小学校低学年くらいのころだろうか、鉄道が好きで、その中でも夜行列車を見るのが好きだった。
時々、大きな駅までわざわざ出かけていって、夜行列車の出発ホームでその出発の様子を眺めた。この時間は九州方面へいく列車、それが出たらホームを変えて東北方面へ行く列車と順番に見に行った。どうしてそう夢中になったのか理由などわからないが、その興奮だけは今でも覚えている。
旅への思いを胸にお弁当、お茶、みかん、お酒などを買い込んで乗り込む人たちを見ながら、わくわくする気持ちを共有した。線路を覗き込んでは、この線路が寒い北の大地に、明るい南の国につながっているんだな、あの人たちは列車に揺られて眠り、起きてみたらまわりの景色が一変していることに驚くんだろうな、などと想像した。
列車が夕闇に消えていく姿を見送ったあと、うちに帰って時刻表を見ながら、今この辺を通過しているんだろうな、もうみんな寝たのかな、などと想像をめぐらしたことを懐かしく思い出す。
中学を卒業するころ、一人旅の旅行先で今度は都会へ向かう列車をみた。そのころは、もはや列車に対する興味もなく、ああそうか、考えてみたら上りもあるんだ、あのお兄さんお姉さんたちは一夜明けたらごみごみした風景を目にするのかなあ、程度の想像しかしなかった。しかし、出発する人たちは涙を浮かべつつも、みな表情が明るく、希望に満ちていた。
あのころはまだ飛行機はちょっと怖い、などという人がいた時代、でも電車なら安心して揺られていられた。そして、その人たちの目的地もまた安心して揺られていられるような社会だったのかもしれない。おれはやるぞ、と希望に燃える若者を気持ちよく揺らしてくれる、休ませてくれるような安心がどこかにある、その人たちの顔を思い出すと、そういう社会が曲がりなりにもあったような気がする。
そのころの日本は、車だって電化製品だって鉄道だって、まだまだ一流じゃなかった。当時の日本がおかれている状況から考えれば何もかもが過酷な時代であったはずだ。
今の日本は何もかも進んでいる。しかし、電車はへたをすると今のほうがこわい。社会資本の整備も格段に進んだはずの今の社会はどうだろうか。
ケインズは、20世紀の終わりに人の労働時間は週5時間になる、と予測していたらしい。それくらいに科学が発達したのは事実だ。しかし、その使い方を間違えているような気がする。
この春もまた希望に燃える多くの社会人が誕生した。「勝ち組、負け組み」「生き残り」「甘えを捨てろ」・・・きびしい言葉があちこちで聞かれる。「安心して自分の可能性を試してごらん、君が乗っている列車は大丈夫だから」。そういえない大人は恥ずかしくないのだろうか。
いやあ、今週は「お題」が決められてしまいました。なんだか管理人も
調子に乗ってきたようで、腹立たしい調子が出てきたようで喜ばしい。
やはり華氏451度さんとモチーフは重なる感じ。ご迷惑かもしれませんが、結構感性が重なるところもあると思っているのでそうなるのかもしれません。
来週のお題は何だろう。そろそろ新緑の季節だから「緑」とか「自然」かなあ。