さないと誓ってくれ
決まりきったお悔やみなど無用だと言ってくれ
夜が明けて、そこにいつもどおりの太陽が照り、
草木は首をもたげ、
鳥たちは空を往く
あぁ、美しくも残酷なクリシェ!
一方で、
君の身体の細胞ひとつひとつに染みいる光はどうだ
傷だらけではあるが依然雄々しいその筋肉はどうだ
そうさ、君は同胞の不在を気にかけているんだろうが、
たとえば、
偶然にも生き残った君の生を讃えてみてはどうだ?
たとえば、
生き残ったことへの幸運を噛みしめてみてはどうだ?
不謹慎だとわめく偽善者を後に残し
君が光を放つことで、友を弔うんだ
それを「希望」と名づけていいんだよ
余震は続く
-----
2011年 誕生日に寄せて
mixiの佐野元春コミュニティにこの詩について感想を述べる場があり、随分時間が経ってから、以下のような私の拙い感想を書いた。
もう何年も、今の時代がその懐に抱える「切実な希望」ということに頭をめぐらしていて、やっとそれについて小説みたいなものを書き始めた矢先に、今回の大惨事が起きた。もう日本社会の前提が変わってしまい、国民の誰もがこの事態に立ち向かわなければならなくなった今、私のちっぽけな妄想はなんの役にも立たなくなった。
元春が、希望について書いてくれた。最初に読んだ時は正直キツかった。
でも友人達の安否を確認して、少し落ち着いて読み直すと、とてもいい詩に思えてきた。
生きていること、そのこと自体を「希望」と呼んでいいのか。
そうか、それ以外に希望なんてないのか、と目の覚める思いがした。
こんなmixiでカキコミができる私達は、この「希望」を、一人でも多くの被災者に伝えなければならないのかな、などと考えた。
今なら言える。この詩が好きだ。
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と『希望の国のエクソダス』という小説で村上龍は中学生に語らせた。私もこの国はおろか私自身についての希望についてさえ、考えが及ばなかったというか、絶望していた。日々寝起きしながら、酒など飲みながら、希望となりうる何かを見つけられないままに、時が過ぎていった。飽食でモノ余りな社会の中で、ヒリヒリするほどに求める「切実な何か」を見失っていた。
今、こんな事態になって、冷たい床の上で命の危機にさらされながら、切実に救助や救援物資を待っている人が何十万といる。彼らにとって物資の到着は間違いなく「希望」だろう。もう無理かもしれないが、元の暮らしに戻れることが一番の希望だろう。極寒の避難所で生まれた赤ちゃんは、日本中の人間に希望を与えてくれた。
「希望だけがなかった国」が、「希望なしでは存続の危うい国」になってしまった。日本社会の前提条件が完全に変わってしまった。
これから日本は全力で希望を紡いでいかなければならない。希望をたすきリレーしていかなくてはいけない。
まず、命があること。これが「希望」なんだと佐野元春は教えてくれた。生きて、光を放つこと。
そう、ここから始めるしかない。
ひとつひとつの小さな命の灯を集めて、また国中が笑顔であふれるような国にするために、長く険しい闘いを闘い抜こう。
私も私の命をめいっぱい咲かせて、誰かの希望になりたい。困っている人達の力になりたい。
みんなで、もう一度日本を蘇らせよう。私達の力で、それは可能なはずだ。
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この世界を、愛せるか、どうか
http://utshome.exblog.jp/14728416/
2010-10-05T06:39:15+09:00
2010-10-05T06:39:14+09:00
2010-10-05T06:39:14+09:00
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未分類
しょうがないので祇園に飲みに出た。
アフターを付き合ってくれた23歳のサキちゃんと、夜明け前の鴨川べりに座って話す。私が若い女の子に話せるようなことなんてないのだが、朝まで飲んでしまったせいか、つまらない説教臭いことを言ってしまう。いわく「人生はこの鴨川の流れのように流れていくものだから、あんまり真面目に構えてもしょうがないよ。いくら背伸びしても、人間自分に出来ることしか出来ないから」と。ほんとヘドが出るようなセリフだが、23歳の乙女を前にして言えることはそれくらいのものだった。情けない36歳だな。
結局真摯な彼女の瞳の力に気圧されそうになりながら思ったのは、「この生まれ落ちた世界を愛せるかどうかだよなぁ」ということ。陳腐なセリフだけど、私はこの世で信頼するに足る価値観は「愛」以外にないと思っているし、ジョン・レノンが『イマジン』で描いた世界観をまだ無邪気に信じている。世界はまだよくなると思っている。
チアキには今夜もまた「愛」を語ってしまったが、後悔はしていないし、チアキには人類史上未だ誰も到達したことがない「愛の地平」を私が見せてやる、そのためにだったら何だってする、と固く心に誓っている。
乙女の、まるで熟れたてのトマトのように傷つきやすい感受性を目の前にすると、自分の無力さとともに「私も年を取ったなぁ」と嫌でも思い知らされる。出来うれば、彼女達の繊細な魂が、何物にも傷つけられない世の中に・・・、と甲斐のない祈りを何処にいるかわからない神様に捧げる。
人は、人を、いつまで殺し続けるのだろう?何故この生まれ落ちた世界を愛せないのだろう?
朝日の中を走るJR嵯峨嵐山線の電車に乗りながら、そんなことを考えた。
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夏草の詩~ウォーキング・マン~
http://utshome.exblog.jp/14331041/
2010-08-04T15:34:28+09:00
2010-08-04T15:34:28+09:00
2010-08-04T15:34:28+09:00
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コラム
おまえはいつまで歩き続けるんだい?
ひとりうつむいてあてどなく歩き続けるおまえは
まるでシシューポスになったかのような気分で
この真夏の照りつける陽射しを恨めしく思っているのかもしれない
おまえにはいくらだって足を止めるチャンスがあったし
涼しい木陰に身を横たえることもできた
沢に下りて冷たい清水で喉を潤すことも
ひょっとしたら通りすがりの貧しい村の娘と甘い夜を過ごすこともできたかもしれない
おまえはいつまで歩き続けるんだい?
カリカリに焼いたベーコンにマスタードをたっぷり塗った朝食に見向きもせず
鼻先をかすめるキューバ産の上等な葉巻の甘い香りに目を瞑り
新鮮な魚の血の色をした心浮き立たせるワインを拒絶して
いたずらに森の妖精に関する知識だけをつめこんだおまえのあたまは
この世の中じゃなんの役にも立ちゃしない
おまえに必要なのはチェーンソーとノミと腕のいい師匠だと
口うるさく言っていた年老いた母親を捨てて おまえは歩き出してしまった
おまえはいつまで歩き続けるんだい?
もうこの国の森はしらみつぶしに歩いただろう?
幾日も幾日も森の中を彷徨って 月の光の射さない森の中で目をこらして
でもいくら歩いたって いくら祈ったって 妖精なんか見つかりはしなかっただろう?
おまえもいつまでも若くはないし この国の森も次々と砂漠になってゆく
おまえのことは誰も知らないし おまえも誰のことも知らない
おまえはカネの稼ぎ方を知らないし 妖精の存在を証明する仕方さえ知らない
じゃあ一体おまえはなにを知っているというんだ?
わからないから歩いているのか 歩いているからわからないのか
少なくともおまえは女の肌のなめらかさを知るべきだったし
焼きたての香ばしいパンの匂いを嗅ぐべきだったし
妖精ではなく人間に興味を持つべきだった この愚かで愛らしい存在について思索するべきだった
もうおまえも知っているはずだ
この線路脇の小路をいくら歩いたところで おまえの目指すべき森は存在しないと
でもおまえには歩みを止める勇気がない 遮二無二女の元へ駆け寄る勇気がない
言葉をもたないおまえは まるでその地べたを這う蟻のように 黙って歩き続ける以外に術がない
おまえはもう心のどこかで この孤独な救いようのないウォーキングの終わりを待ちわびている
唐突にそれが終わってくれることを 妖精をその目で見ることよりも欲している
空も雲も太陽もおまえに語りかけることはない
ただおまえをじりじりと焦がし 人気のない小路におまえの小さな影を作るだけである
遠くで列車の汽笛が聞こえる
でもおまえはそれに乗り込むことをしないだろう
おまえはまた影を引きずって歩き出す
ただ夏草が風に揺れている
もしこの国の妖精の弔いをすることがあるならば
おまえにはその司祭を務める資格はあると思うが
そんな機会が訪れることはないだろう
この国の人間は誰も妖精になど興味はない
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詮無い呟き(玄耕庵日乗)
http://utshome.exblog.jp/14153803/
2010-07-09T16:56:47+09:00
2010-07-09T16:56:47+09:00
2010-07-09T16:56:47+09:00
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コラム
無知で尊大な経営陣による21世紀のインパール作戦
どんな組織も無能な上層部に苛まれるものだが
今回のケースは想定外に酷すぎる
ハッキリ言って物流をナメている
「なんでこんなに不様なの?馬鹿なの?死ぬの?」
期日遅れで腐り果てたお中元のナマモノを届けられる客も災難だが
荷捌き場も確保出来ずデスマーチを踊らされている倉庫の作業員達
クレームの電話を引っ切りなしに受ける臨時雇いのお嬢ちゃん達
全国津々浦々「不慣れな」深夜の住宅街で面罵される配達員達
彼ら彼女らに会社は何をもって報いるのか
この笑い話のような杜撰な事業統合にケリをつけるのか
しかしこんな大失態を演じた経営陣を糾弾することもなく
この会社の組合は選挙活動に血道を上げている
コイズミの断行した郵政民営化には反対だったが
こんな腐った組織は社会から排除してしまえとも思う
バイトや非正規社員の上で胡座をかいて甘い汁を啜っている天下り官僚に
物流の、世の中の何がわかるというのか
この国は変わらない
ますます酷くなるばかりだ
久々の庶民宰相は消費税増税に必死だし
断固として闘う野党も不在
昨年から国民の期待を次々と無惨に踏みにじった民主党政権は
この国の民主主義に大きな禍根を残した
マニュフェストは「生き物」だそうである
ナメてんのか ]]>
異空間から批判
http://utshome.exblog.jp/13735174/
2010-05-17T23:05:32+09:00
2010-05-17T23:05:32+09:00
2010-05-17T23:05:32+09:00
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コラム
特別史跡「登呂遺跡」のある登呂公園(静岡市駿河区)で復元住居を壊したとして、県警静岡南署は17日、器物損壊容疑で、同市の14歳の男子中学生3人を書類送検、器物損壊の非行事実で、同市の13歳の男子中学生を児童相談所に通告した。
送検容疑などによると、4人は1月7日午後11時半ごろ、登呂公園で復元住居の屋根に上り、屋根の材料に使っているアシを引き抜くなどして、復元住居を損壊した疑い。
同署によると、いずれも容疑を認め「(引き抜いた)アシでチャンバラをしようと思った」と供述している。近隣住民から「子供が復元住居を壊している」という110番があり、発覚した。
5月17日13時26分配信 時事通信
* * *
時事通信のやほ~のこのにうすでさ、コメントついてたんだけど、大爆笑でございました。
「日教組が悪い」とか「ゆとり教育が悪い」とか「子ども手当てをこんなヤツにやるのか!」とかさ。
いや~すげぇ、すげぇ。
どんなにうすからでも、まるで異空間から刀を取り出すかのような、ミンス関連の批判?
ケタはずれのバカさ加減ですな。
そんなアホガキのコトなんざ、しかって終わりレベルだろ。
紀元前から馬に喰わせるほどおったわ、そんなアホ。
第一、復元住居を「貴重な文化財!」なんて、あ~こーゆーコってさ、今まで文化財なんかコレっぽっちも大事に思ったコト、ないんだろうなぁ(職人の技術はともかくとして、ソレだって、当時のモノではない。猿にだってわかるコトである)。
ミンス批判のために、今までの人生で一度として大事に想ったコトもない文化財を引き合いに出すなよ。
ボクはそんな中学生より、そーゆー輩の方がはるかに心配だ。
いやホント、アタマ大丈夫?
この記事書いたしと→『逍遥録―衒学城奇譚―』発掘屋]]>
異空間から批判
http://utshome.exblog.jp/13735176/
2010-05-17T23:05:00+09:00
2010-05-17T23:09:08+09:00
2010-05-17T23:05:33+09:00
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コラム
特別史跡「登呂遺跡」のある登呂公園(静岡市駿河区)で復元住居を壊したとして、県警静岡南署は17日、器物損壊容疑で、同市の14歳の男子中学生3人を書類送検、器物損壊の非行事実で、同市の13歳の男子中学生を児童相談所に通告した。
送検容疑などによると、4人は1月7日午後11時半ごろ、登呂公園で復元住居の屋根に上り、屋根の材料に使っているアシを引き抜くなどして、復元住居を損壊した疑い。
同署によると、いずれも容疑を認め「(引き抜いた)アシでチャンバラをしようと思った」と供述している。近隣住民から「子供が復元住居を壊している」という110番があり、発覚した。
5月17日13時26分配信 時事通信
* * *
時事通信のやほ~のこのにうすでさ、コメントついてたんだけど、大爆笑でございました。
「日教組が悪い」とか「ゆとり教育が悪い」とか「子ども手当てをこんなヤツにやるのか!」とかさ。
いや~すげぇ、すげぇ。
どんなにうすからでも、まるで異空間から刀を取り出すかのような、ミンス関連の批判?
ケタはずれのバカさ加減ですな。
そんなアホガキのコトなんざ、しかって終わりレベルだろ。
紀元前から馬に喰わせるほどおったわ、そんなアホ。
第一、復元住居を「貴重な文化財!」なんて、あ~こーゆーコってさ、今まで文化財なんかコレっぽっちも大事に思ったコト、ないんだろうなぁ(職人の技術はともかくとして、ソレだって、当時のモノではない。猿にだってわかるコトである)。
ミンス批判のために、今までの人生で一度として大事に想ったコトもない文化財を引き合いに出すなよ。
ボクはそんな中学生より、そーゆー輩の方がはるかに心配だ。
いやホント、アタマ大丈夫?
この記事書いたしと→『逍遥録―衒学城奇譚―』発掘屋]]>
見識のねじれ現象、コレも政権交代のひとつの結果か?
http://utshome.exblog.jp/13494805/
2010-04-22T00:25:00+09:00
2010-04-22T00:29:17+09:00
2010-04-22T00:25:30+09:00
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コラム
先日、徳之島で基地移設反対の集会がおこなわれ、なんと1万5千人ものヒトが集まったそうです。
うむ、結構なコトである。
云うだけではダメ。
ちゃんと行動するコトこそが大事だ……と思ったんですがねぇ……
メディアなどはコレを以って、いかに徳之島のヒトたちが、いかにも「基地NO!」と主張しているように報道していましたが、何かおかしい、何か違和感を感じる。
ちょっと待ってもらいたい。
日本人ってさ、そんなに基地に関心高かったかい?
ウソだろ、オイ。
そもそも本土の人間に、沖縄の基地を自分たちで負担してやる意識などゼロである。
「米軍、危ないね~」とか「沖縄のヒトはガマンさせられてるんだね~」などと云いながら、その実、他人事なのです。
沖縄のヒトたちが大変だから、自分トコの街で受け入れてあげようなんて考える者はいない。
だって何かあったらこまるじゃん。
「日米同盟のために必要」とか「中共が攻めてきたら恐いぢゃないか!」とか云う連中だって、沖縄に米軍の基地が集中するコトには何の疑問も持たない。
「米軍NO!」を叫ぶ左派も、「アイコク、アイコク!」と叫ぶアイコクシャも同様です。
結局、本土の者にとって、沖縄がひとりでワリ喰ってもらっといてもらいたいの。
基地問題なんて、社交儀礼程度に外野で騒ぐぐらいで充分。
だから今まで見てみぬふり。
ところが政権交代して、普天間の移設問題を急にメディアが取りあげはじめた。
前の政権では知らんふりで、事故やら犯罪やらあった時ぐらい、ちょいちょいと申し訳程度に記事書いて「何とかなりませんかねぇ」
それでオワリ。
夏休みの読書感想文かってぇの。
アレ、完全に前政権の負の遺産じゃん。
そのころはろくすっぽ解決するつもりなんぞなくって、ソレをメディアがどこまで追求した?
それなのに、今になってあやしげな大合唱。
「どーする、どーする」とか云ってさ、何か今まで棚上げにしといた問題の埃をはらって、急に騒ぎ出した。
ボクの気が(記憶です、オッサン)が正しければ、確か政府は徳之島なんてひとことも云っていないはず。
それがメディアが徳之島なんて勝手に決めつけて、いつの間にか、まるで政府がソコに決定したかのような報道ぶりだ。
う~ん、コレってどうなのさ?
コレまでメディアは、たとえ口先だけでも「沖縄の負担を減らすべきだ~」なんて云ってたよね?
(ま、少なくとも「沖縄人、ガマンしたまえ」とはたとえホンネであっても云えやせんわな)
今その主張どおり、沖縄の基が県外移設ってハナシになってるよ。
い~じゃん。
自分たちの主張どおりじゃん。
「日本人みんなで考えていこーぜ!」って国民意識を喚起させるのが、メディアのやるべきコトじゃね?
ところがいざ移設ってコトになったら、アレはダメ、コレはダメ、挙句には「いついつまでに解決できなかったら解散だッー!」とか、何勝手なコト云ってんのってカンジだ。
で、もっとオカシイのが、まぁその何だ……なんて説明していいかわかんないアレな連中。
コイツら、今までだったらたとえば「米軍NO!」の集会なんて見たら、脊髄反射で「反日だー、売国奴だー、ニッキョーソだー、ジチローだ!」ってえくすたし~を感じてらしたのに、徳之島の件に関しちゃ「コレが民意だ、ミンス政権にNO!をつきつけたんだ!」って、急に擁護。
ま、確かにあの小さな島で1万5千人はあまりに多すぎるから、おそらく外部からの“参加”はあったと思う。
防衛庁高級官僚だったタモやんも、かつて広島だったかの平和集会で「全部動員されてる。地元の者はいない」とかおっしゃって、またソレを、アレなヒトたちが擁護してたもんね。
コイツら自公与党時代のハナシだったら、絶対「工作員が動員されて、地元の意向を無視して反対運動してやがる、プロ市民だ!」なんて云ってたよ。
自分は安全な場所にいて、基地のコトなんて、沖縄のコトなんて、考えたことすらないくせにね。
コレまでだったら、日米同盟だの東アジアの平和だのを盾に、沖縄県民にガマンしろって押しつけてたくせにね。
何、いまさら地元の住民の立場になってるつもりよ。
別に徳之島の住民のためでなくって、ソレをミンス攻撃にすりかえる。
自分たちがキライな政権を攻撃するためなら、ころりとコレまでの見識を方向転換。
方法と目的とが完全にねじれてしまって、ソレすら気がついていない。
うわ~コイツらの見識のアクロバットに、めまいすらするヨ。
ホント、あざといっつーか、醜いっつーか。
ホントおもしろいと思う。
政権交代によって、今までのミギがヒダリに、ヒダリがミギに。
立ち位置を変えただけのドロの投げ合い。
茶番だね。
ま、こんだけ国内で反対運動がおきれば、基地は国外に移設するしかないんじゃないの?
左派は元々そうだったし、アイコクシャ諸君もコレだけ非難してるんだからさ。
仕方ないよね。
米国だって、地元の諒解を優先するって云ってるし、そもそもグアムへ完全移転するハナシを、ムリヤリひきとめたのは、かつての政権だったからね。
「すんません、コレだけ反対されては国内に移設はムリだわ。やっぱ出てってよ」ってキッパリと云えるんじゃ?
ま、どーしてもって云うんなら、国民投票してさ、日米同盟がすんげぇ大事って意見が一番多かった都道府県にすりゃいーんじゃね?
ある意味、コレほど民主的なやり方はないぜい。
……そんな時に限って、そーゆーコト云うヤツ、沈黙すんだよな、絶対。
書いたしと→『逍遥録―衒学城奇譚―』発掘屋
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理想ということについてマジメに考える
http://utshome.exblog.jp/13110224/
2010-03-15T21:26:41+09:00
2010-03-15T21:26:41+09:00
2010-03-15T21:26:41+09:00
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未分類
私がまだ母なる島で漫然と学校生活を送っていた頃、世の中は東西冷戦をベースとした55年体制が強固な政治体制、価値観として健在であり、右は右なりの、左は左なりの主張を飽くことなく繰り返していた。身近には熱血漢の社会科教師が生徒の世界観を日教組のそれと齟齬をきたさぬよう懸命であったし、学校生活を離れれば、ガチガチの自民党支持者の祖父様と、全共闘世代の親父様が、事あるごとに意見を戦わせていた。今の私が考えるに、多分当時の彼らには、「こうあるべき」という社会の理想像が頭にあったと思うのである。たとえそれが『文藝春秋』や『世界』の受け売りであったとしても。
2000年代も早10年が経ち、2010年になった。「ミレニアム」と浮かれていたあの日からもう10年が経ったのである。「理想の在り方」はどうか。子供の頃に夢見ていた21世紀の暮らしはどうか。
テレビをつければまず「エコ、エコ」の大合唱が聞こえる。新しい家電や車を買うことが何故エコで、政府が補助金まで出すのか、私の頭では皆目理解出来ないが、要は資本主義の主な運動である「大量生産・大量消費」を大前提として、21世紀の今も社会は駆動しているということだ。ここにあるのは、「売上を上げたい欲」と「安く手に入れたい欲」だけで、理想はない。確かにハイブリットなど小さな理想の具象化はなされているかもしれないが、社会変革に繋がるような「理想」は、かけらもない。
ともすれば、幼い私の目には「理想」と映っていたものが実は「理想」ではなかったという、残念な夢オチの結末のような砂を噛むような心地を覚える。
日本が世界の表舞台に立ったのは85年のプラザ合意である。日本円は一気に強くなり、貿易赤字に苦しむアメリカは日本製品を締め出し、「内需拡大」と外圧をかけてきた。カネ余りの日本は猫の額ほどの土地をどんどん買った。土地の値段はあっという間にうなぎ登りに上がった。ピカソの絵もゴッホの絵も買った。エンパイアステートビルも買った。ハリウッドの映画会社も買った。買って買って買いまくった。日本の田舎には立派な庁舎を作らせた。空港を作らせた。高速道路を作らせた。簡保の宿もリゾートホテル並のをバンバン作らせた。あまつさえ各自治体に1億円も配った。
ここまで書いてきて、プラザ合意以降の日本に「理想」があったかと問われたら、私は答に窮する。やっぱり昔から日本には「理想」などなかったのか?
そしてそれをより決定づけたのが、ベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の集結である。鉄のカーテンで見えなかった向こう側の暮らしぶりを見るにつけ、「西側でよかった」と安堵する人々。そしてカーテンの向こうに「理想」を見出だしていた人々の落胆・・・。これにてか細いながらも残っていた日本の左側の「理想」は断ち切れた。
その後のバブル崩壊は、必然だった。土地転がしが永遠に続くはずがない。ジュリアナ東京で踊っていたワンレン・ボディコンのお姉さんをこの目で見たことはないが、ジュリアナの次に流行ったのは安価なモツ鍋という報道を聞いて、当時高校生だった私は呆れた。「大人ってホントに馬鹿じゃなかろうか」と思った。
住専の問題からいよいよ日本はズブズブの金融溶解の時代へと入ってゆく。日本全国そこらじゅうに焦げ付いた不良債権が転がっており、処理するごとに血税が投入され、体力のなくなった銀行は合併を繰り返し、その都度血税を投入し、異様なまでのメガバンクとなった。今素知らぬ顔して仕事している銀行マンには生卵くらいではすまないものを投げつけてやりたいが、この当時の銀行救済においても「貸し渋り・貸し剥がし対策」というお題目はあったものの、結局メガバンクが焼け太りしただけで、投入された血税が庶民のためになったとは言えない。ここにも「理想」はなかった。あったのは「銀行の国際競争力の強化」それだけであった。
理想はなくてもカネさえあれば生きていけるかもしれない。そのカネさえその日一日を購うのに潤沢な量を確保することが難しい。年間所得が200万円を切るのがザラな世の中だ。私は思う。これは「理想」を追求することを放棄し続けて、ダラダラとテレビなんぞ見ていたからこそ、ここまでじり貧になり、生活出来なくなるまで追い込まれたのではないかと。
やっぱり「生活」は闘争なのだと。明文化された権利を主張することすら憚られるこの「KY」なんぞというケッタクソ悪い言葉が、空気が支配するこの2010年日本で、高らかに「理想」を謳い上げて、背筋を伸ばして、天に唾して生きていくのが真っ当な生き方だろうと。
理想を語ろう。別に荒唐無稽でも何でもいい。理想を語ろう。どんな国になら住んでやっても良いと思えるか。各個人が、この人生で何を大事にして生きていくか。理想を語ろう。
理想を語ろう。落胆することはもう飽きた。少々のことなら耐性がついてる。人の足を引っ張る奴が必ず出てくることも知っている。その対処も知っている。
そんなことどもはうっちゃっておいて、理想を語ろう。
ジョン・レノンは言った「オイラは夢見るユメコちゃん。でも一人じゃない」
理想を語ろう。理想を語ろう。理想を語ろう。
]]>
Many Rivers To Cross
http://utshome.exblog.jp/12625154/
2010-01-07T22:05:00+09:00
2010-01-07T22:16:41+09:00
2010-01-07T22:06:00+09:00
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コラム
生仏様45体
http://utshome.exblog.jp/12619585/
2010-01-06T22:30:33+09:00
2010-01-06T22:30:34+09:00
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未分類
そんな正月明け、今週から一般病院のターミナルケア病棟のケアワーカーとして働き始めた。
三日勤務して、ウンコ・シッコの世話はなんとか慣れてきた。汚いのは汚いし、臭いのも臭いが、そうはいっても出るものはしかたがない。しかし今日の社食がカレーライスであったのはちょっと閉口したが。
病棟には45人の患者さんがいる。皆さんそれぞれ今までの人生があり、現時点ではこの病棟で生活されている方である。この病棟で生を終わられる方が多数なのかもしれないが。脳梗塞を患っている患者さんが多く、認知症患者のように徘徊されたりはしないので、ある意味介護しやすいともいえるかもしれないが、やっぱり一人一人個性も症状も違うので、大変な仕事であるとは思う。
意思の疎通が図れる患者さんは本当に数えるほどで、あとは皆さん寝たきり状態である。そんな皆さんのお顔をおしぼりで拭いて差し上げるのだが、その時は何故か心が休まる。仏様の御本尊を拭いて差し上げている気になる。亡くなった私のじいちゃんやばあちゃんに、せめて一度でもこんなことをしてあげることが出来たらよかったのになぁ、と後悔しながら、縁もゆかりもない患者の顔を拭いてゆくのである。
もちろん、飯を食わせたり、便の始末したり、風呂に入れて体擦ったり、正直汚い仕事ばかりだが、今まで35年間散々悪業を重ねて来たので、この程度は罪滅ぼしとして甘んじて受け入れなくてはいけないのかなあ、と観念もしている。
この仕事を続けていくのかはまだわからない。とりあえず、一日、一日、と思ってがんばるしかない。今の私にはそれしか出来ないから。
文末になりましたが、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
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ブログ五周年
http://utshome.exblog.jp/12364550/
2009-11-23T08:12:52+09:00
2009-11-23T08:12:53+09:00
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未分類
http://genkoan2.blog89.fc2.com/
今日でブログを始めて五周年である。勤労感謝の日にブログを始めるという不埒な事をしたのが、もう五年も前なのである。
この間に体重は20kg増減し、大津〜新居浜〜亀岡と二度引越しをし、仕事を二つ辞め、精神科のクリニックを三つ転院し、いまだに双極性障害に悩まされ、無駄に五つ年を取った。
この五年間を一言で言い表すとするならば、『最悪』である。こんな三十代前半を送るとは、夢にも思っていなかった。病気は二年ほどで良くなり、またバリバリ働けるものと思っていた。
しかし環境要因も悪くなる一方で、私個人の力だけではいかんともしがたい社会状況にあり、いまだに浮上することが出来ない。一体全体、何処まで続くぬかるみぞ。
この五年間は、小泉〜安倍〜福田〜麻生〜鳩山と続く政権だが、自公政権時代は本当に悲惨だった。思い出したくもない。現在の鳩山政権も私はあまり評価していない。特に「事業仕分け」なぞというものは受け入れがたい。人民裁判のようであり、ファショの臭いがプンプンする。対米従属路線も従来通り。「政権交代」がなっても、この根腐れた2009年の日本においては、どれほどの意味もなかったということだろう。
テレビは相変わらず質の悪い笑いしか提供出来ず、コマーシャルは「エコ、エコ」の大合唱で、貧困問題は真面目に論じられず、自殺者はいっかな減らない。
何処に希望を見出だせばいいのか。この五年で病んだ精神に貼付くようにして残っていた心もとない希望を、まるで全てこそげ落とすようにして日は過ぎ去り、寒々と残ったのは空疎なオバマの支持率とノーベル平和賞くらいのものである。いや、こんなものは希望とは言えない。オバマの支持率は急降下しているし、ノーベル賞も地に落ちたことを立証しただけだ。
不安の時代である。誰も先が見通せない中、借金の残高だけが刻々と増えてゆく。「希望は戦争」と言い切った同年代の論者がいるが、その誘惑に負けてしまいそうになるほど、今の世界には希望がない。
そんな中で、私はこれから介護ビジネスで飯を喰っていこうとしている。介護に希望なぞはありえない。日々、生きていくことの空しさと難しさに直面しながら、命を長らえさせなくてはならない。己の命を尊重出来ない者が、他者の命を尊重出来るのか疑問だが、それでもやらざるをえない。なんでこんなところにまで追い込まれたのか?天に唾したい気持ちだ。
五年、一口で言うのは簡単だが、一体私はこの駄文を五年も紡ぐのに、どれほどの時間と労力を費やしてきたのだろう。誰からも顧みられず、問わず語りに語ってきた文章は、結構な量になる。趣味の一環と言えば聞こえはいいが、ブログとは私にとって本当は、怨嗟の、呪詛の、腐臭漂う言葉のドブのようなものだ。そんなものを好んで読んでくれる奇特な人などいるわけもなく、私の溜息は時代の風に抗うことも出来ず、人知れず、ゴミ焼却場でメタンの青い炎をちろちろさせるのが関の山なのだ。
そうは言いながら、またこれからも駄文を綴ってしまうだろう。ブログを書くことは、もう私にとっては呼吸すると同じだ。生きているかぎり、ブログを書くだろう。何の役にも立たないが、役に立つばかりがいいことでもないだろうと、開き直って書いてゆく。
今後とも『玄耕庵日乗』、より一層の御愛顧を、よろしくお願い申し上げます。
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一香女先生への手紙
http://utshome.exblog.jp/12220956/
2009-10-30T12:10:00+09:00
2009-10-30T12:13:19+09:00
2009-10-30T12:10:27+09:00
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コラム
近頃は携帯電話のメールばかりで手紙を書くことなど滅多にありませんが、先日のお礼を申し上げたく筆を取った次第です。筆不精が何年ぶりかで書きます故、字も汚くお読み辛いかと思いますが、ご勘弁下さいませ。
先生から頂いた『子規山脈~師弟交友録』を楽しく拝読させて頂いております。私は今年で35歳になりましたが、その年にはもう子規は亡くなっていたのだな、とあらためて子規の成し遂げた仕事の大きさに感服するばかりです。また学生時代に読み耽っていた夏目漱石や司馬遼太郎の作品などに思いを馳せながら読ませて頂いております。明治とはたかだか100年前にしかすぎないのに、今からは想像も出来ぬほどの時代格差を感じております。そして気骨ある明治人の生き様に憧れも致します。
先生に揮毫頂いた「玄耕」の文字ですが、実を申しますと拙宅の庵号でございます。生意気にも庵号など考えて自分なりに気に入って暮らしてはいるのですが、私漢籍にまったくもって疎い故、先生が「こういう字は知らない」とおっしゃられた時には顔から火が出るほど恥ずかしかったのです。でも無理な注文にも関わらず素敵な字を書いて下さり、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。家宝に致します。ちなみに拙庵のことを「玄耕庵」と呼び一人悦に入っておる次第です。
私俳句も少しばかりやるのですが、人様にお見せするようなものが出来ない故何処にも発表などしたことがないのですが、折角子規の本も頂いたので、駄句をいくつか紹介させて頂きます。ちなみに「素楽」というのが私の俳号です。
(今年の中秋の名月に作った三句)
よい月を背中を抱いてくれる人
名月を愛でるそぶりで君の香を
酔い醒めて月かげ踏み締めて歩く
(4年前、紅葉を愛でに行った嵯峨野・常寂光寺での一句)
寂寞と風に流るる紅葉かな
人様にお見せしたことがないので、自分では上手いのか下手なのかもわかりませんが、こんなものをたまに作っております。よく鑑賞するのは種田山頭火の句なので、たまに自由律句のようなものも作ります。伊予松山で没した山頭火の生き様にも憧れるところもあります。少々破天荒過ぎますが。
介護の仕事を志した本当の理由は、自分の理想どおりのグループホームを運営してみたいと思ったからです。自分の運営するグループホームで、仲の良い学生時代の友人達に入居して貰って、終の棲家として共に楽しく暮らすというのが私の夢です。
命の尊厳や憲法25条の理念を具現化するのは福祉・介護の現場においてだと思います。そのことをいつも心に忘れずにいたいと思っております。
ヘルパーのミキ様には、二日間の研修で大変お世話になりました。またお顔を見られる機会がございましたら、よろしくとお伝え下さいませ。
これからどんどん日も短くなり寒くなってまいります。くれぐれもお体にお気をつけあそばれますよう、先生のご健康を心よりお祈り申し上げます。
素楽拝]]>
まもなく……
http://utshome.exblog.jp/11824389/
2009-08-28T23:40:00+09:00
2009-08-29T19:10:08+09:00
2009-08-28T23:40:54+09:00
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コラム
『逍遥録―衒学城奇譚―』の発掘屋です。
コチラでの更新はお久しぶり。
のんびりしているうちに、もう衆院選を直後に控えております。
想えば、郵政選挙と銘打たれ、自公与党とメディアにより、本来の政策や国民の生活をまったく置き去りにしたお祭騒ぎが演出された前回の衆院選から、ほぼ4年が経過したことになります。
みなさんもご存知のように、その選挙により自公与党は3分の2以上の議席を獲得しました。
さて、そしてこの夏。
今回の選挙はどうやら民主党に“風”が、それもとてつもない“大風”が吹くであろうというのが大勢の見方のようですね。
おそらく、民主を中心とした政権が、この国に誕生します。
一方で小政党は埋没し、存在意義がなくなる恐れがあります。
いわゆる二大政党制の嚆矢となるのかもしれません。
今ボクらは、ある種の興奮の中にいると云えるでしょう。
ですが、ボクはそれに非常に危ういモノを感じます。
感情は、ひとときの興奮時をぬければ、急に冷めていくものです。
民主政権になった途端、日本の景気が回復するなど夢物語です。
政治には時間がかかります。
特効薬はありません。
ましてや自公与党の手によって、破壊されつくした日本のシステムを、再び正常な軌道に乗せるのには、とんでもない時間と気の遠くなるような根気が必要です。
興奮の中で支持した者たちに、ソレが待てるのか、我慢できるのか?
庶民は決してバカではありません。
今回は解散、解散と云われてから長い時間がありました。
その間、いえ前回の選挙から、検証する時間は充分ありました。
その上での判断が下されるのです。
ですが、そのような冷静な判断とは別に、民主が大勝するという浮ついた雰囲気ができあがってしまっているコトも、また事実です。
この4年間は、この国が今後どのように進むべきかをじっくり考える貴重な時間であったはずです。
しかしその実態は、浮ついたお祭騒ぎ、お祭騒ぎ、お祭騒ぎ……
郵政選挙の結果、どのような国となったか?
庶民にどのような利益を与え、また不利益を与えたか?
自公与党のこれまでの政策は正しかったか、これからの政策は庶民に幸福をもたらすものか?
民主の政策は庶民のためになるのか?
自公がダメだから、自公にお灸をすえなければ、そんな理由で民主を支持してよいのか?
どの政党が一番庶民のためになるのか?
将来のヴィジョンは?
そういった根源的な議論が、なされたでしょうか?
政治家も相手を誹謗するコトにやっきとなって、そのような根気や地力の必要な議論を避けてきました。
もちろん民主党の政策にも、高速道路無料化など、まったく賛成できないものも多い。
一方、今までしてこなかったくせに、選挙前になるとアレもやるコレもやると云う自公与党の欺瞞はそれ以上に信用できない。
メディアは小沢と西松との関係、首相の漢字読み違いや失言などのゴシップを追跡するばかりで、庶民の眼を政治の本質からかけ離そうとしているように感じます。
衆院選を直後に控えた今、自分たちの未来について、どれだけしっかりとした話し合いがなされてきたか?
中途半端な熱狂の中、ボクらは確かな手ごたえを感じているのか?
自分たちの下した判断に、根気と覚悟を以って未来を託すことができるのか?
与党は云います。
「自分たちには実績がある!責任力がある!」
だからこれからの国政も任せてもらいたい――と。
なるほど、与党の政策により、庶民の生活が豊かになったのなら、それもよいでしょう。
でも実際はどうでしょうか?
この4年間に、自分たちの生活が向上したと感じられるヒトが、一体どれぐらいいるでしょうか?
ボクの眼に映るのは、彼らの悪政により、疲弊しつくした善良で平凡な多くの庶民です。
ボクのように、政治や社会について何か発言しようなんてガラでもない人間が、たまにそんなハナシをするのも、前回の選挙により、ボクらが直面したモノ、ボクらに押し付けられたモノが、あまりにボクらの手に余るからです。
ボクに大きな欲はありません。
ただ自分の身丈にあっただけのモノがあって、それがみとめられ侵されない世界があれば、充分なのです。
だから、少しずつですが、こんなハナシをしてきた。
日本を変えようとか、そんな大それた想いはない。
ただ、ほんの少しだけ、こんなコトを考えてるヤツがいるんだなぁって、誰かが知ってくれるだけでよかった。
まもなくひとつの決断がなされます。
そしてこの国は、その決断に身を委ねることとなるのです。
願わくば、その決断が、ボクらの未来をよりよき方向へ導かんことを。]]>
彼と彼女のブルーズ(3)
http://utshome.exblog.jp/11747433/
2009-08-17T02:30:39+09:00
2009-08-17T02:30:43+09:00
2009-08-17T02:30:43+09:00
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コラム
新幹線を降り在来線のホームへ向かう。駅構内では耳慣れた方言の人々が行き交い、特産物をキャラクター化したマスコットのハリボテが秋山を迎える。乗り換えの有人改札の上にある時刻表を眺める。いつの間にか電光掲示に替わっていた時刻表を見ながら、田舎もそれなりに変わっていくものだな、と思う。乗り換えまでまだ時間がある。「小腹が空いたな」と思い、立ち食いそば屋で七味をたっぷりかけたたぬきそばを啜る。美味くも不味くもない、駅の立ち食いそば。一時腹を満たすためだけの食事。味も素っ気もないそれは、なんとなく人生に似ていると秋山は思う。
すっかり日の昇ったホームで一時間に二本しかない列車の出発を待つ。喫煙スペースがホームの一番端にあり、面倒臭いな、と思いながらそこまで歩いて一服つける。ジャージ姿の女子高生の団体が、長い弓を持って同じホームに立っている。きゃあきゃあと嬌声を上げながら、お互いの脇腹をつつき合ったりしている。彼女達の人生にとって、多分今が一番夢も希望もある時期なのだろう、箸が転んだだけでも可笑しいはずだ。
入ってきた二両編成の列車に乗り込むのは、秋山と女子高生にあと二人。目的地までの五十分、少し眠りたいので女子高生とは違う車両に乗る。暖房のおかげで自然と瞼が落ちてくる。見知った景色を眠い目擦りながらわざわざ眺める義理はない。列車は冬晴れの穏やかな海沿いの線路をコトコトと走り抜けてゆく。
終点から一駅前の駅で降りる。何度となく乗り降りした木造の小さな駅舎、飲み明かした体にはただただ面倒臭さが先にくる。駅前に一台しか待っていないタクシーに乗り込み、行き先を告げる。地元の言葉で話す運転手のお喋りには耳を貸さず、ただただ腕を組んで窓の外を見遣る。国道沿いに全国フランチャイズの外食チェーン店やコンビニがポツリポツリと出来ている。来年開通する高速道路のインターに繋がる県道沿いの、だだっ広い駐車場を持つコンビニでタクシーを待たせ、缶コーヒーとワンカップを二本ずつ、線香、それに封筒を買う。その後コンビニの周りをグルリと回りながら煙草を一本吸う。此処は以前秋山の母の実家があった場所だ。秋山自身も小学五年から高校卒業まで此処で過ごした。歩きながら、以前の家の間取りを思い出そうとするが、年々その行為もおざなりになっている。辺りの景色も徐々に変わってきた。ここを離れて十二年、もう郷愁を誘われることもなくなった。再びタクシーに乗り、買ったばかりの封筒に比較的綺麗と思われる一万円札を二枚入れる。タクシーは音もなく出発する。
両親の離婚が原因で、秋山がこのミカン山に囲まれた土地にやって来た頃、日本の経済はまだ没落の徴候すら見せておらず、父親と別れた寂しさはあったが、よくしてくれる母方の祖父母と母、六つ違いの妹とともに暮らした日々に振り返りたくないような思い出はなかった。小学校ではよくある転校生へのいじめにも遭うには遭ったが、そんなに陰険なものではなく、ガキ大将と一度拳を交えた後は、みな仲間と認めてくれた。それから地元の少年野球チームに入り練習に明け暮れる毎日だった。今思い返しても、少年時代に暗い面影はなく、幸せな少年時代だった。子供の夢を尊重してくれる大人がいて、大人達もそれぞれの暮らしを落ち着いて送っているように見えた。世界は強固なもので、明日という日を迎えるのに不安を掻き立てられることはなかった。家の周りを囲むミカン山はその姿を変えずに、秋山が死ぬまでそこにあり続けるものだという、根拠のない確信があった。
しかし今日見るミカン山は荒れ放題で、大きくなって自然に落ちたミカンが山の斜面を転がったり、木の根元に落ち放題になっていた。ミカンを作る人も減って、山が捨てられているのだろう。随分使われていない錆びたミカン運搬用のレールが、山の斜面に幾筋も残るだけだ。人の姿はまったく見えない。直接の原因は、オレンジの自由化だろうと秋山は思う。ミカンを作っていた人達は猛反発したが、時の政権の政策方針は彼らを一顧だにせず、アメリカから安いオレンジが大量に入ってきた。それだけのことで、秋山の知っていたこの辺りの景色が徐々に変わっていくことになり、あれだけ明るく自信に満ちていたように見えた大人達も不機嫌になっていった。以来十数年、大人達の心からの笑顔を見ていないような気がする。それは秋山自身も含めて。
タクシーはミカン山をひとつ越え、山の斜面に並んで張り付くように慎ましやかに佇んでいる墓地へと向かった。
幼い頃は、墓参りに行くのが楽しかった。一家総出で弁当を持って、たまに軽トラックが通るだけのミカン山の山道をポツリポツリ、祖父から昔話を聞いたり、左手に広がる穏やかな海を見たり、流れる雲に心遊ばせたりして、墓地までの道を歩いた。祖父はよく戦争の話をしてくれた。祖父にとっては地元を離れる最初の機会だったらしく、軍隊での共同生活もそれなりに楽しかったと言っていた。それは多分、外地へ赴くことがなかったのが大きな原因だろうと、中学生になった秋山は思ったが、祖父の出征前の写真を見せて貰うと、写真の中の二十歳の祖父はやはり幾分緊張した面差しで、生きて帰ってはこられないことも覚悟していたのかなとも思った。
タクシーを山の麓で待たせておいて、秋山は急な斜面を登って行った。秋山家の墓は、墓地の一番奥の山側にあった。祖父母は家と土地とミカン山を売った金で有料老人施設に入ってまだ健在なのだが、母は四年前に他界していた。くも膜下出血だった。珈琲と酒が好きな人で、いつか自分で喫茶店を持つのが夢だと言っていた。墓に手向けられている花はもうだいぶ萎びていた。そういうと、秋山は墓に花を持ってきたことがない。いつも缶コーヒーとワンカップを一本ずつ墓に供え、線香を焚き、墓の前で自分も缶コーヒーとワンカップを飲み、亡き母との時間を過ごす。墓に参る度に、なかなかいい話が持ってこれないでいる。それでつい、墓参の足も遠のく。「早く嫁さんでも見つけなさい」と墓の下から母が渋い顔をして言っているようだ。「そういろいろうまくはいかないんだよ、かあさん」と秋山はひとりごちる。]]>
彼と彼女のブルーズ(2)
http://utshome.exblog.jp/11747402/
2009-08-17T02:18:09+09:00
2009-08-17T02:18:07+09:00
2009-08-17T02:18:07+09:00
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コラム
帰ってきてしばらくは何もせず、専業主婦の母の手伝いをしたりしていたが、近所のおばさんが「もったいない」と言って持ってきてくれた塾講師の話に乗り、三月ばかり小学六年と中学三年のクラスを受け持った。しかし教室で生徒のまっすぐな視線を受けると、由紀はうろたえた。「私はこの子達に何を教えればいいのか」と、学生の時は大層に持論をぶっていた教育論は何処へやら、人としての自信すら失いそうになり、子供と向き合うどころか自身のことも霧の彼方のようで、そんな自分を叱咤しながら教壇に立つには立ったが、そんな日々が長く続くはずもなかった。由紀はまた自室で過ごす時間が増えるようになっていった。
閉じこもりがちになる由紀を連れ出してくれたのは、学生時代の親友の香織である。香織は由紀が地方に赴任している間に、学生時代から付き合っていた彼と結婚し小島から大野へと姓を変えていたが、しっかりと実家の近所にマンションを借り快適な結婚生活を送っているようだった。正直、人生を順調に歩んでいるように見える香織を見て内心穏やかでない時もあるが、「人は人」と割り切らなければまた不調の種になってしまう。そうは言っても、三十を過ぎてしまった身には言い訳にしかならないかもしれない。不調、不調、といっていても、時は過ぎる。過去は還らない。
もう一人、由紀に刺激を与えてくれるのが、これまた学生時代の親友の尾崎佐智子だった。佐智子は帰国子女で、学生の時から夜のバイトをしたり何かとハジけた女だったが、本人の第一志望で入った教育出版社をあっけなく二年で辞め、今は大手の経営コンサルタントで通訳をしていると言っていた。いうなれば佐智子も教育に合わないタイプの人間だったということだ。色恋もそれなりに派手に楽しんではいるようだが、妻子ある男との関係が五年も続き、それが頭痛の種になっているようだった。前回お茶した時も「そろそろ潮時かも」といつものように眉間に皺を寄せて葉巻の甘い煙を吐いていた。由紀には何故そんな思いをしてまで不倫を続けるのかわからなかったが、何事にもハッキリしているタイプの佐智子がことこの件にだけグズグズしているというのは、やはり男と女には、二人だけにしかわからない何かがあるのだろうと推察するしかなかった。もちろんお互い三十も超えて、それぞれの色恋に忠告するような野暮なことは出来なかったし、由紀は不倫でも道に外れた恋でも何でもいいから、久しぶりに胸が高鳴る気持ちになりたい、と佐智子の話を聞くといつも思った。
由紀の朝は遅い。午前十時を過ぎてもまだベッドの中にいることが多い。母親ももう起こしにくることはなくなった。百円均一ショップでのバイトは午後四時から午後十時までの六時間。その他の時間は自由だ。有り余る自由。悲しいパラサイト・シングル三十代の自由だ。この自由を金銭に換算すればいくらだろう。この自由を得るまでに人類が屠った血の量は如何ばかりだろう。毎朝、そんなことを思いながらしばらく自室の天井を眺める。睡眠薬のせいで少しボーッとした頭を持て余しながら、ベッドから起き出し窓の外を見遣る。街路樹はもうとうの昔に裸になっており、冬の優しい陽射しが穏やかな住宅街を包んでいる。音ひとつない。音ひとつない世界に、私ひとり。そんな気持ちに陥ると、きまって大声を出してこの静寂を破りたくなった。しかし部屋のドレッサーに映る由紀は、そんな突拍子もない行動が似合う小娘では、もうなかった。ドレッサーの中の寝起きの自分の顔をしげしげと直視した後、いつもこんな気分に陥った時はそうするように、ニルヴァーナの『Never Mind』をヘッドフォンで大音量で聴いた。
階下のキッチンで味噌汁の鍋を暖め直していると、勝手口脇のコルクボードが目についた。ピン止めされているメモ帳には「AM10:00~PM3:00 ひまわり。母」とある。母親は最近近所の老人福祉施設で昼食介護のボランティアに出ている。今日も家族の誰とも顔を合わさない日になるだろう。そのほうが、気が楽でいい。
母親には「介護ヘルパーの資格でも取れば」と勧められたが、子供相手の仕事をした後、何故老人相手の仕事をしなければならないのかと噛み付いた。母親の通っている老人福祉施設も覗きに行ったことはあるが、あのなんとも言えない時間の流れに背筋が寒くなるような思いがした。由紀以上に無駄に息をし、時間を持て余している存在がそこかしこにいた。自分が自分であるかどうかもわからない、ただ生きているだけの命がそこにあった。かつては誰かの可愛い息子であり娘であり孫であった存在が、頼りがいのある父であり母であった存在が、皆一所に集められ強制的に寝起きさせられている。そこに命の尊厳を、由紀は感じることができなかった。己の人間観、人生観の乏しさを歎きもしたが、実際に臭いのする赤の他人の老人達を前にして、手を差し伸べたいとは素直に思えなかった。施設には多くの若者達が働いていたが、彼らには感嘆こそすれ、その心情は理解しかねた。対象は日々死にゆく人々なのだ。そんなことを言ったら「人は生まれた時から死に向かって歩いている」と言われるかもしれないが、実際にただ単に死までの時間を引き伸ばしているだけに見える対象に対して、愛情を持って接するなど出来ることだろうか、人は人に対してそこまでの思いを持てるものだろうか、と由紀は考えた。勿論彼らだって仕事だからそれをやっているのだ。由紀が以前子供達に掛け算を教えていたように、オムツを取り替え、風呂に入れる。そこに個人的な感傷を差し挟む余地はない。早く割り算を覚えさせることが肝要なのであり、上手に体位交換できることが重要なのだ。サービスの受け手の立場に立って物事を考えなければ、しばし労働従事者は己の存在意義を見失うことになる。とはいえ、やはり日々育ち成長していく子供達と、日々老いさらばえていく老人達とでは、あまりにギャップが激しすぎた。こういうことに逡巡しだすと、由紀は決まって「本当のところ、私はそんなに人間が好きではないのだろう」と結論づけた。そうやって、自分自身からも距離を置いていた。何事も深く考えることに臆病になっていた。そんな状態で、万が一出会いなどあっても恋などできるはずもなかった。
味噌汁にご飯に漬物と簡単な朝食兼昼食を済ませ、見るともなくいつものように昼の連続ドラマを見、続けて始まったワイドショーの中の喧騒に嫌気がさしテレビを切った由紀は、バイトに出かける準備をした。さすがにスッピンではもう表に出られないので薄く化粧はするが、格好はいつもトレーナーにジーンズにパーカーといったラフなものだった。電車で行けば二駅かかるバイト先までの道のりを、由紀は線路沿いの道を四十分かけて歩いて行った。毎日歩いていると、日々景色の中の変化を感じることが出来、それが今の由紀の唯一の楽しみだった。それに歩いていると、体調も整えられて脳の具合もよくなる気がした。この道を真っ直ぐ行けば何処まで行けるのだろうと、小学生の男の子みたいな事を考えながら歩くのは楽しかった。世界の中で由紀だけが、カネにも毒されず、時間にも束縛されず、真っ当に生きている気持ちになれるのも嬉しかった。
バイト先での仕事は単調そのものだった。入庫品を検品し、品物を棚に揃え、レジを打ち、お辞儀をする。由紀の目から見ても、よくこんなものが百円で売れるなという品物がたくさんあった。大方中国あたりで大量に安く作っているのだろうが、これを作っている中国人達の生活を想像すると、やっぱり日本は豊かなのかもしれないと思ったりもした。そうはいっても、近頃は生活必需品を百円均一ショップで賄う人が増えていて、日本の不景気の根は深そうだった。そんなことを考えながらも、黙って品物を選んで買っていくだけの客の相手は、精神的に楽だった。ナマモノとしての人間を感じずに済んだ。経済的合理性だけで動く計算可能な存在としての人間のほうが、子供や老人の相手をするよりはるかに簡単だと思うが、世間一般では大人相手の仕事のほうに価値があるように思われ報酬も大きい。それに比べて子供や老人相手は苦労と報酬の面で言えば、ほんと好きでないとやっていられないと思う。それもこれも、多分政治が悪いのだろうというくらいは由紀にも分かるが、かといって積極的に政治にコミットしていこうという気にもなれなかった。あれこそカネに縛られた、人間としては最低な生き方だと思う。]]>
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