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さしあたり、今日は先日亡くなられた詩人の茨木のり子さんの詩を紹介したいと思います。4月1日の朝日新聞「折々のうた」でも、茨木さんの「大男のための子守唄」の一節が紹介されていました。
心臓のポンプが軋むほどの
この忙しさはどこかひどく間違っている
間違っているのよ
近親者が自宅を訪問して死去している茨木さんを発見したのだそうです。部屋にはその日を予期して自らの死亡通知が用意されていたのだそうです。その気位に言葉もありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
もっと強く
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは明石の鯛がたべたいと
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは幾種類ものジャムが
いつも食卓にあるようにと
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは朝日の射すあかるい台所が
ほしいと
すりきれた靴はあっさりとすて
キュッと鳴る新しい靴の感覚を
もっとしばしば味わいたいと
秋 旅に出たひとがあれば
ウィンクで送ってやればいいのだ
なぜだろう
萎縮することが生活なのだと
おもいこんでしまった村と町
家々のひさしは上目づかいのまぶた
おーい 小さな時計屋さん
猫背をのばし あなたは叫んでいいのだ
今年もついに土用の鰻と会わなかったと
おーい 小さな釣道具屋さん
あなたは叫んでいいのだ
俺はまだ伊勢の海もみていないと
女がほしければ奪うのもいいのだ
男がほしければ奪うのもいいのだ
ああ わたしたちが
もっともっと貪欲にならないかぎり
なにごとも始まりはしないのだ。
茨木のり子『対話』より
文責:T.N.君の日記