今夜はここを見てくれている若い読者のために、ほんの少しだけ本気で書きます。鬱陶しい日記になると思いますが、少しだけ耳を傾けてみてください。
エラソーなこと今から言います。
人間を35年やってきて思います。人間、スポーツでも勉強でも恋愛でも、自分の限界を超えてやったことしか身につきません。もう諦めそうになってからの頑張りしか身につきませんし、自分の自信になりません。そういうギリギリの中で得た経験だけが、自分を後押ししてくれます。他人はいくら裏切っても、自分の努力だけは自分自身を絶対裏切りません。
オトナになった時に、せめてそんな「自分の限界を超えた」思い出のひとつやふたつは自分に証明できるような、そんな青春時代を送ってください。そうでないとオトナになった時に、若い子に語れるものが何もないオトナになってしまうと思うのです。若い子に自分の人生を語れることが「いいオトナ」だと思っているわけではないですが、自分で自分の半生を振り返った時に、「あの時オレはあれだけ頑張れた。だから今度だって頑張れるはずさ」と自分に誓えるような、そんなオトナになって欲しいと思うからです。そうやって生きていくほうが、多分楽しいと思うから。
男は無理してヤセガマンして、カッコよくなるんです。男の子はカッコいいオトコになってください。そして女の子はそんな「カッコいいオトコ」を見抜ける目を養ってください。男を育てるのは女の役目です。よろしく。
最後に、夏目漱石が29歳の時に、赴任していた松山中学の生徒に向けて贈った言葉を、ここを見てくれている若い読者に贈りたいと思います。あえて現代語訳は掲載しません。じっくりと漱石の言葉に触れてみてください。当時の中学生が読めた言葉です。あなたにも読めないはずはないと思います。辞書片手にこの言葉とゆっくり向き合ってみてください。さすがに日本文学最高の作家が書いた教訓、いいことが書いてあります。人生の真実のいくつかはこの言葉の中にあります。
『愚見数則』
理事来たつて何か論説を書けといふ。余この頃脳中払底、諸氏に示すべき事なし。しかし是非に書けとならば仕方なし、何か書くべし。但しお世辞は嫌ひなり、時々は気に入らぬ事あるべし。また思ひ出す事をそのまま書き連ねる故、箇条書の如くにて少しも面白かるまじ。但し文章は飴細工の如きものなり。延ばせば幾らでも延る、その代りに正味は減るものと知るべし。
昔しの書生は、笈を負ひて四方に遊歴し、この人ならばと思ふ先生の許に落付く。故に先生を敬ふ事、父兄に過ぎたり。先生もまた弟子に対する事、真の子の如し。これでなくては真の教育といふ事は出来ぬなり。今の書生は学校を旅屋の如く思ふ。金を出して暫らく逗留するに過ぎず、厭になればすぐ宿を移す。かかる生徒に対する校長は、宿屋の主人の如く、教師は番頭丁稚なり。主人たる校長すら、時には御客の機嫌を取らねばならず、いはんや番頭丁稚をや。薫陶所か解雇されざるを以て幸福と思ふ位なり。生徒の増長し教員の下落するは当前の事なり。
勉強せねば碌な者にはなれぬと覚悟すべし。余自ら勉強せず、しかも諸子に面ずるごとに、勉強せよ勉強せよといふ。諸子が余の如き愚物となるを恐るればなり。殷鑑遠からず勉旃勉旃。
余は教育者に適せず、教育者の資格を有せざればなり。その不適当なる男が、糊口の口を求めて、一番得やすきものは、教師の位地なり。これ現今の日本に、真の教育家なきを示すと同時に、現今の書生は、似非教育家でも御茶を濁して教授し得るといふ、悲しむべき事実を示すものなり。世の熱心らしき教育家中にも、余と同感のもの沢山あるべし。真正なる教育家を作り出して、これらの偽者を追出すは、国家の責任なり。立派なる生徒となつて、かくの如き先生には到底教師は出来ぬものと悟らしむるは、諸子の責任なり。余の教育場裏より放逐さるるときは、日本の教育が隆盛になりし時と思へ。
月給の高下にて、教師の価値を定むる勿れ。月給は運不運にて、下落する事も騰貴する事もあるものなり。抱関撃柝の輩時にあるいは公卿に優るの器を有す。これらの事は読本を読んでもわかる。ただわかつたばかりで実地に応用せねば、凡ての学問は徒労なり。昼寝をしてゐる方がよし。
教師は必ず生徒よりゑらきものにあらず、偶誤りを教ふる事なきを保せず。故に生徒は、どこまでも教師のいふ事に従ふべしとはいはず。服せざる事は抗弁すべし。但し己れの非を知らば翻然として恐れ入るべし。この間一点の弁疎を容れず。己れの非を謝するの勇気はこれを遂げんとするの勇気に百倍す。
狐疑する勿れ。躊躇する勿れ。驀地に進め。一度び卑怯未練の癖をつくれば容易に去りがたし。墨を磨して一方に偏する時は、なかなか平にならぬものなり。物は最初が肝要と心得よ。
善人ばかりと思ふ勿れ。腹の立つ事多し。悪人のみと定むる勿れ。心安き事なし。
人を崇拝する勿れ。人を軽蔑する勿れ。生れぬ先を思へ。死んだ後を考へよ。
人を観ばその肺肝を見よ。それが出来ずば手を下す事勿れ。水瓜の善悪は叩いて知る。人の高下は胸裏の利刀を揮つて真二に割つて知れ。叩いた位で知れると思ふと、飛んだ怪我をする。
多勢を恃んで一人を馬鹿にする勿れ。己れの無気力なるを天下に吹聴するに異ならず。かくの如き者は人間の糟なり。豆腐の糟は馬が喰ふ、人間の糟は蝦夷松前の果へ行ても売れる事ではなし。
自信重き時は、他人これを破り、自信薄き時は自らこれを破る。むしろ人に破らるるも自ら破る事勿れ。厭味を去れ。知らぬ事を知つたふりをしたり人の上げ足を取つたり、嘲弄したり、冷評したり、するものは厭味が取れぬ故なり。人間自身のみならず、詩歌俳諧とも厭味のあるものに美くしきものはなし。
教師に叱られたとて、己れの直打が下がれりと思ふ事なかれ。また褒められたとて、直打が上つたと、得意になる勿れ。鶴は飛んでも寝ても鶴なり。豚は吠ても呻つても豚なり。人の毀誉にて変化するものは相場なり、直打にあらず。相場の高下を目的として世に処する、これを才子といふ。直打を標準として事を行ふ、これを君子といふ。故に才子には栄達多く、君子は沈淪を意とせず。
平時は処女の如くあれ。変事には脱兎の如くせよ。坐る時は大磐石の如くなるべし。但し処女も時には浮名を流し、脱兎稀には猟師の御土産となり、大磐石も地震の折は転がる事ありと知れ。
小智を用る勿れ。権謀を逞ふする勿れ。二点の間の最捷径は直線と知れ。
権謀を用ひざるべからざる場合には、己より馬鹿なる者に施せ。利慾に迷ふ者に施せ。毀誉に動かさるる者に施せ。情に脆き者に施せ。御祈祷でも呪詛でも山の動いた例しはなし。一人前の人間が狐に胡魔化さるる事も、理学書に見ゑず。
人を観よ。金時計を観る勿れ。洋服を観る勿れ。泥棒は我々より立派に出で立つものなり。
威張る勿れ。諂ふ勿れ。腕に覚えのなき者は、用心のために六尺棒を携へたがり、借金のあるものは酒を勧めて債主を胡魔化す事を勉む。皆己れに弱味があればなり。徳あるものは威張らずとも人これを敬ひ、諂はずとも人これを愛す。太鼓の鳴るは空虚なるがためなり。女の御世辞のよきは腕力なきが故なり。
妄りに人を評する勿れ。かやうな人と心中に思ふてをればそれで済むなり。悪評にて見よ、口より出した事を、再び口へ入れんとした処が、その甲斐なし。まして、又聞き噂などいふ、薄弱なる土台の上に、設けられたる批評をや。学問上の事に付ては、むやみに議論せず、人の攻撃に遇ひ、破綻をあらはすを恐るればなり。人の身の上に付ては、尾に尾をつけて触れあるく、これ他人を傭ひて、間接に人を撲ち敲くに異ならず。頼まれたる事なら是非なし。
頼まれもせぬに、かかる事をなすは、酔興中の酔興なるものなり。
馬鹿は百人寄つても馬鹿なり。味方が大勢なる故、己れの方が智慧ありと思ふは、了見違ひなり。牛は牛伴れ、馬は馬連れと申す。味方の多きは、時としてその馬鹿なるを証明しつつあることあり。これほど片腹痛きことなし。
事を成さんとならば、時と場合と相手と、この三者を見抜かざるべからず。その一を欠けば無論のこと、その百分の一を欠くも、成功は覚束なし。但し事は、必ず成功を目的として、揚ぐべきものと思ふべからず。成功を目的として、事を揚ぐるは、月給を取るために、学問すると同じことなり。
人我を乗せんとせば、差支へなき限りは、乗せられてをるべし。いざといふ時に、痛く抛げ出すべし。敢て復讐といふにあらず、世のため人のためなり。小人は利に喩る、己れに損の行くことと知れば、少しは悪事を働かぬやうになるなり。
言ふ者は知らず、知るものは言はず。余慶な不慥の事を喋々するほど、見苦しき事なし。いはんや毒舌をや。何事も控へ目にせよ。奥床しくせよ。むやみに遠慮せよとにはあらず、一言も時としては千金の価値あり。万巻の書もくだらぬ事ばかりならば糞紙に等し。
損徳と善悪とを混ずる勿れ。軽薄と淡白を混ずる勿れ。真率と浮跳とを混ずる勿れ。温厚と怯懦とを混ずる勿れ。磊落と粗暴とを混ずる勿れ。機に臨み変に応じて、種々の性質を見はせ。一あつて二なき者は、上資にあらず。
世に悪人ある以上は、喧嘩は免るべからず。社会が完全にならぬ間は、不平騒動はなかるべからず。学校も生徒が騒動をすればこそ、漸々改良するなれ。無事平穏は御目出度に相違なきも、時としては、憂ふべきの現象なり。かくいへばとて、決して諸子を教唆するにあらず。むやみに乱暴されては甚だ困る。
命に安んずるものは君子なり。命を覆すものは豪傑なり。命を怨む者は婦女なり。命を免れんとするものは小人なり。
理想を高くせよ。敢て野心を大ならしめよとはいはず。理想なきものの言語動作を見よ、醜陋の極なり。理想低き者の挙止容儀を観よ、美なる所なし。理想は見識より出づ、見識は学問より生ず。学問をして人が上等にならぬ位なら、初から無学でゐる方がよし。
欺かれて悪事をなす勿れ。それ愚を示す。喰はされて不善を行ふ勿れ。それ陋を証す。
黙々たるが故に、訥弁と思ふ勿れ。拱手するが故に、両腕なしと思ふ勿れ。笑ふが故に、癇癪なしと思ふ勿れ。名聞に頓着せざるが故に、聾と思ふ勿れ。食を択ばざるが故に、口なしと思ふ勿れ。怒るが故に、忍耐なしと思ふ勿れ。
人を屈せんと欲せば、先づ自ら屈せよ。人を殺さんと欲せば、先づ自ら死すべし。人を侮るは、自ら侮る所以なり。人を敗らんとするは、自ら敗る所以なり。攻むる時は、韋駄天の如くなるべく、守るときは、不動の如くせよ。
右の条々、ただ思ひ出るままに書きつく。長く書けば際限なき故略す。必ずしも諸君に一読せよとは言はず。いはんや拳々服膺するをや。諸君今少壮、人生中尤も愉快の時期に遭ふ。余の如き物の説に、耳を傾くるの遑なし。しかし数年の後、校舎の生活をやめて、突然俗界に出でたるとき、首を回らして考一考せば、あるいは尤と思ふ事もあるべし。但しそれも保証はせず。
~明治28.11.25 愛媛県尋常中学校『保恵会雑誌』~
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