サタデーコラムニスト「
そぞろ日記」のみやう?でございます。
「至福のとき」というと最も幸せな瞬間をいつ感じるかというお題で、正直今そんなどころじゃないっす(爆)
実家ブログのほうをごらん頂いている方にはおわかりいただけるかと思うのですが、現在職場が大変なことになっていまして、緊張の日々なもので、毎回「嫌がらせだな、いや、何かの呪いだ」などという被害妄想に陥りながらコラムに冷や汗を流しているわけです。んでもって、次のお題は私が出すのか?いったいどうなっているんだろう?とUTSの現状すらろくに把握しきれていないほどボンクラ脳みそ状態ですから、今日もどこかに傘を置き忘れてきてしまったことはナイショにしておいてください。
共謀罪の強行採決が延期されましたね!もっと騒ぎが広がれば廃案だって夢じゃない!もっともっと騒ぎましょう!てか…騒ぎたい!!
職場のう○○みたいなごたごたなんかは、夢の島にでも送り込んでもっとみなさんみたいに意義ある言論を書きたいよぅ!と、近況はこんな感じで本題です。
幸せを言葉にすると必ず陳腐になってしまうので、「至福のとき」などというテーマで書くのはムズ痒いと思いつつ、どういうときに自分が幸せを感じるか思い出してみた。
美味しいものを食べているとき?美しいものを見ているとき?面白い本を読んでいるとき?素晴らしい音楽を聴いているとき。
確かに幸せを感じている。だが、至福というのであれば、嘘の無い相手と忌憚無く愚痴でも夢でも自由にのびのびと会話をしていて、会話が弾んでいるときが最も幸せを感じる「至福の瞬間」だ。
会話が弾んでいるときは、友人たちも幸せそうな顔をしている。きっと私もそうなんだろう。内容はくだらない話でも政治の話でも考えが完全に一致しなくてもお互いを尊重しあっている嘘の無い人々と笑顔で会話を交わすとき、心が触れ合っているとき私は至福を感じる。
また、自分の気持ちを理解してもらえたと感じるときに相手を信頼する心も生まれる。
欠点だらけの自分でもそのままでいていいのだと感じることができるとき、自分が肯定されていると実感できることが幸福感につながるのだろう。
元来1人遊びが好きな性質なので、好きなことを上げていくと「うーむ1人でもできることしかでてこないではないか」と思うが、最大の幸福を味わうのに他者の存在は不可欠なのだ。
他者の幸福が自己の幸福をも増大させる。そんな、プラスの相乗効果の連鎖を心地よい、至福だと感じる。
この単純な実感が、言論の自由についての私のこだわりの根源であることは間違いない。
人々から言論の自由と共に笑顔を奪う共謀罪など、わたしたちの国にはいらない。全ての抑圧からの解放を求めることはみんなの笑顔を守る運動でもあるのだ。
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