えー、団塊ジュニア世代の男性であり、未婚・当然子なし・非モテのあたしですが、下層階級・低学歴・見た目×・人格×・ついでに資産もなし、と、結婚できない男の条件をことごとく兼ね備えているわけでして、そんなあたしに、子孫への手紙、などというテーマを与えられてもどうしようもないわけでございます。
とはいえ、レギュラーコラムニストに名を連ねているからにはなんとか手紙をひねり出しましょうか、てなことで本日の四阿日誌でございまして、どうか一席お付き合いの程を願っておきますが。
前述のとおりの理由によりまして、あたしには自分が子孫を残す、という人生の想定ができません。従いまして、子孫への手紙、というテーマではありますが、あてどなく綴られた備忘録、のようなかたちを取らざるを得ませんでした。そのことをあらかじめお断りし、読者の皆様、そしてコラムニストの皆様にお詫びした上ではじめたいと思います。ここから落語に入ってますから。(落語じゃありません)
<某年2月28日>
このメモが誰かの目に触れたということは、あたしが世を去った、ということで間違いないと思うから、それを前提としてメモを残しておこう。
まず、死後の処置について。死体については、移植可能な臓器については移植のために、それ以外の部分は医学研究用の献体として活用して欲しい。そうすれば火葬の費用をかけなくていいだろう。
それ以外の、あたしが生きている間に使っていた諸々の物品等について、なにがしかの価値を見いだせるものがあるなら、それは価値を見いだした人が自由にしてくれて構わない。死者には無用の長物だからね。それ以外のものはゴミとして処分されたい。死亡時の手持ちの現金で処分費用を購えればそれにしくはないが、購えない部分は申し訳ないが行政に負担してもらうよりなかろう。身寄りも資産もない身にそれを期待されてもどうにもならない。
さて、あたしがホームレス生活に至った契機は2006年あたりだったろうか。世の中はギスギスとして余裕がなく、人々はいがみ合い、我のことに汲々として鬱屈をため込み、発散のために嬉々として他者を悪罵し、安全・安心という美名の下に全てのひととしての権利を供出して相互監視・密告が美徳となる、そんな世の中へのターニングポイントとなった2006年。
あれから今にいたる歳月の間に、あたしの身に何があったのか。まぁお決まりのコースというやつだが、国家検閲の目をかいくぐって国際社会に問われることを願って詳らかに記しておこうか。
(中略)(筆者注:具体的な記述をここにすることは、些かこのコラムがグロくなるおそれが高いので、自主規制させていただきました。こうした表現の「自主規制」が、お笑い種になることを心より希うものです)
それにしても、落ちぶれて孤独のうちに死んでいくあたしと、全てを国家に委ね、僅かな安心と安全のために全身全霊を国に搾取される君たちと。果たして、どっちが「ひと」として、「ひと」らしく生きているんだろうね。次元の低さに眩暈を覚えるよ。
(これ以降文字が乱れて読み取れなくなり、文章はここで途切れた)
実際には、こんなメモを残して死ぬようなことになりたくないですから、地道に訴えかけていかなくちゃなぁ…と、そんなことを(書き手のあたしが)考えた、今回のコラムでした。それではお後がよろしいようで。