【迷走の旅を終えたひ弱な少年がソコにいる】
2007年9月12日、われらが偉大なるシュショーにして、おとぎの国“うちゅくぴいくに”の創造主たるアベタンが、辞意を表明しました。
ホントなら「Under the Sun」のコラムでこういった話題をしちゃうと、それこそKYコラムになっちゃいますが、今回だけはご容赦いただいて今回のお題「こだわっているコト」とからめて少しだけ書いてみたいと思います。
ボクが彼の辞任を耳にして、まず考えたのは
「結局彼は何をしたかったのだろうか……?」というコトです。
彼は多分政治家です。
そして政治家の仕事とは何かと問われたら、さほどむずかしく考えずとも答えは出るはずです。
ボクら国民のために働くコト。
ほぼその一点につきると思います。
彼の政治信条(があるのだとしたら……)と云えるようなモノは、戦後レジームからの脱却を高らかに謳い、改憲、教育改革などが前面に押し出たモノでした。
満々たる自負を満たすためにおこなわれた、10以上の強行採決。
その内容は教育基本法や国民投票法といった、ボクらの生活を改善するためのモノとは思えません。
むしろ国民を仮想敵視して、どうやって制約を加えようか、どうやって自分たちの思想に染まらせようか、彼のやり口にはそういった根っこがあったように思えます。
辞意の表明の中で、何度もテロ特措法への未練をにじませていましたが、正直なハナシ、ごくごく瑣末な政治テェマとしか思えません。
そんな見当ハズレな事柄で、職責を賭けるなんて空回りしてみたり。
そしてその行き着く先に何があったか、彼は明言はしなかったし、ボクには何も見えませんでした。
そもそもあったのかすら今では疑問です。
ひょっとしたら、彼自身わからなかったのかもしれません。
ボクは彼の考え方はまるで賛同できないし、多くの問題をかかえている国民生活を置き去りにして恥じるトコロのない傲慢な陶酔意識は、ヒトとしてもまるで信頼をおくことはできません。
中には「辞めろ辞めろと云っていた野党が、辞めると云った途端に無責任だなんて責めるのは、ソッチの方が無責任だッ!」なんて方もいらっしゃいますが、無責任を無責任って云って、一体何が悪いのでしょうか?
参院選で大敗しても責任をとらずに続投すると云ったばかり、新内閣を発足させたばかり、臨時国会がはじまったばかり、所信表明演説したばかり、本人が職責を賭けるとまで云ったテロ特措法の審議もコレから、ついこないだまで一生懸命やりますって云っていた国のトップが、行き詰ってしまったら何もかも放り出す。
コレを無責任と云わずして、何が無責任なんでしょうかねぇ?
そりゃ悔しいでしょう、自分のコトを正しく評価してくれない(と思っている)国民への憎しみは尋常ではないでしょう。
何もかもゴチャゴチャのグダグダにしといて、後は野となれ山となれですか?
コレからが大変だから辞めてやったぜ、ザマァみろッ!ってコトですか?
ある意味、うまいタイミングですね。
まさしくアベ流無責任殺法。
しかしもっと悔しい想いをしているのは国民ですよ。
一時期多くの国民が、彼の政治手腕に期待したんです。
彼ならこの国をもっとよくしてくれる――と。
だけど彼はその期待に応えるコトができなかった。
国民の生活よりも、自分のココロの中のおとぎの国を美しく管理するコトの方が大事だったんです。
そのコトにたくさんの人々が気がついた。ただそれだけです。
結局彼には、血筋と与党3分の2超の衆議院があっただけ。
しかもそれらは他人から与えられたモノにすぎなかったって事実に、彼は気がついていたのでしょうか?
いずれにせよ、日本国民は(安倍晋三がではない)1年間の安倍政権と云う、高い授業料をはらってきたワケです。
ハナシはもどります。
「彼は何をしたかったのだろうか?この国をどんな国にしたかったのだろうか……?」
やはりわかりません。彼が一体何にこだわって、その職にしがみついていたのか?
わかりませんが、しかし彼が住んでいた国をボクは知っています。
ソコはおそらく日本じゃありません。
彼が夢見るおとぎの国です。
そして現実の世界を、少しでもその国に近づけたい――彼はそう考えていたのでしょうか?
ですが社会的な常識や国民の意見を無視し、自分の感覚に心地よいおとぎの国に現実の世界を近づけるコトに狂奔した挙句、彼はその国からとうとうもどるコトができなくなってしまったのです。
* * *
会見の映像を観ました。
ソコには迷走の旅を終えた、ひ弱で孤独な少年がいるだけでした。
※
「逍遥録-衒学城奇譚-」発掘屋