出張先のホテルで書こうと思いPCを持っていったのですが、ネット環境も整ったホテルだったのですが、小生意志薄弱ゆえ、ビール一杯夢の中。コラムの執筆が遅れてしまい申し訳ありませんでした。
今節のお題は『願い』
お寺で手を合わせるときには、いつも家族の健康と世界平和を願うのですが、如何せんお賽銭を出し惜しみするせいなのか、世界平和はなかなか叶えて貰えないようです。
言葉のせいなのか、お金のせいなのか、メディアのせいなのか、あるいは誰のせいでもないのか分かりませんが、最近世間を見ると、『分断』している(させられている)なと感じることがしばしばあります。正社員と派遣社員、働く女性と家庭に入った女性、男と女、中高年世代と若者世代、要領のいい人と不器用な人、考える人と考えない人、信じる人と信じない人、持つ人と持たざる人・・・。挙げればキリがないほどです。あんなんとは一緒にされたくないという小さな自意識と、あいつらはずるいという小さな僻みが増幅し、なんとなくこちら側とあちら側とに境界を引いているようにも思えます。
分断されつつある状況に寂寥や孤独を感じて僕たちは、何かを求めてもがきそして傷つき、愛国心やらスピリチャルやら最も安易なものを掴んで癒されたつもりになったり、あるいは関係性を求めて僕たちは軽薄な共感至上主義に堕してしまったりします。
想像力が足りないせいなのか、弱いせいなのか、自分は強いと錯覚しているせいなのか、『分断』こそが平和や豊かさを侵す一番の脅威のだというのに、ぼくらは容易に分断に手を貸してしまいます。僕は願います。世界が分断されないことを。そして僕らがあらゆる『分断』にしなやかに抗うことを。
放浪の画家・詩人、『佐藤 渓』の詩に、僕の願いを託したいと思います。
ともだち経
どこにいるか ともだち
あるきながら をもいだす ともだち
しごとしながら をもいだす ともだち
まるいかを しかくいかを ほそながいかを
よくしゃべる ともだち だまってゐる ともだち
しんけいしつなやつ どんかんなやつ
からだがよわくて しんぱいなやつ
いろいろ いきてゐるうちの ともだち
をたがいが ともだち
どうしてゐるか をもいだす ともだち
ぼやぼやっと きえてしまった ともだち
けんくわしてしまった ともだち
さけのみの ともだち
をくびょう はれんち だからともだち
こひしい なつかしい にくたらしい をんなの ともだち
しゅっせして ぼくをばかにしてゐる ともだち
それでも ともだちは ぼくのともだち
うれしい ともだち
どうしても わすれえぬ ともだち
わかれるときないて てをにぎった ともだち
わかれるときわらって ぼうしをふった ともだち
あすこで あのときのともだち
ぶんがくのともだち ゑかきのともだち
くるしかったときの ともだち
いっしょに せんそうしたときの ともだち
いつも ぼくを はげましてくれた ともだち
まだ いきてゐるか ともだち
さみしいよ ともだち
どんどん あつまってくる ともだち
みんな ちりぢりになった ともだち
けふの ともだち あすの ともだち
とほい ともだち きんじょの ともだち
もっと たくさんの ともだち
がいこくの にほんの
みんな とほい ところの みえない ともだち
やさしい こころの ともだち
みんな ともだち ぼくの ともだち
いつまでも ともだち