今日は私が愛してやまない音楽作品を紹介させてもらいたい。19世紀後半から20世紀初頭にかけて生きた、モラヴィア(現在のチェコ東部)出身の作曲家、レオシュ・ヤナーチェクによる歌劇『利口な女狐の物語』である。
オペラというと敬遠される向きも多いかもしれない。
どのような芸術作品にもその表現に独特の「クセ」がある。普段私たちが耳にする音楽はドレミファソラシドの7音で組み立てられたものがほとんどなのだが、それでもいわゆる西洋クラシック音楽となると私たち日本人には「クセ」を感じさせられるし、それが歌劇・オペラともなると「クセ」を通り越してもはや「臭み」である。
さらに盛り込まれる内容もまた、「臭み」のあるものが多い。あの独特の歌唱法・表現様式でもって「ホレタハレタの喚き合い」を繰り広げられる作品が多くて、いかにも西洋的・舶来モノといった感じがする。私はクラシック音楽を愛好する者だけれども、それでもこの「喚き合い」には閉口する思いをさせられることが多い。
だが、『利口な女狐の物語』は趣が違う。
表現様式はやはり西洋的だが、盛り込まれている内容は東洋的といってもいい。大いなる自然の営み中で循環する生命。主人公の女狐・ビストロウシカを中心に動物と人間の2つの世界が交錯したおとぎ話のようなストーリーが展開されるが、そのなかには社会への反抗もあり、犯罪もあり、恋もある。善も悪も、一切合切が流れ行く時間のなかで繰り返されていく。
音楽が始まり幕が開くと、舞台は森の中。アナグマ、ハエ、青トンボ、コオロギ、キリギリスが登場してバレエを踊る。そこに森番が登場。この森番は人間社会と動物たちの接点に立つ、狂言回しの役どころ。森番がうたた寝をする間に、蚊は森番を刺そうとする。カエルがその蚊を狙う。子狐ビストロウシカが突然現れ、カエルに好奇心を示す。
「ママ! ママ! これ何? 食べられるの?」
驚いたカエルは飛び上がって森番の鼻の上に落ちる。
「何じゃこりゃ! 冷やっこい奴め!」
目を覚ました森番は、ビストロウシカを子供たちのおもちゃにと捕まえて家へ持ち帰る。
森番が去った後、青トンボが空しくビストロウシカを探す。トンボが飛ぶ夕暮れの音楽。
森番の番小屋の庭先で暮らすビストロウシカ。悪がきたちに悪戯され、反抗して噛み付く。逃げ出そうとするが捕らえられ、縛り付けられてしまう。おう、おうと泣くビストロウシカ。舞台に誰もいなくなると、女狐は人間の乙女の姿になる。
夢の中で泣くビストロウシカを包む不安げな夜の音楽。だがすぐに朝がやってくる。瑞々しい夜明けの音楽。
元気を取り戻したビストロウシカは、雌鳥たちに向かって政治演説をぶつ。人間に魂を売ってしまった雄鶏たちに反抗するように扇動する。だが無視され、腹いせに鶏たちを次々と殺す。森番がビストロウシカを棒で打ちのめそうとするが、今度は逃走に成功、森へと逃げ去る。
森に逃げ込んだ宿無しビストロウシカは、汚い策略を用いてアナグマの巣穴を横取りする。
色気づいて女っぽくなったピストロウシカは、恋にふらつく人間を化かしてからかう。
そしてビストロウシカ自身の恋。月が明るい夏の森の夜。出会った雄狐と、初めは礼儀正しく対話をするが、互いに惹かれていく。プレゼントにと雄狐はウサギを捕らえる為に消え、ひとりになったビストロウシカは、今しがたまでいた雄狐の言葉を思い出す。
「わたし、そんなにきれいかしら?
わたしのどこに魅力があるのかしら?」
「わたし、生きることに少しはっきりした興味がでてきたわ。何て不思議な、すばらしい考えかしら。」
すぐに雄狐が帰ってきて、ふたりでウサギを食べる。
朝焼けの空。
「寒くないかい?」
「いいえ、暑いくらい。」
ふたりとも初めての恋だと告白。雄狐はビストロウシカを抱きしめる。
「放して、お願いだから! あなたはひどい方、あなたが怖い! あっちへ行って、見たくもないわ!」
「それじゃ、さっさと走っていってください! ぼくを破滅させて下さい! ぼくを殺してください! ぼくはもう生きていたくない!」
「本当に? どうして、それを最初にいって下さらなかったの?」
「こっちへおいで、逃げるんじゃない。ぼくのそばに坐っておくれ!
ぼくを欲しくないのかい? 泣くんじゃないよ! ぼくも同じ幸せに泣きたいよ! ぼくが欲しくないのかい?」
「ほしい。」
ふたりは巣穴へ消える...。
ふたりの愛のセリフには余分な修辞はない。動物らしく(?)ホンネをぶつけ合うだけ。
そして、これらのセリフは歌劇であるにもかかわらず、「歌」で歌われるのではない。この歌劇には「歌」はほとんどない。あるのはセリフの朗唱だ。朗唱であるがゆえに背景に流れる「音楽」がより切実に響く。
ビストロウシカと雄狐は結婚し、子を産む。その森に密猟者が現われる。密猟者は狐を捕らえようと罠を仕掛けるが、賢い親子はそれを見破り、逆に密猟者をきりきり舞いさせるが、怒り狂った密猟者が放った凶弾にビストロウシカは斃れてしまう。
ひとりで自由だったときには幾度もかいくぐった銃弾に、守るべき家族ができてしまうと斃れてしまう皮肉。
場面は変わって、年老いた森番たちが寂寥感を募らせている。女狐は襟巻きになってしまったという噂を聞く。
物語の最初の場面と同じ、森の中。やって来た森番がモノローグを歌う(この歌劇で唯一のまとまった歌)。〈これはおとぎ話か、それとも、ほんとうかい?〉。年老いていくことへの諦観と生命輪廻への憧憬が吐露される。
森番が眠り込むと、物語の最初に登場したすべての動物たちが姿をあらわす。
森番は夢うつつで身を起こすと、ビストロウシカとそっくりの子狐を見る。今度はもっと上手に育ててやろうと、つかまえようとするが、捕まえたのはカエルであった。
「えい、この冷やっこい奴め、どこにいたんだ?」
「それはぼくじゃありません。おじいさんのことですよ!
でも、あなたのことはよく聞いていますよ。」
ここで幕が降りる。
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寄稿が遅れてしまって、大変申し訳ありませんでした m(- _-)m 。