最近若い人と話す機会が多いから、つい自分がなにもかも悟った年寄りのような気分になってしまうこともあるけど、まだまだ勉強の途中なんだよ。全然青二才なんだよ。なんにも分かっていやしないんだよ。
この魂がどこにあるのかも知らなければ、この生がどこから来たかも知らない。なぜ夕暮れがこんなにも悲しくて美しいのかも知らなければ、夜の闇がどこまで深いのかも知らない。
なんにも知らないんだよ。
でも一応もう大人だから、誰も教えてはくれないんだよ。わかる?親だってもう教えてはくれない。
自分で勉強して感得するしかないんだよね。
人の一生は、はっきり言って孤独です。愛は助けにはなりますが、絶対ではありません。孤独を完全に掬い取ってはくれません。
でも、だからこそ、愛を求めてしまうのです。
だから、人間は弱いのです。愛など無視して、一人で生きていくことが出来る人は、強い人です。そうなりたいかどうかは別問題として。
「よく生きる」という意味が、未だによくわかりません。「よく生きる」とはどういうことか。
たくさんの人々と笑顔を交わすことがよく生きることなのか、密度の濃い時間を多く持てることがよく生きることなのか、多くの人を養い引っ張っていくことがよく生きることなのか、自分の内なる声に耳を傾け静かな時間を得ることがよく生きることなのか、愛する伴侶と仲睦まじい暮らしを送ることがよく生きることなのか・・・
なにひとつ出来てはいませんが、よくわかりません。
とってもとっても頼りのない大人になっているようで、すごく不安にもなれば、落ち込んだような気分になる時もあります。でも周りを見渡しても、納得出来る大人の人は数えるほどで、僕もそういう大人になりたいとは思いますが、彼らが幸せなのかどうかはわかりません。僕はまだ「よく生き」たいのか「幸せになりたい」のかすら、決められていないのかもしれません。金はなくとも自分に満足して生きて行きたいのか、好きなものを好きなときに好きなだけ食べたいのか、と言えばわかりやすいでしょうか?
こんなことを未だに言っている34歳は本当に格好悪いと思います。首をくくればいいくらい格好悪いと思います。
でも、この世界を、全否定はまだできないんです。勉強不足でそこまでの見極めがまだつかないんです。
こうやって、誰も死ぬことは出来なくて、なんとなく生きていくんだと思います。そして生きていくうちにいろいろなことを忘れて、明日の暮らしのことで頭がいっぱいになって、老いてゆくんだと思います。それが「生活」というものだと思います。
「生活」を語って「理想」を語らないのは片手落ちな感じもしますが、「理想」を語れるほど世間知らずではなくなってしまった身には、少し辛いものがあります。
深夜の独白でした。
明日からは、明日こそは、なにもかもがうまくいけばいい。そう思います。
明日がやってくるから、なんとか生き延びられるのかも知れません。明日を信じられなかった身からしたら、これは偉大な進歩です。
状況や時代は決して簡単には信じませんが、たとえいくらひどく傷つけられても、人を信じる気持ちは忘れまいと思います。多くの人を裏切り傷つけてきた僕の、せめてもの償いです。
春に鶯が鳴くように
夏に蝉が世界を凌駕するように
秋に枯れ葉が舞い落ちるように
冬に音もなく雪が降り積むように
そういう風に、生きていきたいなぁ。