萩本欽一は、「欽ちゃんはなぜ政治家にならないのですか?」と聞かれて、「政治家の仕事が国民の生活を明るく幸せにすることだとするのなら、僕はコメディアンとして政治家以上の仕事をしているという自負があるからさ。」と答えました。
しかしこの国の政治・政治家の周辺からは、国民の生活ばかりか幸せや希望を夢見ることさえも萎えさせる悪臭が絶えず撒き散らかされ、目も鼻も耳も口も覆いたくなるほどです。「いいですか、政治家の皆さん。貴方達は希望を与える使命を帯びているのですよ。」と言いたくなります。
少なくとも日々健康で文化的な生活を送れさえすれば、私たちは誰もが自分の身の回りで出会う人々に対し、幸せや希望を運ぶ使者になれるし、自分の手の届く範囲の未来を見据え、責任を負うこともできます。なのに貴方達は、私たちのそんな自負さえをも邪魔します。
この国の抱える問題は政治に起因すること甚だしく、なんとか政治を立て直せれば・・・と淡い期待を抱いてきましたが、「いっそ政治も政治家もなくなってしまえ!」と叫び出したくなる衝動に駆られます。これがファシズムへ繋がりかねないとわきまえてはいるのですが。
お金について考えることもなんだか疲れます。僕の労働の対価でさえ、どれくらいが相応しいのか掴みあぐねているのに、いわんや他人の対価を哉。スポーツ選手は契約・年俸交渉に忙しい季節を迎えていますが、彼らの活躍に対する対価は、同業他者のサラリーと去年のサラリーとの比較ではじき出されているものなのでしょう。だから僕も同業他者のサラリーを覗き見たとき、初めて対価が妥当かを慮ることが出来るのかもしれません。しかし慮ってどうするかと言えば、およそ優越感に浸るか劣等感に蔑まれるかのいづれかで、優雅な感情とは程遠いことは言うまでもありません。
あまりに高嶺の花がゆえ、セレブの財布にはその出所や使途に負の感情は芽生えないのが人間なのでしょうか。一方、お隣の財布には喧々諤々眉間に皺を寄せてみたり、ニヤっと目尻を下げてみたりするのが人間なのでしょうか。権力者の思う壺。なんだか人間は、いつもお隣の財布に目を奪われ、いがみ合い足の引っ張り合いをしているようにも思えます。いっそ他人の財布の中身は知らぬが仏なのではないでしょうか。
このような言辞は生草坊主の説教のようでいけませんね。でも、私たちが覗き込むべき財布はお隣の財布ではなく、隣の財布を覗き込むように仕向けている方々の、その出所なのではないでしょうか。それも軽蔑のまなざしで。
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本来もっと腰をすえて取り組みたいテーマだったのですが、公私共に余裕がなく投げやりな文章になってしまいました。すみません。