2△△△年2月某日――
ついに此の世では一度も会うことのできなかった、私の孫達よ。
窓の外は一面、夕陽に染まっている。このはるか向こうに君達の暮らす国があるのだが、彼我の距離は天の川の両岸よりも遠い。私の命は間もなく尽きる。おそらく明日の朝日を見ることはできまい。その死の床で、私はこの手紙を書く。君達の手に届くかどうかはわからない。おそらく不可能だと思うけれども、万一の僥倖を信じて……。
私は日本を――正確に言うと東京を離れる直前に、君達が通う小学校や幼稚園をこっそりと訪れたことがある。若い頃離婚し、自分の子供、つまり君達の親とはずっと離れて暮らしていた。ほとんど会うこともなく、だから子供が結婚したことも、孫が出来たことも風の便りに聞いただけだった。親としての義務も果たさず、子供の存在などほとんど忘れていたくせに、最後に孫の姿だけひそかに覗き見たいという衝動にかられたのは、いったいどういうことだろう。気儘に生きてきた自分に、そういうウエットな部分があったのが自分でも不思議なほどだ。
ともあれ、その時のこと。小学校でも幼稚園でも、門の所に大きな日の丸が掲げられていた。小学校はちょうど校庭で朝礼が始まる所だったのだが、最初に君が代が流れたのには正直なところショックを受けた。入学・卒業式などの式典では君が代斉唱が当たり前とされ、反対する教師が次々と処分されたのはそれより随分前のことだった。そしていつの間にか日常の朝礼などでも君が代を歌うのが普通になったと聞いてはいたが、やはり目の当たりにこの目で見、耳で聞くと、慄然とせざるを得なかった。
君が代斉唱の後で校長の、朝の挨拶と言うのだろうか、訓辞と言うのだろうか、何やら話が始まった。退屈なだけのお説教だが、子供達は皆、シンと静まって礼儀正しく聞いており、私語どころか直立不動の姿勢を崩す子もいなかった。私は門の陰でそれを見ながら、「彼ら」はついに、子供を飼い馴らしたのだなと思った。君達が生まれるずっと前に教育基本法が変わり、子供は飼い馴らす対象だという考え方が学校を支配するようになった。教師の言うことをきかない子供、秩序を乱す子供は容赦なく処罰されるようになり、やがておとなしい、暗い目をした子供達が増えていった……。私の孫もその一人なのだと思った時、逃げ出そうとしている自分を恥じたのだけれど、それでも私は踏みとどまれなかった。たとえ卑怯と罵られようとも、生まれ育った国を捨てたいという衝動が強かったのだ。
私が日本を逃げ出そうと決めたきっかけは、共謀罪で逮捕されたことだった。君達にとっては生まれた時から存在している法律だから、何とも思わないかも知れない。しかしあの法律は、昔、大勢の反対を押し切って強行に作られたものなのだ。成立してしばらくの間は、政府が言うように「普通の庶民には関係のない」ものだったが、そのうち案の定、思想統制の手段として用いられるようになって、多くの市民運動家や思想家やジャーナリストが逮捕された。私はマスコミの仕事をしていたけれども、直接に政治的な報道には携わっていなかったし、むろん無名だったから、目を付けられていたわけではない。それでもある時、ある雑誌の企画に参加した全員が逮捕された中に私も入っていたのだ。私は使い走り程度の立場だったけれども、それだけに、逮捕した側は私から「彼ら」が望む証言を取りたかったらしい。君は巻き込まれただけだとわかっているよ、だから君が知っていることを正直に言ってくれればすぐ帰してあげるよ、などという猫なで声を聞かされながら、黙って頑張り続けるのが私としては精一杯のことだった。
……その時逮捕された大半のメンバーと同様、私も執行猶予が付いて自由の身になった。しかし私は、この事件で多くのものを失った。仕事も、そしてなけなしの貯金も。親しいとまではいかなくても、そこそこに理解し合っていると思い込んでいた知人達も。
だから――と言ってしまえばやや短絡的になるが、ともかく私は、何処でもいいから逃げ出したいという気分になったのだ。そしてわずかな友人達に誘われるままに、この無人の離島にやってきた。
当時はこの島は日本に所属していた。独立宣言したのは、私達が移り住んで1年ほど後のことである。独立宣言したと言っても承認してくれる国はまだ無く、その意味で厳密には独立国とは言えないかも知れない。日本がそれを放置しているのは、もともと日本にとってはあってもなくてもいい、無価値な小島だったからに過ぎない。あれからずっと予断を許さない国内外の情勢が続いているため、物好きな世捨て人の遊びになど構っておれない、ということだろうか。島に集まってきた者達はいわゆるワーキング・プア層や高齢者が多かったから、いい姨捨山ができたぐらいに思っていたのかも知れない。
島の人口はわずか数百人。皆で狭い土地を耕し、釣りをし、生活に必要なものはすべて手作りして何とか餓死せずに生きてきた。集団でロビンソン・クルーソーをやってきたようなものだ。衣食住は何世紀――どころか千年以上も遡ったような暮らしではあるけれども、役場、じゃなかった、国務庁舎にはコンピュータもあるし、その横には島で唯一の病院もある。電話や郵便はないけれども、走って一周できる程度の国だから別に困らない。無いと言えば、この国には国旗も国歌もない。そういうものにウンザリした人間が集まってきたのだから、それは当然の選択だった。
私達は当初、日本から独立する小さな国がたくさんできることを夢見ていたが、それは今のところ夢のままだ。そしてこの国も、いつまで存続できるかどうかわからない。もともと高齢の国民が多かったせいで、人口は漸減傾向にある。むろんたまに日本から亡命?してくる人もいるし、子供も産まれてはいるのだが、それよりも死亡数の方が多いのだ。今夜私が死に、またひとり人口が減る。やがて滅びていく運命かも知れないが、それはそれで仕方ないことだと思う。私達がやってきたのはひとつの実験であり、この実験が歴史に埋もれることなく、何らかの形で生かされることがあれば私達は本望だ。
もしかすると私達の国が滅びるより、君達の国・日本が滅びる方が早いかも知れない。私がここに逃れて来て2、3年後に、イシハラ内閣の元で再度の憲法改定が行われた。君達は知らないだろうが、イシハラ首相の父親というのは、昔、東京都知事を務めた人物だ。国を守る気概だの、強い父親だのという言葉が好きな、実にキナ臭い男だったが、あの父にしてこの子あり。そう言えば国政を牛耳るのが親父の方の悲願だったそうで、首相の座を獲得したジュニアは「父の志を継いで強い日本を作る」と演説したという。挙げ句の果てが再度の改憲。……さらに最近は民法も改定され、日本は確実に百年ほど前の社会に戻りつつあるらしい。私が両親や祖父母の世代から聞いた悪夢が、此の世に再び出現するのだろうか。捨てた国のことなど知ったこっちゃない、さっさと滅びてしまえと言いたい気分もあるけれども、国が滅びるというのは普通、国という枠組みだけが静かに無くなるわけではない。のたうちながら、その中で暮らしている人々と無理心中する形で滅びていくのが普通だ。むろん、他の国の人々までも巻き込んで。そのあたりが、私達の「国」が朽ちていくように滅びるのとは違う。
その強引な流れを止められず、尻尾を巻いて逃げてきた自分を振り返って、私は涙を流している。できることならば、君達に会いたかった。会って、笑いながら言葉をかわしたかった。国境など存在しない世界で。
了(長文でした。読んでくださった方おられましたら、お疲れ様でした……)
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何となく――というか、無理矢理絞り出した提案が採用されてしまいました(泣)。自分が提案したんだからまともなものが書けるだろ、と言われそうですが、くまさんじゃないけれど私も子供のいない人間、子供とか孫とか言われてもリアルにはピンとこないのであります。……と言うわけで、完璧なフィクションになりました。全体の雰囲気というか、枠組みが、luxemburgさんのコラムと若干(かなり?)かぶった感じもありまして……ごめんなさーい。ところで、いくら離島だって簡単に独立できるわけないだろとか、本当に自給自足できるのかよ、なんていう突っ込みはナシね。リアリズム無視のお話ですから。