政治にはお金がかかる、この言葉、というよりほとんど命題といっていいくらいにどこでも使われていて、しかも、誰がいつ説得力ある説明をしたのかわからないうちに、ほとんど公理のようになっている。
政党に助成金が支払われるようになったときも、まるで、政治家がカネに汚いのは公的に活動費を支給しないからであって、猛獣にきちんと肉をあげないから人を食う、女性をあてがわないから戦場で強姦する、かのようにいわれて、誰も本末転倒といわないうちにとにかく支給だけは決まった。あれ以降、やたらとテレビコマーシャルで、あまり見栄えがいいとも思えないおじさんが出てきては○○党などと叫び、結局こういうことに使われるだけだったのか、と一杯食わされた気がした。同時に、そのことはおいしい仕事を供給してくれる政党の機嫌を損ねないようにと、広告代理店やテレビ局マスコミが考えているとしか思えない番組が増えてきた気がする。
小選挙区制の導入の時にも、政治とカネの問題は利用された。小選挙区が導入されて政治とカネの問題は解決でもしたというのだろうか。結局のところ、ただだまされてきただけ、というのが正直なところではないだろうか。
政治にカネは本当にかかるのか。ナチスの集会を撮影したフィルムをテレビなどで見る限り、「これはカネがかかるだろう」と思うしかない。逆に、政治にカネがかかるといっている政治家たちが考えている理想の「政治」とは、カネをかけてしつこく繰り返せば国民を洗脳し、自分たちの思い通りのことができる、まつりごとと言うより、ただ単なる操作なのかもしれない。
本当に支持されている人たちなら別にお金を使う必要はない。私も数人なら直接知っているが、粗末な暮らしをしながら、相手がたじたじになるような質問をする国会議員だってちゃんといる。政党によっては、政党助成金や企業からの献金を貰わないで活動し、次から次へと与党のていたらくを摘発する働き者の党もある。おそらく彼らには、心から支持してくれる人たちがちゃんとついているのだろう。支持されていればカネはかからないしかける必要もない。支持されていなければカネで政治をするしかない、政治とカネの問題とは意外に単純な話なのかもしれない。政治にカネがかかるという人たちは、国民をだますために多額の費用がかかって困っているだけなのだろう。小さいころから親がそうしているのを見て育った世襲議員たちは、それこそが政治だと思っている。
これはきっと、政治家だけの問題ではなく、国のあり方そのものの問題なのだろう。日本は世界で最大といっていいほど「大きな政府」で、スウェーデンなどよりも実質的な負担(スウェーデンはたくさん集金するが、政府はカネを右から左に、つまり金持ちから困っている国民に受け渡すだけであり、政府自身が使うカネは日本より少ない)は大きい。こんな国では庶民はむしり取られるものだとあきらめて生きていくのが一番幸せとでも思うしかなく、「どうせ誰がやっても同じ」と思いこんでいる。
しかし、自分たちの手で一度も国を変えたことのない私たちがが本当に目覚めるときも近いかもしれない。政治評論家の中には「民主党を勝たせたのは国民のバランス感覚。次の衆院選は違う」などと、わかったようなことを言う人もいる。しかし、私はそうは思わない。ここまで国民を追いつめる政府の下で、バランス感覚などと悠長なことをいっていられる段階はとうに過ぎている。政治とカネの問題、こんな単純な問題すら解けなかった過去を断ち切って、我々自身が政治を作り上げていくときが迫っているような気がする。