Under the Sunで「NHKの再放送は最高そう」という企画をやらせていただいています。
コメントを書いていただいてもいいですし、もしその番組を見て自分のブログに感想などを書いているときにはTBなどを入れていただければ、と思っています。せっかくこういうUnder the Sunという集まりがあるのだから、見てどう思ったなどの感想をワイワイやるのもたのしいのでは。
で-MEDIA-のサイトのお知らせもかねて、今回のコラムは私が実際に見たものの中からいくつかピックアップして書きます。
グローバル化というとアメリカというイメージがあるけれども、企業の側は国の枠組みを超えて、あちらこちらの経済に入り込もうとする。EUなども例外ではなく、「民間にできることは民間で」という詐欺師のささやきに欺されそうになることが多いようだ。
そういう中でドイツの番組が扱った、水道民営化の問題が「BS世界のドキュメンタリー」で放映された。イギリスなどでは水道管などの設備が古く、漏水などはひどい場所では50%(なんと水の半分が失われる)を超える。それでも、新規の水源開発と漏水対策のいずれがトクか、という論理で企業は動く。ドイツにおける民営化でもリストラは当たり前、むしろリストラのためだけに民営化したような状態で、一応福祉国家であれば失業対策のコストは一種の外部不経済
※として公共部門の出費となる。
民間であれば配当がどうしても必要で、当座の配当を捻出するために結局どんどん水道料金は上がり、長期的な視点に立てなくなる。イギリスでは下水処理場の半分以上を閉鎖して、そこに住宅建設をする。だから何かあると下水の処理能力をオーバーしてしまい、イギリスの川の魚は、環境ホルモンによりどんどんメスばかりになっているという。民間の至上命題は利潤だから、水道より儲かることがあれば、結局施設を売り飛ばしてしまうのだ。公共とは何なのか、「民間でできることは民間に」とは一体どういうことなのか、考えさせられる番組だった。
一般的には、公共財は「市場の失敗」の一つで、民間では供給できないものとされている。たとえば、通る船が等しくサービスを享受し、料金の徴収の方法など思いつかない灯台の建設なんて民間ではできない。国防サービスや生活道路などもそういっていいだろう。水道料金は払わない人を排除することができるから民間でもできるといえばできる。高速道路などもそうかもしれない。
しかし、民間にゆだねるというのは、資源配分を市場原理にゆだねるということである。市場原理においては、他者が競争に自由に参入できること、逆に退出すること、極端にいうと「そのサービスがなくなってもかまわない」という選択がなされるものでなければならない。たとえばポケベルサービスが時代に合わなくなってなくなるならそれでよい、という判断がなされるなら市場原理にゆだねられる。
メールの時代だから郵便はなくなってよい、不可欠のインフラではない、というのなら郵便は完全に民営化してよいだろう。それなら「民間にできることは民間に」であって、イギリスの水道会社のように施設を売っぱらってもかまわないことになる。
仮にそこまで認めたとしても民営化にはさらに問題がある。水道事業などは他社の参入はきわめて困難だ。民営化のメリットである他社の参入、競争、市場原理というメカニズムが働かない状態で、所有だけを私的にする。最初から「市場の失敗」の一つである「独占」をわざわざつくる。独占企業は、表向きは規制がありつつも、資産の売却、独占価格の設定、品質の低下、株価操作など好きなことができる。民営化=効率的というのは、競争と市場原理が働く場合であって、民営化したら自動的に効率化することはあり得ない。民間企業は利潤を最大化しようとする以上、サービス低下できるなら迷わずそれを選ぶ。
「クローズアップ現代」で扱われた保育園民営化の問題、これも料金徴収が可能だから「民間にできることは・・・」に当てはまる。もちろん民間は企業の論理で行動するから、誰も使わない牛肉を給食で食べさせるかもしれない。経験豊かな保育士さんはコストがかかるので、リストラ。しかし、親はこれではいけないことに気がつく。やがてVIP保育園が登場するだろう。ふんだんにお金をかけてオーガニック給食を出し、豊かな保育環境を享受できる一部の子供だけが通える保育園。
「民間にできる・できない」という問題とは別に、民間がやるとサービスの性質自体が変わってしまう、そういう問題を保育園民営化で考えさせられた。
我々が、お金持ちの子供でも貧乏人の子供でも等しく健康で安全、豊かな環境が子供に与えられるべきではないのか、それは不可欠のインフラなのではないのかと決断すれば、「国民の手でやるべきことは国民に」となる、そんなことを考えた。
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外部不経済
市場原理に任せればたとえば公害を垂れ流して安い製品を生産するのは企業の合理的な行動となる。そういうやり方では市場が最適な資源配分を約束してくれない、いわゆる「市場の失敗」の一つの例。