いよいよ2006年もどん詰まり。初夢を語るコラムではあるけれども、何となく「うわ、もう明日は大晦日か」と気ぜわしく(と言っても正月を盛大に祝う習慣はないため特に何もしてはいないのだが、やはり人並みに気分はせわしくなくなるから不思議)、頭がなかなか初夢・お正月モードにならない。……と愚痴を言っていても仕方ないので、適当に文章(というより、単なる字かな)を書き始めよう。
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夢というのはうつくしい言葉だが、人は現世(うつしよ)に絶望した時、まるで母の胎を恋うように夢に逃げ込むことがある。眠りの神・ヒュプノスの腕に抱かれ、夢の神・モルペウスと戯れている時だけが幸せなひとときであると。いや……ヒュプノスの力を借りずとも夢の世界だけを彷徨うことは可能であり、魂と引き替えに夢を売る者達も後を絶たない。本当はそれは夢ではなく、酩酊したあげくの妄想、と言うべきかも知れないが。
うつし世は夢、夢の世界こそまこと――と呟いたのは確か江戸川乱歩だが、うつつと夢のあわいから次々と物語を紡ぎ出した者達は古来、数多い。と言うより、「物語」というのは本質的にそういう性格を持っているのだろう。いわゆるファンタジーや、奇想小説だけではない。たとえ、いかにも現実に我々の隣近所に転がっていそうな物語であったとしても。
そして「物語」が輝くのは、実は単なる夢物語ではない時だ。どれほど不思議な、あるいはどれほど奇妙な世界が繰り広げられようとも、うつし世と、うつし世に生きる我々の心と響き合う時だけ、物語は力を持つ。夢というのはおそらくそういうものであり、そういうものである時にうつくしい。
初夢……は無限にあるが、私はそれを眼を閉じて波に身を委ねるように見るのではなく、覚醒し神経を尖らせて見たいと思う。
皆さん、来年もよろしく。夢見たものがいつの日にか手に入ることを願って――自分が生きている間には無理であったとしても、人間はいつの日にか手に入れることが出来るのだと信じて、1日1日を少なくとも誠実に歩き続けていきたい。
(ひょっとしたらこのコラムの最短記録を更新するんじゃないかと思うほど、短い文章になってしまった。すみません。年開けてからの方々、どうぞよろしく)