由紀が教員を辞め実家に帰ってきて、もう四年になる。憧れだった小学校教諭の座につくのも並大抵の努力ではなく、浪人までして全国の教員採用試験を受け続けて何とか勝ち得たものだったが、晴れて赴任した海沿いの工業都市の小学校、実際の現場は想像していた以上に大変で、由紀は日々精神をすり減らしながら児童と向き合っていた。不調はある日突然やってきたというわけではなかったが、自分ではそう認識しにくい。学校に行くのが辛くなるとは思ってもみなかったが、医師の診断は鬱だった。しばらく休職した後、出たり休んだりを繰り返していたが、そんな自分が嫌になり、結局地元に帰った。両親は安堵したようで快く一人娘の帰還を受け入れてくれ、由紀の生まれて初めての一人暮らしも終わりを告げた。都合四年の教師生活だった。
帰ってきてしばらくは何もせず、専業主婦の母の手伝いをしたりしていたが、近所のおばさんが「もったいない」と言って持ってきてくれた塾講師の話に乗り、三月ばかり小学六年と中学三年のクラスを受け持った。しかし教室で生徒のまっすぐな視線を受けると、由紀はうろたえた。「私はこの子達に何を教えればいいのか」と、学生の時は大層に持論をぶっていた教育論は何処へやら、人としての自信すら失いそうになり、子供と向き合うどころか自身のことも霧の彼方のようで、そんな自分を叱咤しながら教壇に立つには立ったが、そんな日々が長く続くはずもなかった。由紀はまた自室で過ごす時間が増えるようになっていった。
閉じこもりがちになる由紀を連れ出してくれたのは、学生時代の親友の香織である。香織は由紀が地方に赴任している間に、学生時代から付き合っていた彼と結婚し小島から大野へと姓を変えていたが、しっかりと実家の近所にマンションを借り快適な結婚生活を送っているようだった。正直、人生を順調に歩んでいるように見える香織を見て内心穏やかでない時もあるが、「人は人」と割り切らなければまた不調の種になってしまう。そうは言っても、三十を過ぎてしまった身には言い訳にしかならないかもしれない。不調、不調、といっていても、時は過ぎる。過去は還らない。
もう一人、由紀に刺激を与えてくれるのが、これまた学生時代の親友の尾崎佐智子だった。佐智子は帰国子女で、学生の時から夜のバイトをしたり何かとハジけた女だったが、本人の第一志望で入った教育出版社をあっけなく二年で辞め、今は大手の経営コンサルタントで通訳をしていると言っていた。いうなれば佐智子も教育に合わないタイプの人間だったということだ。色恋もそれなりに派手に楽しんではいるようだが、妻子ある男との関係が五年も続き、それが頭痛の種になっているようだった。前回お茶した時も「そろそろ潮時かも」といつものように眉間に皺を寄せて葉巻の甘い煙を吐いていた。由紀には何故そんな思いをしてまで不倫を続けるのかわからなかったが、何事にもハッキリしているタイプの佐智子がことこの件にだけグズグズしているというのは、やはり男と女には、二人だけにしかわからない何かがあるのだろうと推察するしかなかった。もちろんお互い三十も超えて、それぞれの色恋に忠告するような野暮なことは出来なかったし、由紀は不倫でも道に外れた恋でも何でもいいから、久しぶりに胸が高鳴る気持ちになりたい、と佐智子の話を聞くといつも思った。
由紀の朝は遅い。午前十時を過ぎてもまだベッドの中にいることが多い。母親ももう起こしにくることはなくなった。百円均一ショップでのバイトは午後四時から午後十時までの六時間。その他の時間は自由だ。有り余る自由。悲しいパラサイト・シングル三十代の自由だ。この自由を金銭に換算すればいくらだろう。この自由を得るまでに人類が屠った血の量は如何ばかりだろう。毎朝、そんなことを思いながらしばらく自室の天井を眺める。睡眠薬のせいで少しボーッとした頭を持て余しながら、ベッドから起き出し窓の外を見遣る。街路樹はもうとうの昔に裸になっており、冬の優しい陽射しが穏やかな住宅街を包んでいる。音ひとつない。音ひとつない世界に、私ひとり。そんな気持ちに陥ると、きまって大声を出してこの静寂を破りたくなった。しかし部屋のドレッサーに映る由紀は、そんな突拍子もない行動が似合う小娘では、もうなかった。ドレッサーの中の寝起きの自分の顔をしげしげと直視した後、いつもこんな気分に陥った時はそうするように、ニルヴァーナの『Never Mind』をヘッドフォンで大音量で聴いた。
階下のキッチンで味噌汁の鍋を暖め直していると、勝手口脇のコルクボードが目についた。ピン止めされているメモ帳には「AM10:00~PM3:00 ひまわり。母」とある。母親は最近近所の老人福祉施設で昼食介護のボランティアに出ている。今日も家族の誰とも顔を合わさない日になるだろう。そのほうが、気が楽でいい。
母親には「介護ヘルパーの資格でも取れば」と勧められたが、子供相手の仕事をした後、何故老人相手の仕事をしなければならないのかと噛み付いた。母親の通っている老人福祉施設も覗きに行ったことはあるが、あのなんとも言えない時間の流れに背筋が寒くなるような思いがした。由紀以上に無駄に息をし、時間を持て余している存在がそこかしこにいた。自分が自分であるかどうかもわからない、ただ生きているだけの命がそこにあった。かつては誰かの可愛い息子であり娘であり孫であった存在が、頼りがいのある父であり母であった存在が、皆一所に集められ強制的に寝起きさせられている。そこに命の尊厳を、由紀は感じることができなかった。己の人間観、人生観の乏しさを歎きもしたが、実際に臭いのする赤の他人の老人達を前にして、手を差し伸べたいとは素直に思えなかった。施設には多くの若者達が働いていたが、彼らには感嘆こそすれ、その心情は理解しかねた。対象は日々死にゆく人々なのだ。そんなことを言ったら「人は生まれた時から死に向かって歩いている」と言われるかもしれないが、実際にただ単に死までの時間を引き伸ばしているだけに見える対象に対して、愛情を持って接するなど出来ることだろうか、人は人に対してそこまでの思いを持てるものだろうか、と由紀は考えた。勿論彼らだって仕事だからそれをやっているのだ。由紀が以前子供達に掛け算を教えていたように、オムツを取り替え、風呂に入れる。そこに個人的な感傷を差し挟む余地はない。早く割り算を覚えさせることが肝要なのであり、上手に体位交換できることが重要なのだ。サービスの受け手の立場に立って物事を考えなければ、しばし労働従事者は己の存在意義を見失うことになる。とはいえ、やはり日々育ち成長していく子供達と、日々老いさらばえていく老人達とでは、あまりにギャップが激しすぎた。こういうことに逡巡しだすと、由紀は決まって「本当のところ、私はそんなに人間が好きではないのだろう」と結論づけた。そうやって、自分自身からも距離を置いていた。何事も深く考えることに臆病になっていた。そんな状態で、万が一出会いなどあっても恋などできるはずもなかった。
味噌汁にご飯に漬物と簡単な朝食兼昼食を済ませ、見るともなくいつものように昼の連続ドラマを見、続けて始まったワイドショーの中の喧騒に嫌気がさしテレビを切った由紀は、バイトに出かける準備をした。さすがにスッピンではもう表に出られないので薄く化粧はするが、格好はいつもトレーナーにジーンズにパーカーといったラフなものだった。電車で行けば二駅かかるバイト先までの道のりを、由紀は線路沿いの道を四十分かけて歩いて行った。毎日歩いていると、日々景色の中の変化を感じることが出来、それが今の由紀の唯一の楽しみだった。それに歩いていると、体調も整えられて脳の具合もよくなる気がした。この道を真っ直ぐ行けば何処まで行けるのだろうと、小学生の男の子みたいな事を考えながら歩くのは楽しかった。世界の中で由紀だけが、カネにも毒されず、時間にも束縛されず、真っ当に生きている気持ちになれるのも嬉しかった。
バイト先での仕事は単調そのものだった。入庫品を検品し、品物を棚に揃え、レジを打ち、お辞儀をする。由紀の目から見ても、よくこんなものが百円で売れるなという品物がたくさんあった。大方中国あたりで大量に安く作っているのだろうが、これを作っている中国人達の生活を想像すると、やっぱり日本は豊かなのかもしれないと思ったりもした。そうはいっても、近頃は生活必需品を百円均一ショップで賄う人が増えていて、日本の不景気の根は深そうだった。そんなことを考えながらも、黙って品物を選んで買っていくだけの客の相手は、精神的に楽だった。ナマモノとしての人間を感じずに済んだ。経済的合理性だけで動く計算可能な存在としての人間のほうが、子供や老人の相手をするよりはるかに簡単だと思うが、世間一般では大人相手の仕事のほうに価値があるように思われ報酬も大きい。それに比べて子供や老人相手は苦労と報酬の面で言えば、ほんと好きでないとやっていられないと思う。それもこれも、多分政治が悪いのだろうというくらいは由紀にも分かるが、かといって積極的に政治にコミットしていこうという気にもなれなかった。あれこそカネに縛られた、人間としては最低な生き方だと思う。